ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『敦盛』~若き世阿弥の姿(その23)

2010-03-27 00:48:56 | 能楽
ん~、どうも更新がままならない…

明日からもまた、伊豆に1泊してきますので、重ねてのお休みになります~ m(__)m

公演からようやく3日ほどを経て、ようやく自分を許せるところまで立ち直ってきました。ぬえって、いつもこう。公演当日の夜は不出来に七転八倒して苦しみます…そんで翌日は抜け殻になっていまして、1日ボーっとしていることが多いです。3日目くらいからかなあ、もう一度ビデオを見て、良かった点も見えてきて、「まあ…稽古不足だったわけではないから…次、がんばろう」と思えてくるのは。なんでいつも同じパターンかなあ。

さて今回の師家の月例公演には、師家の門下の者のほかに他家からも複数名の応援出演がありました。そういうところから『敦盛』という曲について、楽屋の中でも なんとなくこの曲について情報交換みたいな場面もありましたのですが、なるほどなあ、やっぱり話題の行き着く先は思った通りでした。

「あそこのところ、そちらではどうやってる?」
「たしか、こうだと…でも『敦盛』自体があんまり出ないからなあ…」

そうなんです。『敦盛』という曲は、まずは『平家物語』の「敦盛最期」があまりにも有名なためか、能としても有名な部類に入る曲ではないかと思うのですが、実際にはかなり上演頻度は低い曲と言わざるを得ませんね。それがなぜかというと、とりもなおさず『敦盛』という曲が演者の側にとっては出しにくい曲であるからです。

まず第一に、前シテがツレを三人も伴っていること。流儀の中心的な会の催しならともかく、職分家の主催による門下の催しであれば演者の数も限られていますから、『敦盛』に限らず大人数が出演する曲はどうしても出しにくい、という事情もあります。シテ方としては主役たるシテをサポートするために八人の地謡や二~三名の後見が必要ですし、そのほかにも幕揚げの人員や切戸口の開け閉て、また中入で装束を着替える手伝いなど、楽屋の中にもある程度の人数が残っている必要もありますので… 『敦盛』のツレは初同で楽屋に引いてしまいますので、こういう人数に限りのある会では、ツレは出番が終わると装束を脱いで紋付に着替えて、次の能の地謡に出ることさえしばしばあるのです。

ツレが三人も登場する、という同じ原因で『敦盛』が舞台に掛けにくいもう一つの理由があります。『敦盛』は若手が演じることが多い曲であることは前述しましたが、そうなると、シテよりも格下に当たるツレは、シテよりも目下の立場の能楽師が勤めるのが通例ですから、若手のシテに対して、後輩にあたる演者が三人も揃いにくい、ということもあるのです。よほど大勢の内弟子さんがいらっしゃる会とか、またシテが家の跡継ぎの方などであれば、年上の門人がツレを勤めることもあるでしょうが、いずれも それほど多い例ではないでしょう。こうした理由で『敦盛』は上演しにくいのです。

では、若手に限らず、中堅や長老格の演者が演じれば、少なくともツレの人数を揃えるのは可能ではありますが…これまた問題もありまして。『敦盛』は、ある程度以上の年齢になるとシテを勤めにくくなってくるのです。というのも『敦盛』は前シテが直面だから。

十六歳で死んだ平敦盛の、その化身として現れた前シテの草刈男は、面を掛けずに<=直面(ひためん)と言う>で登場します。『敦盛』の後シテは紅顔の美少年の化身ですから、その化身として「若い男」を登場させるのはお客さまにとっても納得しやすい設定だと思います。しかしながら「直面」の性格上、シテを勤める演者の素の顔、素の髪で演じなければならないわけで、そうなると「若い男」という設定を、面や鬘などの力を借りずに、演者のナマの頭部で表現しなければならないわけで…

こうした理由で『敦盛』はシテを選ぶ曲なのです。若すぎてもツレが揃わないからダメ。年齢が重なり過ぎると、前シテを勤めるのに違和感があるからダメ… だから『敦盛』は上演頻度が少ないのですね。

今回の ぬえは自分で勤めることを希望して得た役でしたが、こういうチャンスを得られて幸運だったと思います。