ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

扇の話(その23) ~どの鬘扇? なぜ修羅扇?<12>

2008-03-22 02:11:16 | 能楽
山猫軒さま、コメントありがとうございました。ぬえの解説が観能の参考になったのであれば幸いです。でも~、以前から言っていますように ぬえは自分が所属する観世流をベースにしてしか語れませんので、他流ではまたちょっと違った約束事があるのかもしれません。。そのあたりはご寛恕願えれば、と存じます。

これでも ぬえも他流の演出や主張に観世流と著しく違う点があることを発見したときにはメモを取ったりはしていますが、実演を拝見して発見する以外の面、たとえば一般的な能楽関連の書物などで勉強するとなると。。実際のところ、ほとんどの曲目解説は、もっとも能楽師の人数が多く、それに従って上演頻度ももっとも高い観世流の演出についてだけ述べられているのが実情で、なかなか他流の演出について知る機会はかなり限られていると言わざるを得ません。このような解説書の中には ぬえさえ知っている「ある流儀にだけ伝わる特徴的な演出」に全く触れていなかったりすることも珍しくないのです。すべてのシテ方の流儀の演出を網羅した一覧という資料は、まだまだ実現していないのが現状ではないでしょうか。実際にはある曲の演出・詞章などについては「観世流だけが違っている」場合の方が、むしろ多いのです。本当に、調べれば調べるほどその傾向は顕著に実感しますね。

おそらく、能や曲そのものの「骨格」だけは変えずに、常に時代の変化に敏感に対応して、その時代々々の観客に共感してもらえるような順応を、柔軟に行ってきたのが観世流なのだろう、と ぬえは考えています。一方「先人が定めた古格を厳密に踏襲する」という主張も当然あり得るわけで、そのような主張を持つお流儀もあって(ぬえが他流の主張をどうこう言えるわけではないので推測でしかありませんが)、これは優劣を論じるような問題ではないでしょう。それぞれの流儀や師家の定めという「器」の中で、「個」を光り輝かせるのが「役者」として、「舞台人」としての能楽師の役割であるはずで、この点においてはどの流儀の能楽師も並列して立っているはずだ、と ぬえは思っています。

ちょっと話がズレましたが、扇の話。これも前回「さらに大きな矛盾がある」と言っておきながら、なかなか書き込みができないでおりました。「その矛盾とは。。!!??  。。続きはCMのあとで」みたいで、なんだか だまされた気分を与えてしまったかも。。(・_・、) その間にもブログへのアクセス数は上がっていまして。。ああ~困った。(;.;)

いや、でも、伊豆の子どもたちへの初稽古が先日ありまして、毎回そうなんですが、伊豆の稽古の前日は資料を作るのに ほとんど徹夜状態になってしまうのです。もっと事前に資料を作っておけばよいのですが、これが なかなか思うようにまかせず、ああでもない、こうでもない。。あ~完全主義者でありながら優柔不断な ぬえ。この性格はなんとかなりませんかね~。。(T.T)

そんなわけで、書き込みの遅れが続いておりました。。では気を取り直して。
。。いや、その前にまず山猫軒さんのご質問にありました件を。。

ぬえ、自分では書いたつもりだったのですが、いまブログを読み返してみたら書いていないこともありました。えと、まず修羅扇が男性の役専用の持ち物かというと、じつはそうではありません。。というか例外が『鉄輪』の後シテにあるのです。阿倍晴明に調伏されながらも、滅亡するのではなく「時節を待つべしや、まづこの度は帰るべし」と、不実の夫に再び災禍をもたらす事を予言するこの後シテが、なぜ「入り日図」の修羅扇を使うのか。。これも矛盾の一つかしらん。でもやはり『鉄輪』の後シテに似合う扇としては修羅扇がもっとも似合いますね。これも能のシテのキャラクターの数に対して扇の種別がもう一つ少ないのが原因なのでしょう。

それから「紅入」「無紅」の別が男性の役にもあるのか、という件ですが、やはり区別はあります。でも。。ぬえの実感では女性の役と比べると、もう一つ不分明ですね。たとえば女性の着る装束には細かい文様が、刺繍されたり織られたりで描き出されているのに対して、どうしても男性役の装束には直垂とか素袍とか、普通紅色は入れられない装束が多いからなのかもしれません。下も白大口や色大口などを着る武人の役では、これまた紅色というのは もともとあり得ないですし。それでも着付に厚板を着たり、大口ではなくて半切を穿いたりする場合は紅を入れる役と入れない役は年齢によって決められてはいます。