最近、漢字って“一休さん”の世界に足を踏み入れている?
そんなことを感じた“手巾”、あなたは読めますか?
僕は、てぬぐい?きんちゃく?、でもそうは読まないよなあ、正解を見て唖然。
いや、西洋の言葉をどんどん取り入れ、新しい日本語を生み出してきた明治時代があったしなあ、、、
でも敢えてハンカチに“手巾”の漢字を当てる意味、意義が全く感じられない。
もしかしたら、既に明治時代にこの漢字を生み出していたのか?
今朝も“山積”を問う問題、僕は“さんせき”の方をよく使うからそう思い浮かべたら、正解は“やまづみ”。
どっちでもいいやん、それで、“さんせき”は間違っているの?
ネットで見ると、“やまづみ”は日常語、“さんせき”はやや硬い言葉とあります。
書き言葉としての漢字って?
「日本語の考古学」を読みながら、日本語は繊細で融通無碍、これからも変化するんだろうか?と思いながら先日のブログに書きました。
以前「たそがれどき~誰そ彼?」とのブログを書きましたが、感性の質は変化するにしても、日本の“ことば“の繊細さは歌や映画などで受け継がれていくように思います、いや、受け継いでいってほしいもの。
ただ、切手代が3割も値上げされる活字離れの時代、書き言葉としての漢字にそれほど拘泥しなくても良いのかな?と思っています。
そもそも、文字を持たなかったと言われる日本は、漢字を輸入し、大和言葉を生み出し、融通無碍に変化させてきたのですから、、、
そして、あれほどに繊細な和歌の文化を生み出したのですし。