新年あけましておめでとうございます。
青空が出たかと思うと雲が広がるお天気ですが、元日の朝、青空とお日様の光りの恵みがあっただけでもありがたい、本当に感謝ですね。
そんな元日ですが、恒例の新年勤行会は嫁さんの意向で明日に回して、我が家で過ごしています。
百姓仕事はいろいろありますが、まさか元日からじゃないので、本を読みながら思索したりPCに向かったり(少し昼酒も)して過ごし、昨日のブログへのコメントへの返信を書きながら、そうだ!
どうすれば孤独になれるか?
昨日のテーマは、“お一人様の老後と最後”でしたが、書き込みのコメントを読みながら、ある方の“孤独死”ってないよねとの言葉と合わせ、エスキモーは例え一人でもうるさいくらいに感じているとの言葉を思い出して返信したのち、調べてみました。
出所と聞いた黒澤明監督の映画に行きつかないので、聞いてみると、20世紀初頭のシベリアでの実話をソ連と共同で制作した「デルス・ウザーラ」だとわかりました。
エスキモーではなく、シベリアのタイガで一人暮らし、自然を知悉したデルス・ウザーラという現地の人で、彼は常にうるさいくらいの生命の声を聞き、独りというものを感じたことがないので、孤独を発明した現代人にどうしたら孤独になれるか教えて欲しいと言ったのだとか。
ネットで、本も出ていると知り、1965年発行の「デルスウ・ウザーラ」を注文しました。
このデルス・ウザーラと重なったのが、今読んでいる上古代の人たちが直感した天然物理に関する本「相似象」ですが、それは、タイガに住むアナスタシアの生き方とも通底しています。
自然を含めた天然を直感・直観できたら、生き方はもっと変わるだろうし、もっともっと生命が躍動する生き方ができるのではないか、と思わずにはいられません。
深い誇りを持ち、賢明に生きたい
さて、相似象は今の僕にはいささか難解ですが、それでも目から鱗の連続です。
例えば、日本語は渡来人がもたらし、日本の最古の文献は記紀であるとされ、大和朝廷以前に日本の古代史はないと教えられてきました。
しかし、古事記序文には「先代旧辞」と記され、日本書紀編纂時には天武天皇が「旧辞を討覈(トウカク・厳しくうつ)し」と命じたと記録され、稗田阿礼にも旧辞を誦み習わしめたようです。
つまり、記紀以前に多くの旧辞が存在したことを類推させるのですが、戦後、頸木が外れて300もの古代文字が世に出ているのは戦後の日本人の創作だったのか?
また、カタカムナ文献を世に出した楢崎皐月は、かつて在満当時、シナの老子教の道士の間に、老子の言葉として、「日本の上古代に、アジア族が存在し八鏡の文字を使ひ、特殊の鉄をつくり、高度の文明を持っていた。それが新農氏らによって伝へられてシナの文化のもとになった」と、秘かに伝承されていることを、蘆有山老子より直接聞いていたとのこと。
八鏡文字とは、カタカムナ音声符による文字、八鏡化美津文字を略した言葉なんですね。
私たちは、日本の古代史にも目を向け、深い誇りを持ちたいものだと思います。
とともに、上古代の人たちの鋭い直感・直観に基づいた生き方を参考に、私たちの社会が直面する多くの課題に押しつぶされることなく、賢明に生きて行きたいものだと感じています。