ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『敦盛』~若き世阿弥の姿(その6)

2010-03-02 00:03:33 | 能楽
今日は朝から師家舞台でツレと連吟の稽古→国立能楽堂の図書室で『敦盛』のビデオ拝見して型の研究→神保町で古書探索→帰って『敦盛』の稽古…と、なにやら忙しくしておりました。国立能楽堂所蔵のビデオでは、先日前シテを尉で演じたことで話題になった喜多流の『敦盛』の録画も拝見しました。ふう~む、こういう解釈もあるのか… ところが! 今、ぬえは少しずつ『敦盛』の解釈を考えて、だいぶ形にはなってきたのですが、どうもそれが正解なのか確信が持てないでいたのが…上演ビデオの中に、ぬえが考えていた通りに演じておられた方がありまして! 一挙に自信が持てました。また型のタイミングなど、非常に上手に舞台を処理されておられる演者があって感心。これはそのまま ぬえのお手本にさせて頂こう…

大体、やり方は固まってきたのですが、まだまだ自分の稽古をビデオで撮って型をチェックしたり、面を掛けたり、必要な場合は仕上げ段階で装束も着て稽古してみたり、さらに師匠の稽古を受けて直して頂いたり…これからもやることは山積なのではありますが… なお偶然ですが、今日は国立能楽堂主催の若手能楽師の研鑽発表会の日だったのですね。帰り際に少しだけ拝見したのですが、入場無料ということもあって見所は満員の盛況でした!

さて『敦盛』。

シテが常座に立つとワキが言葉を掛け、以下 笛にまつわる問答となります。

ワキ「いかにこれなる草刈達に尋ね申すべき事の候。
シテ「此方の事にて候か何事にて候ぞ。
ワキ「ただ今あの上野に当つて笛の音の聞こえ候は。面々の中に吹き給ひて候か。
シテ「さん候我等が中に吹きて候。
ワキ「その身にも応ぜぬ業を嗜み給ふこと。返す返すも優しうこそ候らめ。
シテ「その身にも応ぜぬ業と承れども。それ優るをも羨まざれ。劣るをも賎しむなとこそ見えて候へ。その上樵歌牧笛とて。
シテ・ツレ「草刈の笛樵の歌は。歌人の詠にも作りおかれて。世に聞えたる笛竹の。不審を為させ給ひそとよ。
ワキ「げにげにこれは我ながら。愚かなりける言ひ事かな。さてさて樵歌牧笛とは。
シテ「草刈の笛。ワキ「樵の歌の。シテ「憂き世を渡る一節を。ワキ「謡ふも。シテ「舞ふも。ワキ「吹くも。シテ「遊ぶも。


「歌人の詠にも作りおかれ」たとされる「樵歌牧笛」ですが、これは『和漢朗詠集』の紀斉名の漢詩でしょう。
山路に日暮れぬ、耳に満つるものは樵歌牧笛の声、
澗戸に鳥帰り、眼を遮るものは竹煙松霧の色

この詩は能『志賀』にも「山路に日暮れぬ樵歌牧笛の声」と、そのままの形で現れます。『志賀』にはこのほかにも「その身に応ぜぬ振舞ひなり。許し給へや上臈達。こは如何に優るをも羨まざれ。劣るをも賎しむなとの。古人の掟は誠なりけり」と、『敦盛』の本文と類似する章句が見えますが、それ以上には『敦盛』との関連が見いだせないようで、とくに直接の影響関係はないのではないかと思います。

あ、忘れていましたが、そういえば冒頭のワキの「次第」の文句「夢の世なれば驚きて。夢の世なれば驚きて。捨つるや現なるらん」は、能『土車』の冒頭で同じくワキが謡う「次第」とまったくの同文です。これまたそれ以上には『土車』が『敦盛』と関連することはないのですが…