押し詰まってきましたが、例年通り?年賀状の追い込みです。
昨日午後買い求めてきて、昨夜から作業開始、一応印刷は終わりコメント書きを進めています。
夜中には終えたいけどなあ。
そんな今日、待っていた「『密息』で身体が変わる」が届きました!
早く手に取りたいと思い、年賀状の合間にちょこっと残していた「倍音」を読み終えました。
「倍音」について書くのは何度目になるのか?いや、この本って凄すぎかもしれません。
西洋音楽が日本に歩み寄る
最後の章には、現代音楽、フリー・ジャズ、ロック、ヒップホップなどの新しい音楽は、西洋的な音楽の枠組みから日本的な音楽の枠組みへと歩み寄ってきた形と見ることもできると。
人類が音を扱ってきた歴史は、最初の音響のみから、ネアンデルタール人のころに言語、音楽、音響が一体化し、クロマニヨン人のころから言語・音楽が分化、以降、西洋では言語と音響と音楽を明確に分化させ、音楽では基音と倍音とを分化させて、基音に基づく音組織を作り上げた。
そして、旋律は順列組み合わせによりすべてが出尽くしたという考え方まで生まれる中で、日本的な音楽の枠組みへと歩み寄る流れ。
かつて、ビートルズがシタールを取り入れたことを思い出しましたが、これもそうした流れ?
西洋化がコミュニティ崩壊の一因
右脳・左脳論議を巻き起こした角田先生は、日本人が左脳で言語を受け入れる母音文化を持つ故に、自然環境の中の雑多な音から虫の鳴き声やせせらぎの音などを聞き分けることができるとしました。
日本的な音楽なども、実はそうした特質の上に発達し、整数次倍音や非整数次倍音が豊かな多層性を持ったコミュニケーション手段として伝わってきたのだという。
そうした中で育ってきた日本の伝統文化は、西洋化を進める中で次々と打ち捨てられてきましたが、それは、コミュニティ内を繋ぐ非言語コミュニケーションとして大切な役割を果たしてきたものを失わせ、コミュニティの崩壊を引き起こす一因になった。
アナスタシアの提唱する一族の祖国コミュニテーが、ロシアをはじめ世界各地で立ち上がっていますが、そのコミュニティ内の意思疎通と結束に歌と踊りのある祭りが大きな役割を果たしていると聞きます。
今、私たちは、地域コミュニティ再興のためにも伝統的な習俗、民俗芸能や民謡、わらべ歌など、日本の文化を守り伝えることにもっとエネルギーを注がなければならないかもしれませんね。
音楽音痴の僕には、ちょっと難しい話も多くありましたが、今興味をもって首を突っ込んでいるようなことと通底することが多く、読み応え満点、早く届いた本を開きたい欲求に駆られています。
Facebookってお節介
Facebookってお節介だなあ、よくそんなことを感じています。
これもお節介といえばお節介なんだけど、そういえば!と懐かしげに思い出した写真。
現職時代、ちょうど5年前に地元中学校の特別支援学級を訪ねた折、僕をモデルに生徒が書いてくれた画です。
よく似ていて、びっくり。
とっても嬉しかったことを昨日のように思い出しました。
この頃には、ほぼ今の体型になっているので、写真を出しても恥ずかしくない(*^^*)