いやあ、昼と言わず夜と言わずよくまあ幾度も幾度も大小の厠通いだ。まったく。よく老いた。厠の一人が思わず笑っちゃった。老人特有の現象だものね。さっき行き帰りしたはずだったのに、しばらくしたらもうまただ。
でもね、老人も体験できたということになる。なにしろ何もかも初体験だからね。貴重だよ。しかし、整備不良の箇所も増えた。この頃とりわけそう思う。体のあちこちが痛い。疼く。病院に行ったって医者は「年のせいですよ」というに決まっている。
老人を体験できなかったという人だっている。我が弟もそうだ。きっと体験をしたかったに違いない。しかし、体験できなかったからといっても、それでその人が不幸だったということにはならない。むしろ幸福だったということになるのかもしれない。
醜悪の老人、あちこちイタイイタイを発する老人、働かない怠け者老人、若い人たちにサポートしてもらってばかりの居心地の悪い老人、ひたすら厠通いの老人をボイコットして、「その先のもっと明るいところへ、もっと豊かな実りがあるところへ、先へ先へと進んで行けた」と考えられるのなら。
夏ツバメがしきりに飛び回っている。厠の窓からそれが見て取れる。といってもすばやく通り過ぎるから、見たと思ったのは影だったかもしれないが。何か楽しいことがあったのかも知れない。鳴き声が弾んでいる。それを仲間に知らせて回っているのだろうか。
彼らは渡り鳥。此処に暫く居て次の地へ渡って行く。住みやすいところへ豊かな実りあるところへと渡って行く。住む所はここだけではないのだ。後ろ髪を引かれるということはないのだろう、彼らには。
人間はこうはいかない。此処しか住む場所がないと考えている。だから、ここで我が身を看取る。最期を看取る。それしか方法がない。住む所の一つを楽しんでおいてあとはさっと身を翻し次へ渡って行くツバメたちがちょっと崇高な賢者に見えたりした。