話し言葉って、随分変化してきているようですが、書き言葉もなんですね。
文字がなかった
もっとも、漢字文化が入ってくるまでの日本には文字というものがなかった。
もしかしたら、古代文字は何種類か存在していたのかもしれませんが、日常的に使うものではなかったようだから。
一部の人しか使えなかったにしても、歌い継がれてきた歌を漢字で書き起こした。
それも大和言葉で、いや最初は完全な漢文だったのかな?
そして、かな文字を生み出し、どんどん変化させていくんですね。
そのかな文字も、最初はかな文字だけで書かれていたのが、漢字かな交じりだったり、かな漢字交じりだったり。
融通無碍ですよねえ、書体も幾通りもあって、明治になって統一したんですね。
そういえば、シナのそれぞれの地域で発展していた漢字も、秦の始皇帝が度量衡とともに統一したのだとか。
「ジ」と「ヂ」
そうそう、「ジ」と「ヂ」、「ズ」と「ヅ」とかは発音も違っていて使い分けていたんだそうですが、いつの間にか一緒になってしまってる。
和歌を詠むと、繊細だなあと思いますが、それは、ジとヂを使い分けるような繊細さでもあると思いますが、そういう繊細さが失われてきているような💦
本についても同様?私たちが手にする本は完本、作者も明確だし、全て整えられたもの。
昔は、学びのテキストとして、手に取ったそれぞれが訂正したり書き加えたりして、そこからまた新たとも言えるような本が出来上がったのだとか。
手書きのものはもちろん、版木で印刷されたものもそうだった、だから、源氏物語だって本当の作者は?ってことになるようです。
語源のはっきりしない、独自性の強い日本語、これからも変化していくのでしょうか?
それとも、手紙を書くことも激減し、活字は全てデジタル化され、AIが小説を書くような時代、日本語の融通無碍さや繊細さは失われるのか?
淋しくならないで欲しいものです。