すごい勢い!って感じですが、、、
春のお花が我も我もと、競って花を咲かせていますね。
新庄の庭では、色とりどりのツツジやサツキが花を開いていますが、あっ、いつの間に!白い藤の花とハナミズキがひときわ艶やかに咲き競っています。
他の庭木や竹に巻き付き、大暴れしていたので随分整理してしまったけど、律儀にも花を咲かせてくれてありがとう。
自然って、厳しいけど優しいですね。
そういえば、ハナミズキに似てとても艶やかなコブシ、花の命は短くて、、、残っているのはあと一輪だけ。
高校時代の恩師が、といっても、確か習ったことはないはずですが、、、
今日の地元紙の連載特集「コロナ禍に生きる」に書いていらっしゃいましたが、この記事、とても共感しながら読ませていただきました。
キャプションの「禍を転じて福となす」なんて、生命にグサッとくるじゃありませんか。
そしてそして、先生は最後に、
われわれ出雲人には「ひそやかに生きる」思想がある。日本人の美意識を守り、回復していく可能性が、ここ「出雲」にはあると思う。
これ、涙が出そうななった一文です。
古来、出雲の民は争いを好まなかった、僕は、制度疲労の噴出する時代に、豊かではないけどとても幸せに暮らしている民がいる、そういう視線の注がれる島根でありたいと思ってきましたが、アフターコロナって、そのスタートかもしれませんね。
ポストコロナって?
先生の投稿もとても嬉しく読んだのですが、もう一つとても嬉しく読んだのが一昨日のコラム「明窓」で、その気持ちをUPしようと思っていましたので、ちょうど良かったのかも。
筆者の(築)氏、気になったので、とても共感しましたとさっき電話で話しました。
彼は、このコラムをポストコロナの視点で書いていて、それを考える視点に共感したのですが、、、
このコロナを彼は、
「取り戻そうとする『元の状態』がどれほど正しかったか自問する機会でもある」と書き、「物理的破壊を伴わないコロナ禍は既存の社会構造を強制的に変化させ、流れはおそらく止まらない。騒動は必ず終息するが、戻ってくるのはこれまでと違う日常だろう。『アフターコロナ』の時代に一人一人がどう向き合い生きるかもまた考えるべき時に来ている」と結んでいます。
ただ、リーマンショック、フクシマ、変わらないわけがないと思っていたのに、拝金主義、強欲資本主義は変わらず、その現実に唖然としてきたのですが。
さて、ポストコロナって、ことさら書くものがあるのかどうか?
律儀に律儀に
そんな生臭思考など全くかまうことなく、、、
はっと眼が行き気が付けば、花が来ていたエンドウの株に、律儀に律儀に実りが。
今年の初物、美味しい~~~!!!!
灯台下暗し、よく言ったものですね、な~~んだ!新庄の敷地に群生してた!
昨年、大山でクレソンやセリなどを採っていて、これ美味しそうな野草だよなあと口に含んでみると、いける~~!!
摘んで帰ってサラダで食べたのですが、先日の山登りで一緒に行った方が「丘クレソン」とか言って摘んだのがまさにこれ。
やっぱり食べれるんだ~~!!、で、先日も摘んで帰りました。
サラダに最高!もっとと思っても、大山まではおいそれとは行けない。
ところが、今日庭の草刈りをしていて、あれっ!これっ?草取りに切り替えた時に目に入ってきた花と見覚えのある葉っぱ。
普段ほとんど足を踏み入れない裏庭~敷地的には表ですが~にいっぱい!
丘クレソン、正式名称クレソンアレノア 、新庄の食卓では当分お世話になるんでしょうね。
スーパーニンジン
一昨日、野草摘みをしている時に友人が遊びに来て、一緒に野草摘み。
セリ、三つ葉、ヨモギ、カラスノエンドウなどを摘んでいると、あっ!スーパーニンジン!と言って野生のニンジンの葉っぱらしきものを抜いています。
食べれるとは知っていましたが、近種に毒草もあると聞いていたので、チャレンジしていなかったんでよね、でも、調べると白い根っこ、ノラニンジンというどっちが親か知らないけど、人参の近種。
彼女がスーパーニンジンと呼ぶくらいだから高エネルギーのはず、また一つ、自然からの頂き物リストへの掲載が増えました。
この鳥?
