先月お知らせしました師家所蔵16mmフィルムのデジタル化プロジェクトですが、1巻のみですが ついに結実しました!
→師家所蔵 16mmフィルムのデジタル化大作戦(その1)
先月、師家所蔵のSP盤をデジタル化することに尽力してくださった名古屋の能楽研究者の鮒さん(あ、いやこれはニフティ時代からの彼のハンドルでして…飯塚恵理人氏というのが本名ですが)が東京の師家に見えられて、16mmフィルムの調査を行いまして、リストを作った結果、今回は日本の能を愛してやまなかったフランス人舞踏家エレーヌ・ジュグラリスを記念して昭和27年に三保の松原に建てられた碑の除幕式で先代師匠が舞った『羽衣』をとりあえずデジタル化することになりました。
その後フジフィルムの手によってフィルムのクリーニングとデジタル取り込み作業が行われ、今日、ついにDVDとなって納品されてきたのです!
早速 師家で試しに上映してみたのですが、まず感じたことは意外や非常に画質がよいことでした。もう半世紀もほったらかしになっていた16mmフィルムはクリーニングによってこんなにも見事に復元できるものなのですね~。映像も音声もほとんど見苦しい箇所はなく、非常に鮮明です。これならデジタル化した意義は大きいと言わざるを得ないでしょう。
さて内容は、というと、こちらは予想と反した結果にまたもやビックリでした。まずはその収録時間。元の16mmフィルムのリールが30cm近くある大きなものだったので、これは当日舞われた『羽衣』の全曲が収録されているのでは、と期待を持ったのですが、実際には7分間しか収録されていませんでした。フジフィルムの担当者さんに聞いたところ、16mmフィルムの収録量はそういうものなのだそうです。そんなに短いものなのか…これは知りませんでした。
そしてその収録された内容。これについては、まず収録された催しそのものの意義を語っておかねばなりませんね。
エレーヌ・ジュグラリスは第二次大戦中から戦後にかけて活躍したバレエ舞踏家で、40年代はじめ頃から日本の能に強い関心を持って独学で研究し、とくに『羽衣』に魅せられてこれを舞台化した人です。『羽衣』への深い傾倒は、装束を自作したことなどからも窺われます。1947年に初演されたエレーヌ版『羽衣』は好評を博し、各地で公演がもたれましたが、その同じ年の6月には舞台上で倒れ、白血病のため2年後の51年に35歳の若さで他界しました。
→師家所蔵 16mmフィルムのデジタル化大作戦(その1)
先月、師家所蔵のSP盤をデジタル化することに尽力してくださった名古屋の能楽研究者の鮒さん(あ、いやこれはニフティ時代からの彼のハンドルでして…飯塚恵理人氏というのが本名ですが)が東京の師家に見えられて、16mmフィルムの調査を行いまして、リストを作った結果、今回は日本の能を愛してやまなかったフランス人舞踏家エレーヌ・ジュグラリスを記念して昭和27年に三保の松原に建てられた碑の除幕式で先代師匠が舞った『羽衣』をとりあえずデジタル化することになりました。
その後フジフィルムの手によってフィルムのクリーニングとデジタル取り込み作業が行われ、今日、ついにDVDとなって納品されてきたのです!
早速 師家で試しに上映してみたのですが、まず感じたことは意外や非常に画質がよいことでした。もう半世紀もほったらかしになっていた16mmフィルムはクリーニングによってこんなにも見事に復元できるものなのですね~。映像も音声もほとんど見苦しい箇所はなく、非常に鮮明です。これならデジタル化した意義は大きいと言わざるを得ないでしょう。
さて内容は、というと、こちらは予想と反した結果にまたもやビックリでした。まずはその収録時間。元の16mmフィルムのリールが30cm近くある大きなものだったので、これは当日舞われた『羽衣』の全曲が収録されているのでは、と期待を持ったのですが、実際には7分間しか収録されていませんでした。フジフィルムの担当者さんに聞いたところ、16mmフィルムの収録量はそういうものなのだそうです。そんなに短いものなのか…これは知りませんでした。
そしてその収録された内容。これについては、まず収録された催しそのものの意義を語っておかねばなりませんね。
エレーヌ・ジュグラリスは第二次大戦中から戦後にかけて活躍したバレエ舞踏家で、40年代はじめ頃から日本の能に強い関心を持って独学で研究し、とくに『羽衣』に魅せられてこれを舞台化した人です。『羽衣』への深い傾倒は、装束を自作したことなどからも窺われます。1947年に初演されたエレーヌ版『羽衣』は好評を博し、各地で公演がもたれましたが、その同じ年の6月には舞台上で倒れ、白血病のため2年後の51年に35歳の若さで他界しました。
こちらに彼女についての説明があります。自作の装束は、ちょっと むむむ…という感じですが。
→エレーヌ・ジュグラリスについて
ジャーナリストだった夫のマルセル・ジュグラリス氏は夫人の逝去の4ヶ月後に経済紙の特派員として日本を訪れ、病床で『羽衣』の舞台である三保の松原への憧憬を語っていたエレーヌの遺髪を携えて現地を訪れました。この事が契機となって現地でも反応がわき起こり、翌52年(昭和27年)にエレーヌ夫人が能面に見入っている姿を刻んだブロンズ・レリーフをはめこんだ「羽衣の碑」が建てられたのでした。このときの除幕式で ぬえの先代の師匠が能『羽衣』を勤め、これを記録したのが、今回デジタル化した16mmフィルムです。
さてフィルムの現物には「三保の松原 羽衣 昭和27年」という程度しか記載されていませんでした。これがエレーヌ夫人の碑の除幕式の記録だということは 門下である ぬえにはすぐに気づきましたので、これは貴重なものが発見されたぞ! と心躍りましたですね。そのときの ぬえは、てっきり当日の『羽衣』の上演が1番まるまるそのまま記録されているのかと思ったのですが…実際はそうではありませんでした。
内容は、能…というよりは除幕式を記録した7分間のドキュメンタリーだったのです。