ぬえの能楽通信blog

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『敦盛』~若き世阿弥の姿(その18)

2010-03-16 01:24:50 | 能楽
さて後シテとワキとの問答から、地謡による上歌へと舞台は盛り上がってゆきます。

地謡「これかや悪人の友を振り捨ててと正面へ向き出、ヒラキ。善人の敵を招けとはと右へウケて左手を出し。御身の事かありがたやとワキの前へ行き左袖を返してワキを見込み。有難し有難しと角へ行き正へ直し。とても懺悔の物語と左へ廻り常座へ行き、夜すがらいざや。申さん夜すがらいざや申さん。と小廻リワキへ向きヒラキ

この地謡の上歌の中でシテが行う型ですが、ここにも一つの類型化が見られます。「善人の敵を招けとは御身の事かありがたや」のところ、シテは右へウケて少し出ながら左袖を前へ出し、そのままワキへ向いてワキの前まで行き、止まりながら左袖を返すと、左足を引きながら右手にてワキの方へ向いて決める…この型は 観世流の場合、修羅能であれば必ずある型なのです。『経正』にも『田村』にも、『屋島』にも『忠度』にもこの型はあります。それも軍装で現れる…後シテになってから行われる型です。…ただし、後シテが作物から出て、すぐにクセを舞う『生田敦盛』だけは例外で、構成上この型は無理なので、なかったように記憶しますが…

この型はワキ…や、『清経』『俊成忠度』ではツレなど、脇座にいる シテに対応する登場人物に向けて決める型で、言うなればその対象者に対して主張するような場面で行われる型で、こういう場合 通常はサシ込・ヒラキとか 胸ザシ・ヒラキなどの型で表現することが通例です。なぜ修羅能に限って判で押したようにこの型が演じられるのか…理由は不明ですし、むしろ「類型化」そのものが目的なのではないか…? とぬえは考えますが、現に他流の『敦盛』のこの場面ではこの型は「ヒラキ」で表現されているようで、左袖を返して決める型は観世流独特のもののようです。

上歌が終わると「クリ」となり、シテは常座から大小前へ行き、正面へ向いて左袖を返しながら中まで出、両手で大口をたくし上げて止まり、このとき後見は床几を後ろからそえてシテは床几に掛かります。

<クリ>地謡「それ春の花の樹頭に上るは。上求菩提の機をすゝめ。秋の月の水底に沈むは。下化衆生の。形を見す。

この両手で大口をたくしあげる型ですが、これは型というよりは便宜上必要な動作で、お尻の部分が盛り上がった大口の両脇を手で引っ張り上げて、床几にかかり易くしているのです…が、あまり姿の良い型ではありませんし、現実にそこまで大口を引っ張らなくても床几には不都合なく腰掛けることはできますので、ぬえの師家ではこの型は形ばかりにしておいて、実際には大口を引っ張り上げないことになっています。

クリの文句の大意は「そもそも春になると花が木の高い梢に咲くのは、如来が衆生に対して向上心を持って菩提に再誕することを勧めているのであり、秋の名月のとき月影が水面に映るのは、如来が下界に下りて衆生とともに居ることの現れである」という意味。続いての「サシ」で、「それなのに平家の一門はそれにさえ気づかず…」と続くので、なかなか含蓄のある文句だと思います。

ところが面白いことに、この「クリ」は観世流と宝生流にはありますが、下懸リの金春・金剛・喜多流には本文がありませんね。その場合は上懸リではこの「クリ」のあとにある「サシ」の文句でシテは床几にかかります。

<サシ>シテ「然るに一門門を並べ。累葉枝を連ねしよそほひ。
地謡「まことに槿花一日の栄に同じ。善きを勧むる教へには。逢ふ事かたき石の火の。光の間ぞと思はざりし身の習はしこそはかなけれ。
シテ「上にあつては。下を悩まし。
地謡「富んでは驕りを。知らざるなり。


「槿花(きんか)」はムクゲという解説書もあるようですが、ここはアサガオと解しておきたいです。その方が一門が全滅する運命にある平家のはかない運命がよく伝わると思う。「石の火の光の間」とは「火打ち石から発せられる火花が見えている間のような瞬時」で、極楽往生に導く如来の教えに巡り会うことは、それほどに少ない機会なのだから、常に注意をもって慎んだ生活をすべきなのに、の意。「上にあつては下を悩まし、富んでは驕りを知らざるなり」とは「地位を得ては民衆に迷惑を及ぼし、富を得ては自分がおごった振る舞いをしている事についに気づかない」という意味です。このサシの最後にシテはワキに向きます。…これも定型ではありますが。