新庄の台所で事務仕事をしていると、ヒヨドリくらいの大きさだけどちょっと違う鳥?が。
珍しくカメラを構えて一枚、長いレンズじゃないのでピントが合ってない。
何だろう、この鳥?ムクドリ?
やっぱりと長いレンズをつけたカメラを置いておくことにしました。
よくあることながら、まだまだ時間があると思っていたのに、、、
書道のお稽古、時節柄、房仙先生に直接ご指導いただく教室はなくなり、ネットを介して皆が集って直接指導を受ける、Zoomとかいうシステムでの教室。
ただ、どんどん便利になるネットやパソコンなどの仮想技術、新しいものに取り組む気力が失せてしまい、似たようなものかもしれないけど、YouTubeでの通信で受講することにしました。
今日は締め切りギリギリ、やっと書き上げて先生に送る作業を終えました。
新しいものに取り組む気力もですが、時代の波から外れているけど、これ以上ネットに依存する便利な生活に大きな違和感を感じているからです。
現職時代、ネット依存の問題に取り組んできましたが、どんなに便利になろうとも、リアルに勝るものはないし、心を病むことのない生き方が望ましいと思っていたから。
それは、実は自分の経験でもあり、、、人って、いや、脳って余りにも簡単に洗脳されてしまうもんなんだと怖くなりました。
便利は技術をなくす
そういえば、ある小学校で「いまいましい石」という絵本を使った図書館を活用した授業を見学したことがあり、そうだよなあと。
20年近く前の本ですが、メディアの力はもっともっと強大になり、5Gだとかいう超便利なものが広く展開する社会もすぐそこ。
折しも、コロナで子どもたちにタブレットを持たせて授業をすることが一挙に広がろうとするこの時、僕はちょっとした危惧を抱くんですが。
“便利は技術をなくす”、いつも心して反芻する言葉です。
これはすごい!究極かもと思ったアナスタシアの教育観、生の経験を積むことこそ、便利な時代を真に切り開く創造力に繋がるんじゃないかなあ。
人が長い時間をかけて磨いてきた技術や伝統、大切にしていきたいものです。
“ご縁紡ぎのランチ会”が中止になった今日、いけずご王国の26日のイベントのワークショップで作る予定だった薪を置く場所、参加予定だった方とやっつけ仕事で骨組み完成。
簡易カマドを設置している小屋に付属させ、鋼管と新庄にストックされていた材木を有効利用して増築工事。
焚火を囲むイベント用の50センチ、カマド使用のための30センチ、2種類の薪をストックする予定。
後日、流木拾いをして26日には薪づくり、屋根葺きと壁の板張りです。
まあ、小屋が崩れることはないと思いますが、、、
いけずご王国も、皆さんのお陰で着々と環境整備が進んでいますが、26日、子どもたちのためにと企画したイベントもこの騒ぎで中止。
体を動かしたいスタッフでマコモの田植えや、薪小屋づくりと薪づくり、そして、焚火を囲んでランチや懇談をと考えています。
湯浅誠さん
今日の地元紙7面、おっと~~!!つい先日、尾野君と話していたんですよね。
記事の湯浅さんと限界集落を歩き、夜、川本町で交流会をやった時、いきなり現れた面白い若者が尾野君で、とても印象的な出会い。
以来、こんなおじさんとちゃんと付き合ってくれ、おさむちゃんって親し気に呼んでくれている彼、茫洋として深く広い懐の尾野君です。
おっと、湯浅さん、まさか(おっと失礼!)こんなに有名人になろうとは。
でも、今日の新聞、やたら懐かしく、嬉しかった。