ぬえの能楽通信blog

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『敦盛』~若き世阿弥の姿(その20)

2010-03-18 01:07:47 | 能楽
よく言われることではありますが、クセの内容がシテの個人の心情ではなくて、平家一門の没落を描いていること、叙事よりも叙情に重点が置かれていることなど、『敦盛』の構成は修羅能の類型からは著しく逸脱しています。そうしてその破格の構成の白眉が、『敦盛』では修羅能のシテでありながら、クセに続いて「舞(謡を伴わず器楽演奏に合わせて舞う狭義の舞)」を舞うということです。血なまぐさい合戦の様子や、殺生の罪により死後も修羅道に墜ちて苦しみ、その救済を(多くは僧である)ワキに求める、というのが、ほぼすべての修羅能に共通するプロットですから、『敦盛』はまさに異質の修羅能です。(ちなみに『生田敦盛』も同じく敦盛がシテで、やはり舞を舞うのですが、これは後世の作で、『敦盛』の影響の下に同巧に作られた曲でしょう)

『敦盛』のシテが舞う舞…「中之舞」という舞なのですが、女性の役が幽玄に静かに舞う、有名な「序之舞」よりも少々アップテンポで、とはいえ貴公子の役が颯爽と舞う「早舞」や、直面の武士が強く舞う「男舞」よりはずっと ゆったりとした優美な舞です。いうなれば中庸の位で舞うから「中之舞」であるわけで、天女の役の『吉野天人』や『西王母』から、遂げられぬ愛に苦しむ女性が舞う『松風』『班女』、それから悲しみを隠して舞う『熊野』まで、じつに幅広い能に取り入れられていまして、そのテンポも曲趣に合わせてかなり広い位取りで囃される舞です。

『敦盛』の中でこの「中之舞」はどのような意味で舞われるのかを解釈すると…これは一ノ谷合戦の前夜に、平家一門が砦の中で管弦を奏した、その再現であるようで、それはクセに続く以下の問答から読みとれます。

シテ「さても二月六日の夜にもなりしかば。親にて候経盛我等を集め。今様を謡ひ舞ひ遊びしに。
ワキ「さてはその夜の御遊びなりけり城の内に。さも面白き笛の音の。寄手の陣まで聞えしは。
シテ「それこそさしも敦盛が。最期まで持ちし笛竹の。
ワキ「音も一節をうたひ遊び。
シテ「今様朗詠。ワキ「声々に。
地謡「拍子を揃へ声をあげ。   中之舞


いろいろな曲で広く使われる「中之舞」ですが、その中で『敦盛』では他の曲よりも速めに演奏する、とされています。それは、そもそもシテが舞を舞う例がない修羅能という曲趣によるものであろうと思います。「中之舞」という舞は事実上ほとんど女性のシテが舞う舞で、男性が舞う例が希有、そのうえ笛の森田流では『敦盛』は本来「中之舞」ではなく「黄鐘早舞」という、「中之舞」と「早舞」の中間的な位の舞の譜を吹くことを建前としています。

実際「中之舞」の笛の譜は、どちらかと言えば「早舞」「男舞」よりも、静かでたおやかな「序之舞」に近いように傾いて作られていまして、一方「黄鐘早舞」はどちらかといえば「男舞」に近い譜なのです。お笛のお流儀によって『敦盛』という曲の解釈が異なるためにこのような差異が生まれたものでしょうが、さらに言えばシテ方でもお流儀によっては『敦盛』のシテは「中之舞」ではなくて、前述の通り武士が舞う舞たる「男舞」を舞うことになっています。このような不統一があることは演者の中でも『敦盛』に「中之舞」が導入してあることに歴史的に とまどいのようなものもあったのかも知れませんですね。

ところが今回 ぬえは、稽古している中で、『敦盛』には「中之舞」…それも、静か、というのではないですが、「男舞」のような颯爽とした舞よりも、演奏のテンポはともあれ、シテの心情としてはやや「序之舞」に近いような、叙情的な舞い方の方が似合うのではないかと思うようになりました。

もう公演まで時間がないので詳述は後日にしたいと思いますが、先日稽古能ではじめて囃子方もお招きして『敦盛』を舞った際に、お囃子方と話し合った際にも、ぬえと同じではないまでも「速い舞」という意識はそれほど強くないのだということが確認できました。

このあたり…クセから「中之舞」にかけては、師匠から頂いたアドバイスや、この稽古能でのお囃子方の意見から、実際に舞ってみないとわからない『敦盛』という能についての演者の「気持ち」のようなものがうっすらと見えてきたような気がします。