ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『敦盛』~若き世阿弥の姿(その22)

2010-03-20 00:03:46 | 能楽
そうこうしているうちに公演は明日に迫りました。
『敦盛』についてブログに書き込みをする日数が足りませんでした…『敦盛』の作品研究については、今後もしばらく続けてゆきたいと思います。

今回の『敦盛』につきまして、上演にあたっては ぬえ自身の種々の工夫も加えられてありまして、とくに型につきましてはこれまでご紹介したものと、一部かなり異なる部分もございますので、明日ご来場下さいます皆様にはあらかじめご承知おきください。

『敦盛』は、じつは ぬえが初めて能と触れ合った曲です。
大学1年生のとき、当時 国文科に在籍していた ぬえは、文学研究に燃えておりました。とくに『平家物語』に傾倒していた ぬえは…現在もそうではありますが…、大学の先生に言われるままに、夏休みを利用して『平家物語』の影響の下に作られた伝統芸能を見に行くことにしたのです。最初は、当時まだインターネットはありませんでしたから、百科事典で「敦盛」を引くところからスタートしたものです。(笑)

そしたら…その項目には「能の曲の一」という説明がありまして、ぬえは「へえ…能に『敦盛』ってものがあるんだ…」と意外に思ったものでした。そうして次に ぬえは「ぴあ」を見まして、その8月のある日に能楽堂で能の『敦盛』が上演されることを知り、さっそくチケットを買い求めたのでした。

『敦盛』は たまたま夏の曲で、ぬえが古典芸能を見に行こうと思い立ったそのときに上演されていたのは偶然の重なりでしたね。忘れもしません、その夏の喜多流の公演で、ぬえは初めて能『敦盛』を見たのです。今となっては当時の番組もなくしてしまって、どなたがシテだったのかもわかりませんのですが…それは、あまりに衝撃的な体験でした。可憐な十六の面の美しさや、肩脱ぎをしている姿が甲冑を表現していることはすぐに首肯できるのに、それが薄ものの優美な長絹であることが、彼が合戦という場にふさわしくない高貴な人物であることを雄弁に語っています。その後 研究者のどなただったか、平家の公達のこの装束について平家の「文学的な弱さ」を表現している、と書かれたことがありましたが、その日 ぬえの前に現れたのは、まさしく『平家物語』に描かれたままの平敦盛の姿そのままだったのです。(!)

その時は、まさか ぬえは能楽師になるのだとは思いも寄りませんでしたが…。その後 大学の能楽研究会に所属して…まあ、いろいろな経緯がありまして、…このあたりはまた後日機会をみてお話してみたいと思います。ただ、人生というのはどういう契機で自分も思ってもみなかった方向に向かうのかは分からないもので、このあたりの ぬえの体験談はちょっと面白いと思います。

ですから、学生さんにお話をする機会があれば、ぬえは自分の体験をお話して、受験や進路に苦しむ彼らを励ましてあげることにしています。もとも ぬえは小学生に稽古をする機会が多いので、ちょっとこの話は早いかなあ…(^_^;

ともあれ、『敦盛』は ぬえのルーツとも言える曲なのです。大学生のときに一度 舞囃子を勤める機会があったときも ぬえは迷わず『敦盛』を選びましたし…今回は良いチャンスを頂くことができました。

…公演の前にお客さまに先入観を与えることは よろしくないので、工夫については書くのを控えますが、今回『敦盛』の稽古を重ねていくうちに、この曲は若手が演じる機会の多い曲であって、元気いっぱいの舞台を多く見るけれど、やはり『平家物語』の世界を背負っている曲で、滅びの沈鬱が見え隠れしないといけないではないか、と考えるようになりました。やっぱり「かわいそう」でなければ『敦盛』にはならないのではないかなあ、と、そんな事を考えております。

明日はお見苦しい点のないよう、心して勤めたいと存じます。ご来場頂ける皆様には、改めまして心より御礼申し上げます。当日が良き日になりますように。