改めてですが、人それぞれに役割があるよなあ、それに気が付き果たせる人って(*^^*)
白石さんからご案内を頂き、3歳のお子さんをなくされた横浜の河原さんの「小さなお話会」にお邪魔しました。
河原さんが三男のお子さんを急性脳症で亡くされたのは18年9月、自責と寂しさから?寝床から出られなくなるなど鬱に苦しまれたとのことです。
お子さんの使命などにも思いが及び、お子さんを主人公にした絵本「ママ、ぼくがきめたことだから」を出版。
同時に、同じ思いに打ちひしがれるママさんたちの存在を知り、お子さんを亡くしたママのコミュニティ“Twinkle-mom”を開設。
彼女は、ぼくの誕生日から命日の9月1日までの109日間をかけて、各都道府県立図書館を訪ねて絵本を寄贈するとともに、小さなお話会を開催しながら全国をめぐっていらっしゃいます。
38県目となる島根の県立図書館に絵本を寄贈した後のお話会でした。
お話を聞きながら、本当に“人それぞれに役割があるよなあ”としみじみ、また、彼女を突き動かしているぼくの深い役割、池川先生とも繋がったようですから、彼女の生命にも刻み込まれていると感じました。
月一度の“Twinkle-mom”では、皆さんの悩みを吐露しあうとともに、もっと人生を楽しんでいいんだよ、亡くなった子どももそれを望んでいると自身が生命に落とし込み、一歩を踏み出す素晴らしい集いになっているようです。
当事者だからこそ理解しあえる思い、それを共有し、一歩を踏み出すことのできるコミュニティ、今の時代だからこそその使命は大きいのかも。
ちなみに、彼女の旅のタイトルは「ママ、ぼくと一緒に旅しよう♪」とのこと。
世の中のことを知ることなく亡くなったぼくに、日本のステキな場所を見せたいと。
畑仕事を終えて空を見上げると、すっかり秋の様子。
今朝は気温も22℃で畑仕事に最高のコンディション。
朝6時にアラームをセットし、畑仕事のつもりでしたが、5時過ぎに目が覚め、片付けしたりしながら何気に外を見ると、空が燃えている!(*^^*)
慌てて着替えて、外に飛び出し、いつものスポットに着いたものの、空の様子は刻々と変わり、あ~~っ!5分早く気が付いていたらなあ。
それでも、朝の清々しい空気と美しい朝焼けを堪能させていただきました。
畑仕事、しばらく前に耕耘していたのですが、なかなか手が付かず、、、
天気予報を見ると明日は雨、やっぱり今日でしょう!
8月初旬の種まきを伸ばし伸ばしにしていた人参、少し遅いかもですが、金時人参と5寸ニンジン、秋作で自家採取した種を蒔きました。
また、ちょっぴり早いかもしれませんがラッキョウも植え付け完了。
後は、ニンニクとジャガイモその他の葉物類ですが、根菜と一緒に、久しぶりにレタスと小カブでも作ろうかなあ。
そうこうしていると、ソラマメやえんどう豆、玉ねぎの植え付けと次々にやってきます。
今日の地元紙に「教員超過勤務 休職5,000人」「デジタル対応 休憩ゼロも」という見出しが躍っていました。
休職5,000人とは、精神疾患で病気休職している教職員ですが、僕の周りには耐えきれなくて退職した皆さんも多数いらっしゃるので、合わせたら凄い数になるかも。
休憩ゼロは、教員の半数が勤務時間中の休憩時間がゼロだったという調査結果。
現職時代、学校は、教員は疲弊しきっていると感じていましたが、一層進んでいるのかも。
新聞では、デジタル対応などで業務が拡大しているためと書かれていました。
この記事を読みながら思い出したのが、東井義雄先生が1957年の著書「村を育てる学力」で書かれた「『村を育てる学力』と『村を捨てる学力』」。
まずは、学校って誰のために何のためにあるのか?と改めて。
“未来を担う子どもたち育てる“ということなんだろうけど、どんな地域の、どんな国の未来を思い描きながらどんな子どもを育んでいきたいのかなあ?
大人に地域のビジョン、国のビジョンが示せないのに、子どもたちにおんぶにだっこじゃあ、、、
また、喜びは伝播していくものだろうと思うけど、子どもたちって、疲れきった教師や疲弊した教育現場から何を学び取るんだろう?
まさか、可愛そうな教師の姿を示して、思いやりや愛、福祉の大切さを伝えようってんじゃないだろうけど(^^;;
喜びが溢れ出すような生き生きとした先生に触れ合えてこそ、学校に行きたいと思うんじゃないかなあ?
