「そもそも、そんなにまでして生き延びて、いったいどうしようというのだろう」
激しく同意するんですが、、、昨日の地元紙のコラム「新型コロナと文明」の一節。
続けて「個体としての生命が最優先されていいものか。自分たちの都合で将来の世代に迷惑をかける点で、9年前の原発事故と同じ過ちを繰り返す気がしてならない」と。
前段では「コロナの感染症で死者が続出していることは事実だ。しかし、他の病気はこれまで同様に存在しているし、事故や事件、自殺によって命を落とす人の方が多い。高齢者が若年者より死に近い場所に置かれているのはこのウィルスのせいではなく、自然の摂理である」
続けて「感染症予防のための社会的措置が経済活動を傷つけ、多くの人が職を失い困窮しつつある。感染症で失うものより日常活動の停止で失うものの方が将来に禍根を残し、重大かも知れない」
かつて、ある特別養護老人ホームを訪れた際、20年以上入所していると仰る80代後半の方がありましたが、本人の意思はどうなのかと思い暗澹たる気持ちになったことがありました。
本人が生にしがみついた結果かどうかはわかりませんが、社会がその結果を生み出していることは間違いありません。
また、私たちの社会が抱える様々な難題は、「個体としての生命を最優先した」結果であり、「自分たちの都合で将来に迷惑をかけている」のだろうと思います。
都市封鎖と集団免疫獲得
新型コロナについては、多くの人たちが積極的な封じ込め対策によって集団免疫の獲得に時間がかかる結果となり、社会的ダメージを大きくし、解決を長引かせていると指摘しています。
田中宇の最近の記事「新型コロナウィルスは存在する?」では、生物免疫学が専門の徳島大学の大橋眞名誉教授の新型コロナウィルスは存在しないかもとの指摘を紹介しつつ、コロナ危機の本質は、「重篤性が低いウイルスを大変なウイルスだと誇張し、都市閉鎖や社会距離などの効果がなく有害なだけの策を人類全体に延々と強要していることにある」としています。
勿論、こういう言説を支持するかどうかは個々の問題ですが、僕は、大本営発表に踊らされるよりは、人様にはご迷惑が及ばないようにしながらも、自然の摂理をそのまま受け入れる、そんな生き方をしたいものだと思っています。