出し忘れた方への年賀状を書きながら、あれ、そうか~?と思ったことがありました。
常々、なんとなくですが、年を取るのではなく齢を重ねる生き方がしたいと思っていて、今年の同級生からの年賀状の“年々自由が利かなくなるよね”と言う言葉に、それもあるけど肯定的な意識を持って生きたいものだとも思いました。
それは、今年90歳になる母の日常の言葉からも感じていることだったのですが、、、
年を取る、この“取る”ってどんなことなんだろう、取っちゃいけないんだろうか?と。
最近、なぜか年齢のことが話題に上ることが多くなり、28歳と言い募りながらも、年を取るんじゃなくて齢を重ねたいよねえ、そんな言い方をしていたんですよね。
国語辞典、漢和辞典を引っ張り出して、“取る”“年”“齢”を調べてみましたが、いまいちよくわかりませんし、“年を取る”という言葉にも年齢を重ねるとという意味もあって、使い方間違えてた?
自分の意識の中では、年を取るという言葉に、決まった寿命に向かって年々一歳が減じて行き、年々老け込むという使われ方をしているというマイナスイメージがありました。
一方、年を重ねることは、また新たな知識を得たり経験もでき、新しい人との出会いがあり、物事を見る視点が一段と広くなり深くなるので、とても素敵で、誇らしいことだと思っています。
調べてみてですが、、、
調べてみてですが、漢和辞典は語源がもっとわかるような詳しいものが欲しいなあということ、そして、日本語の「トル」「ト」「ル」という言葉の持つ思念を知りたいなあと。
それと、面白いことが書いていたので、幾つか紹介したいと思います。
一つは、「齢」ということですが、歯医者さんのブログには下記のようにありました。
歯がなくなると顎間距離(上下のあごの間隔)が短く(狭く)なり、健康感が失われます。顎間距離が短くなると「ふけ顔」になります。
ふけ顔は弱そうに見えるでしょ?
そうなんです。
それを年齢が増すと「弱弱しく見える」ので昔の人は「齢(よわい)」の字を当てて、「年齢を表現する字」にしたのです。
「齢」は「よわひ」とありますが、それはそれとして、けだし、歯は本当に大切ですね。
もう一つ、GACKTがブログで恰好良いこと書いていました。
【歳を取る】とは、歳を増すごとに己の人生から責任を一つずつ取り省いていく生き方。
一見、【歳を取る】生き方の方が楽なように思えるが、【歳を重ねる】生き方をしている人達の方が圧倒的な強さを手に入れられる。
それは物理的、身体的な上でも精神的な上においてもだ。
きっと、そんなに強くなくてもいいやと思いつつも、皆さんもそう思われるのではないでしょうか。
もう一つ、作家の大平一枝さんは、受け入れる~見せ方より過ごし方のほうが重要ではないか、ただ、いくつになっても自分に“かまう”ことは女性として忘れたくないと書いていました。
そうだよと思うと同時に、「自分に“かまう”こと」は男としても忘れたくないなあ。