朝、東出雲の畑でズッキーニの種まき。
皆で植え付けたサツマイモの苗、お天気続きの時だったから少し心配していましたが、この空模様にも助けられて?弦だけになっていた苗もちゃんと芽が出つつある!
こうありたいスゴイ生命力!この写真をと思っていたのについ撮り忘れて、、、
夕方の空き時間などに手に取った内田樹の読みかけの本、一昨日の夜からこれは卓見と思いながら読み進めている一テーマ、これは是非ブログに書きたい!!
それは、「サル化する世界」に収められた“比較敗戦論”、戦争の総括が適切になされたかどうかは国の浮沈にかかわることだからと。
かつて読売新聞の渡邊恒雄は、日本は先の戦争の総括をしていない故に困難な問題が起こっていると指摘していました。
それぞれの敗戦論、戦勝論はひとまず置くこととして、アメリカは国民が負の歴史を昇華するのがとても巧いと。
アメリカ人は、自国の「恥ずべき過去」を掘り起こすことができる。自分たちの祖先がネイティブ・アメリカンの土地を強奪したこと、奴隷たちを収奪することによって産業の基礎を築いたこと、それを口にすることができる。そのような恥ずべき過去を受け入れることができるという「器量の大きさ」において世界を圧倒している。
翻って、わが国の太平洋戦争下の南京大虐殺、従軍慰安婦などなど、私たちが行った忌むべき戦争の総括もろくすっぽせずに、「美しい国」ですか?
淵源をたどると、ひょっとして記紀に遡るかもしれません。
私たちは臭いものに蓋をし続け、直視することをしてこなかった?そこを直視する器量がない限り、精神の大国として発展することはないかもと思えるのです。
このまま二流、三流に堕し、ずるずると後塵を拝する国になるのは寂しいことです。