それとデジタル対応、何のために学校現場にデジタル導入するんだろう?という極めて素朴な疑問。
AI の進展によって、もうすぐ、今の職業の7割はなくなるだろうと言われる時代、デジタル導入で目指す学力向上って学校の先生が不要になるということじゃないの?
全国学力調査の意図って、テスト学力の競争を煽ること?であれば、デジタル導入は極めて妥当だろうけど、教師にデジタル教育の研修を課すより、望む保護者に研修した方が賢明だし、早道じゃあないのかなあ?
いろいろ考えてみると今の学校現場って、教師が疲弊しながら「村を捨てる学力」を育てようとしているように思えてなりません。
僕は、テスト学力を伸ばすことから、子どもたちの人間力を育てる取り組みにシフトすることこそが、「村を育てる学力」に繋がるのだろうと。
極論のようですが、学校は読み書きそろばんのみ必修、あとは教師が個性を競いながら子どもの人間力を育てることに注力してもいいのだろうと思います。
テスト学力は必要と思う子どもと親に任せてもいいんじゃないかな?
ただ、高校大学は門戸を限りなく広げる。
手帳を開いてたどってみると、6月23日、かれこれ2ヶ月になるんだ(@@
後生大事に取っていたんですが、いつまでもという訳にはいかず、今日取ってもらいました。
15㎜から20㎜、結構な長さのものを大事に(^^;;
3度目の正直?いや、本庄の医院にも2回だから、計5度目にしてやっと。
よほど居心地が良かったんでしょうか(^^;;
時間にして5分ほどだけど、それでも手術ということになるんですね~(><
出たがらなかったのは竹のシバリ、竹ひごを削っていてササクレがGパンとGパン生地の当て布を突き抜けて8㎝くらい入ったのかな?
ササクレを抜いた後、刺さったところを見るとぷっくり膨れているところがあり、、、
大半は抜けたのに、いくらかが折れて残っている。
仲間に無理をお願いしてカッターで切って取り出す算段をしたけど、結局医者に。
それも二月余りかけて2軒の医院に行く羽目に。
でもまあ、美味しそうな肉塊と一緒に取れたので良かった~~~!
明日朝には仰々しいテープとガーゼを取ってシャワーOKということなので。
今夜は、頭だけ洗って済ますか、ラップでも巻いてシャワーにするのか?
一杯やりながら思案中です。
「熱い近代」、うまいこと言ったもんだなあ(@@
日本は明治維新以後、大戦前までと終戦後、高度成長期の2度「熱い近代」を経験してきたけれど、人口減少社会の局面でも「熱い近代」を志向している、いや確かに。
県や市町村、勿論国も、総合計画なるものはバラ色の「熱い近代」再来を熱望して描かれやすいのかなあ。
また、企業家の皆さんもやはり「熱い近代」を志向しているし、多くの国民もその“幻想”を捨てきれずにいるのでしょうね。
人口減少が進むこれからの社会は、マイナス成長を前提とした“定常化社会”をどう創造していくのかということでしょうか。
「人口減少社会の未来学」最後の章の著者は姜尚中、「『斜陽の日本』の賢い安全保障ビジョン」というテーマでの寄稿ですが、「熱い近代」、巧いこと言うもんだと。
この本で特にインパクトの強かったのは、政治・行政に未来をデザインするセクションがない!こと、婚外子比率がほぼゼロの日本、そして「熱い近代」。
福沢諭吉の『学問のすゝめ』
昼食の準備をしていると、突然の吹き降り、慌てて洗濯物を取り込んだものの、少し濡らしてしまいました(><
午後から、雷を伴って猛烈に降るなど、ずっと雨、こんな時に買い物に行かなくてもですが、やっぱり濡れて、、、しっぽり濡れるのはロマンがあるけどね(^^;;
ということで、雨でもあるし前書を読み終えたので本棚に行き、、、
何年か前に買っていた橋本治の「福沢諭吉の『学問のすゝめ』」、ちょっと気になっていたので手に取って読み始めました。
橋本治、好きな作家ですが、最後まで読めせてくれるかなあ?どんな内容だろうと開いたのですが、、、
言ってみれば『学問のすゝめ』の解説本ではあるけれど、やはり!橋本治、読ませますねえ、いや、引き込むのがうまい。
当意即妙というのか、学者じゃなく作家の、しかも江戸・明治を深く研究でもしている?市井の僕たちが読むのにもってこい。
しかも、橋本治の解説がいいこともあり?今こそ“人口減少社会”における「学問のすゝめ」を痛感させるもので、諭吉先生の普遍性に敬意を持ちました。
もう一つ、明治の時代背景や歴史を辿ることもでき、こんな視点を持った近代史を中高生にも伝えたいものだと。