ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

扇の話(その25) ~どの鬘扇? なぜ修羅扇?<14>

2008-03-24 00:04:58 | 能楽
さてこの神扇、前回も書きましたように、いろいろな曲目、役柄に用いられるのです。単純に類型化してしまえば神と武士、という事になろうかと思いますが、『芦刈』など、武士とはどうも断定できない役柄まで含まれていて、どうも神以外に神扇を使う役柄としては、階級よりも むしろ「誉れ」を得た男性、という面に焦点が当てられているのかな? と思ったりもしています。

で、問題はむしろ神の役の方なのです。

神扇、なのだから神の役に使われる扇、というのが本義でもあろうし、実際ほぼすべての脇能の後シテの男神の役は神扇を使います。しかし、神とひと口に言っても、その役にはやはり いろいろな個性があるわけで。

そして、ぬえが最も不思議に思うのは、老神の役でも躊躇せずに神扇を使うことが定められている点です。たとえば『老松』。いやいや、そのほかにもたくさんの老神が脇能の後シテとして登場しますよ。『白髭』『玉井』『道明寺』『難波』(観世流は常は若い神で、「鞨鼓出之伝」の小書のときだけ老神)『寝覚』『白楽天』『放生川』『大社』。。

しかし、考えてみれば、とくに女性の役ではあれほど「紅入」「無紅」にこだわる能の装束附が、こと神については「神扇を用いる」の一点張りなのは、いかにも不思議に思えます。神扇には紅色が多用されていますし、いや、それどころか「紅入」であることを明快に主張する「褄紅」まで入れられているのですから。。

そして、脇能に登場する老神は、装束の選択のうえでは、やはり「無紅」扱いで、着付も もちろん無紅厚板を使うし、上に着る狩衣も白地などが好んで用いられています。それなのに扇だけは褄紅の「紅入」の神扇なのです。これはどう考えても不思議としか言いようがないし、舞台の実演に接していても、ぬえはどうしても違和感を持ってしまうのですよね~。。

もっとも、「無紅神扇」というものが存在し得ない事もまた、容易に想像することができます。紅は「若さ」の象徴であると同時に「祝言」の色でもあるでしょう。紺色に彩色され「褄紺」の扇を持ったシテの姿を見て、そこに「めでたさ」を感じるのは難しい、と ぬえは思います。まあ『翁』の例もある(「翁扇」は褄紺で彩色にも紅色を用いない)ので一概には言えないかもしれませんが、『翁』の祝言性と脇能のそれとは、かなり印象が異なっていますから、やはりここは『翁』が非常に特殊な装置を施して呪術的な祝言性を印象づけているのだと解したい。『翁』という曲は、本当に調査しても奥が深すぎて調査しきれない曲だと思います。。

おそらく、後シテが老神である脇能の場合、面や装束でその役の年齢が高いことを表現し、また一方神扇を用いることで祝言性を強調しているのでしょう。ただ、この事実が、すべての能では ことごとく厳密に守られている「紅入」「無紅」の区別を脇能だけが破っているところがとっても不思議に思えるのです。

いや、ほかのすべての能を超越した独自の価値判断基準が持ち込まれているからこそ脇能、なのかもしれません。特殊だからこそ、神を扱うジャンルとしての脇能がそのヒエラルキーをもって能の頂上に君臨していて、神扇はその特権の象徴なのかも。

しかし、それならば演者に違和感を生じさせるワケもないはずで、能の長い歴史の中でもっと「こなれている」はずではないかな? とも、ぬえは感じるのですよね。これは ただ ぬえが未熟なだけが理由かも知れませんのですが。。