叔父の竹やぶ整備、朝から1時過ぎまで。
先日掘ったばかり、ないだろうと思っていたけど、見落としていた竹の子2本!
一本は大きかったので大鍋で湯がき作業。
先日は、簡易かまどとロケストで大鍋二つに湯がきましたが、今日は鍋1個で(*^^*)
でも、もうすぐ湯がきが追い付かなくなるだろうと思い、簡易かまどを1基追加。
今シーズンも大活躍する、はずです(^^v
やることもいろいろあり、今日は新庄にお泊り。
まずは、昨日参加したマイ醤油づくりのワークショップ、少し時間に遅れて到着したら、今日の参加者の皆さん、既に仕込み作業が終わっていて(^^;;
お塩は外国産の天日塩、でも身土不二にこだわりたいと思い、味噌づくりの時のお塩を使って仕込むことに決め、材料を頂いて帰りました。
ということで、筍の湯がきが終わったらマイ醤油の仕込み。
教わった通り、塩水を作り、その中に大豆と小麦半々の醤油麹を投入、ペットボトルに入れるのに難渋(><
何とかかんとか投入を終わり、後は、ヒンジキャップを取り付けるだけ、だけど、やはり道具がないと付けられないですよ、これが、さてどうしたものか。
てなこともありますが、一ヶ月間は冷蔵庫に保管しながら1日1回よく混ぜる。
後は、常温で保管しながら、一月1回よく混ぜるだけ。
来年の今頃、搾りも結構大変だけど、苦労の甲斐でとっても美味しいお醤油が堪能できる、ことになっています。さても楽しみなこと。
昨夜炊いたべべ貝ご飯をタッパーに詰め、ノリだけ持って東出雲の畑で一日農作業。
まずは、隣の田んぼが宅地に変わり、どうなるのか恐々としていた隣地に、境界ぎりぎりに2階建ての家が建設中の写真の畑で大豆の種まき。
三角の畑ですが、ほぼ南側に2階建てのお家ですから、日照時間は相当厳しそう。
普通の6割くらいの日照があれば大丈夫と仰る専門家の方もあったので、今年は実証実験といったところ。
なかなか手が回らないので、草刈りがしやすく、土寄せするぞ!という決意を込めて、畝間を広~くとって一条植え。
手が行き届く前提の平年作だと、植え付けがはるかに多かった昨年よりも収穫は上回る予定ですが、さて。
3時過ぎに作業を終え、もう一枚の畑の草刈り。
種を落とした緑肥のヘアリーベッチと、カラスノエンドウなどがジャングル化した畑、草刈り機を使っていても大変な重労働。
5時まで頑張って半分ほど。
でも、きっと作付けは草刈り終えたところもカバーできないだろうから、、、
コロナのおかげで時間があるようで、やることが山積みだからやはりそうでもない?
体は少々きついけど、今日も変わらず楽しい時間が過ぎています。
新聞、TVと縁が切れてしまって1週間余り、とても平穏な日々です。
もちろん、買い物にも行くし、人にも会いますが、科学的、学術的なニュースが耳目に触れないと、自然界との距離が近くなり、自分にとっての生きる本質のようなものがクリアになってくるように思えます。
空港駐車場、がら空き~~
今日、知人を送って米子空港に行きました。
着いてビックリ!普段満杯の駐車場はがら空き、空港の飲食店や売店も半数は休業。
新聞やTVと縁が切れると、こんな現実にもビックリ~~!!
ロビーに人影はほとんどなく、東京便も5便から2便に減便。
東京への便の乗客は20人ほどだったとか。
日本人?人間?ってとても律儀なんですね。
ネットニュースで「世界経済成長3%減、新型ウイルスのため『世界恐慌以降で最悪』IMFの最新見通し」との記事を見ましたが、さもありなん。
心配なのは、コロナの死者よりも経済の破綻で自死する方の数がはるかに上回るのではないかということ、杞憂であって欲しいと思いますが、、、
コロナ、絶好のチャンス!?
風の人・尾野君は、経済が大きく変わるだろう、一人で生きていける力を持てる時代かも、そんな話をしていましたが、まさにそうかも~~。
モヤモヤを抱える多くの人がそれを形にするには、PDSではなく、書く→話す→寝かすのサイクルを繰り返すことだとも聞かせてくれました。
コロナ禍のお陰でそれが心置きなくできると考えると、俄然面白いですね。
以前、夢の宝地図を教えてくれる方があり、本も買って読み、僕の夢の宝地図を作って部屋に飾り、手帳に写真を張り、携帯にも入れていました。
1年ほどやっていたかなあ?今振り返って見ると、ボードに張った自分の夢や目標が全部実現しているかも。
意識は現象化と言いますが、まさに!!意識をどう明確化するか、今は絶好のチャンスかもしれませんね。
嵐の後だからでしょうか、春なのに雪を頂いた大山がくっきり。
すれ違った車から拳骨大の雪塊が2,3個道路に落ち、パラ~と広がって行きました。
一昨日、買い物に行った本庄の道の駅ではみぞれ混じりでしたから、大山では新雪が積もったのでしょう。
陽気に誘われて山菜を取りに行きましたが、空気がとても新鮮、桜の赤い若葉が鮮烈でくっきりと浮かぶ大山に映えていました。
あちらこちら探検しながら走り回り、帰りがけに見上げた大山は雲がほとんど消えていました。
午後、海にも足を延ばしましたが、島根町の海からもこんなくっきりした大山は見たこともないと思えるほど、息を呑むようでしたね。
なぜか?改めて読み進めている本が手元にあるのに、本棚に気になる本が目に留まって手に取りました。
姜尚中の「トーキョー・ストレンジャー」、いつのどんな本なのか、全く分からないまま前書きを読み始めると、、、
3・11の直後に上梓された本、本文はファッション誌「BAILA」の連載に加筆訂正したものだとか。
その本文は一行も目を通していないのですが、前書きが妙に心に染みて、、、
3・11後の東京はいったいどうなるのか、、
それでも、私は悲観も楽観もしない。
ただ、高慢なトーキョーでも、委縮したトーキョーでもあって欲しくないと願うだけだ。
よそ者にさりげなく目配せし、そっと抱きかかえるようなトーキョー。
それが私の願うトーキョーの未来だ。
もしかして、トーキョーはやっとそんな都市に近づきつつあるのかもしれない。
今ほど、暗がりの中で人のぬくもりが恋しいときはないのだから。
さて、3・11後のトーキョーは彼の夢想したトーキョーに近づいたのか?
彼のそんな思いは、どんな行く末を辿ってきたのだろう?
僕には、ひょっとして元の木阿弥だった?そう思えてならないのです。
そしてこのコロナ禍、歴史は繰り返す、そんな言葉は戯言さ!と胸を張って言えるといいなあと思いながら前書きを読み終えました。