松本清張の「砂の器」、数年前に一気に読んだ覚えがあります。
重要な舞台設定の一つが“亀嵩駅”でしたが、被害者が蒲田駅の近くで誰かと飲んでいて、傍で飲んでいた客が「カメダ」と話していたことを思い出す。
事件解決の糸口は、東北弁と雲伯方言(出雲弁)がともにズーズー弁でとてもよく似ていることを知ったことでしたね。
写真はWikiからコピーさせていただいた亀嵩駅ですが、ここの駅のソバは美味い!
おっと!脱線しましたね、鉄道だからじゃないですけどね(^^;;
東北と出雲
さて、東北弁と出雲弁、何れもズーズー弁ですよね。
柳田国男の「蝸牛考」でも似ていることにふれられていましたが、筒井功著「縄文語への道」でも言語的にもですが、習俗が似ていることが指摘されています。
三内丸山にも滞在したと言われる出雲の民は、そこに定住することなく長い時間をかけて日本海沿岸を下って行き、出雲に定着したと伝わっています。
出雲に定着した最大の理由は、チタンの含有が少なく加工が簡便な良質の砂鉄があったからだと言われていますが、まだ鉄を加工した痕跡は見出されていません。
その途中には、秋田の大湯環状列石等の痕跡が残っているとも。
3は聖数
出雲の祖神はクナト神、幸姫命の夫婦神、子神のサルタ彦の三神で、3は出雲の聖数なんですね(白川静も字統で3は聖数と書いています)。
で、三内丸山の大型建物の柱は3本×2、大湯環状列石にも大きな柱があるそうですが、3本の列が少しずれて2列。
田和山の神殿や大社造りはどうなっていますか? そう、基本は3なんですよね。
「縄文語への道」には、巨大柱は(諏訪の御柱も)樹木崇拝が本質と書かれています。
また、熊野大社に残る火きり神事、檜の語源は「火の木」で、木から火が出現する故に木を神聖視した、そして、巨大柱を木の主、木の親玉と意識したのではないかと書かれ、そして聖数を並べたのだと。
ついでに、大湯からはヒト型の土版が出土していますが、耳の位置には棒状のようなもので窪みが左右3つづつ、古代、耳の付く名は尊い人という意味があったとも。
東北人と出雲人のDNAデータが
そして、東北人と出雲人のDNAデータが・・・そう、とても近いというのです。
この衝撃の事実!斎藤成也著「日本人の源流」にデータを添えて書かれています。
このことを知ったので、直ぐに図書館に出向いたら貸し出し中、予約して帰り、戻ったとの連絡を受け、今日借りて帰りました。
斎藤成也氏、国立遺伝学研究所の教授ですから、事実に基づいて書かれています。
このことを知りたいと、取り合えずの所で斎藤成也氏編著の本を2冊、読みましたが、「日本人の源流」ほどには詳しく書かれていません。
やっと!!
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