見習い百姓のつぶやき

宮仕えも一段落、半農半Ⅹを本格化。農的暮らしとさまざまなⅩを悩んで、楽しんで一歩づつ。

サイノカミさん

2023-01-13 14:02:50 | 房仙会

先日のカタカムナ勉強会の後、講師の芳賀さんとサイノカミの話になったのですが、、、

芳賀さんは新潟市在住、年に何度もお越し頂いていますが、越の国には出雲崎など出雲の地名や出雲ゆかりの神社が多くあると知り、改めて深いご縁を感じる昨今。
古代出雲は
磐座信仰とともに出雲の祖神はサイノカミ、子孫繁栄の願いが込められたサイノカミは夫婦像だったり道祖神という形で、集落の入り口や岐などにさまざまな形で置かれてきました。

その話から、決まった日にお祭りをしてきたんだよなあ、と。
自分の集落でも1月15日、サイノカミさんとも言うけど、夜になるとおんべ焼の火が燃やされ、その日に種を宿された子どもがいるんだよと。
それって歌垣じゃないですか、もともとお祭りって若い男女が集い寄り相手を見つける場だったんですよね。

芳賀さんのその集落のおんべ焼(こちらではトンドさん)の場は、夏には盆踊りの場になり、その夜は無礼講、中心的なご婦人が男女を積極的に取り持つのだとか。
それは、独身者も妻帯者も区別なく、誰の子かなどという詮索は一切なしだとか、きっと、新しい血を入れるという趣旨もあったのでしょうね。
子孫繁栄って、圀を挙げての最優先事項だったかもしれません。

このサイノカミもトンドさん(
様々な名前がありますが)も出雲発祥なんですね。
我が国の発展に出雲が大きな役割を果たしてきた、その印の一つなんだろうなあ。
時代が
大きく動き出しているこの年、改めて“出雲”が大きな役割を果たす時なのかも、胸を張って楽しみたいなあ。


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渡辺京二

2023-01-12 18:24:27 | 日記

時間がない中、そこの予定じゃなかったけど、ここで!と立ち寄った出雲の蕎麦屋。
注文して蕎麦が来るまでの時間、活字!と思って手に取った新聞は“朝日”、これしかなかったのと一面に“口座番号 政府が把握検討”という何ともやるせない記事。
その記事は読まなかったのですが、順次めくっていくと“渡辺京二さんを悼む”という前法政大学学長・田中優子氏の寄稿に目が釘付け。

年末に行った福岡のホテルで手に取った新聞の一面に、渡辺京二さん訃報のニュース。
とても寂しい思いをしながら読みましたので、今日の寄稿も老眼鏡がなかったけどザクッと目を通し、途中で寄ったコンビニで朝日新聞を買い込みました。

僕は氏の著作は「逝きし世の面影」を半分くらい読んだだけですが、三砂ちづるの「女子学生 渡辺京二に会いに行く」で、三砂ちづるの学生に接する姿勢と学生に投げかける渡辺京二さんの愛が溢れる言葉に心が揺さぶられました。
以来、
三砂ちづるは大いに影響を受け続ける大学の先生であり、思想家・渡辺京二は魂に住み続けている偉大な大先達です。

田中優子氏もこれからの時代を生きる上で、著作を通してとても感銘を受けた方ですから、電気ショックのような、、、
それが、普段新聞は読まない生活なのに、節目とも言える大切なタイミングで出会うとは。
早速、「バテレンの世紀」「黒船前夜」を買い、
「逝きし世の面影」とともに読まねば。

田中氏との対談を前にした講演で「人間は土地に結びついている。土地に印をつけている存在である。死んだ人間の思いと繋がっている」と語られたのだと。
田中さんはこの言葉を胸に刻んでいると書いていますが、多くの国民が、このアンカーが切れて浮草のように浮遊すると思える現代、ここが今の日本の抱える様々な問題の根っこなのかもと感じました。


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予定工事ほぼ完了

2023-01-07 09:51:21 | カムの宿

年をまたぐことになりましたが、予定していたカムの宿の改装(というほどの規模ではありませんが)工事、ほぼ完成しました。
ちょっとしたリニューアルですが、気付いてもらえるかな?


年越ししたのは、お風呂場に脱衣場を作るためのアルミ建具工事と、勝手口の建具をアルミ建具に変える工事。
写真の正面にはキッチンからも入れるガラス戸が付いていましたが、タイルを張り、床を一部かさ上げしてアルミ建具で
間仕切りしました。
これで、お風呂に入っている方があっても、
安心してトイレに入れます(^^;;



親切過ぎない?
もう一つは勝手口、開け閉めの時、ついつい“バタ~~ン”と大きな音をさせてしまうのと、網戸がしょっちゅうレールから外れるので、その解消のために思い切ってアルミ建具に交換。
使い心地?
もちろん極めて快適。

でも、今の建具ってあまりに親切が過ぎるんじゃ?だって、カギは2個ついてるし、ガラスはペアガラスだし、至れり尽くせり。
資源は有限のはずですが、いつまで便利を追い求めるんだろうか?って。
明るくもなって嬉しいけれど、、、

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言知主に学ぶ

2023-01-03 20:21:25 | 幸せに生きる

新年あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

書初めはしてみましたが、、、
年末からどこにも出かけることなく、読書三昧の新年。
大きく変化する時代にあって、何ができるのか、もう一度考えてみたいということもあり、出雲を中心にした弥生時代から奈良時代にかけて、出雲旧家などに残る
わが国の伝承の歴史に関わる本を何冊か。

三島一族は、摂津の三島から出雲王家のコトシロヌシに輿入れした活玉依姫(玉櫛姫)に付き従って来たと言われ、以来松江に住み続けているのだとか。
その時代の出雲は女系社会で争いを好まず、不慮の死を遂げたコトシロヌシは「言知主」とも言われ、相手を言葉で説得することに長けていたと。

不慮の死の後、
活玉依姫と言知主の3人の子どもは縁者とともに三島の地に帰り、葛城方面を開拓し、以来日本の古代史を動かす大きな働きをしています。
言知主は出雲の国の8代目の副王(少名彦)ですが、最後の王になるはずだった野見宿祢(富太田彦)は大和地方の古墳築造など、大きな仕事をしています。

当時のシナなどの風習では、召使は全て奴隷で、主の死に従って生き埋めにされ、泣き叫べば泣き叫ぶほど死者が喜ぶと考えられていたとのこと。
それは、泣き女を雇って大声で泣いてもらうという
風習で残っているのだとか。
見かねた
野見宿祢は、召使を生き埋めにする代わりに、埴輪を作って並べることを大王に提案し、以後、奴隷の生き埋めはなくなったのだとか。

女性を軽んじてきた男中心社会は、八方塞がりとも思える我が国の現状を作ってきたように思えてなりません。
争いを好まなかった出雲の国に見られる女系社会って、これからの社会の在り方を考えるうえでキーポイントだと感じています。
古代出雲に学ぶ時かな?

 

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