伏して願わくば、生死の流れに処して、欐珠(りじゅ)独り滄海に輝き、涅槃の岸に跨(こ)して、桂輪(けいりん)孤(ひと)り碧天に朗らかに、普く世間を導いて、同じく覚路(かくろ)に登らんことを。
禅宗経典「祠堂檀那諷経(しどうだんなふぎん)」より
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この経は亡くなった者の命日に読みあげる経である。仏壇に香を焚き華を飾り馳走を供える。集まった者がみな仏典を朗読してその功徳回向により追善供養をする。死者はすでに仏の位を得ているので、われわれにこの善業を造らせるのである。
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「生死の流れ」は流転する迷いの流れ。「欐珠」は龍の手に握る珠。「欐」は馬篇に麗が正しい。「滄海」は大海原。「涅槃の岸」は俗界の向こう側、すなわち仏界の岸。「桂輪」は明月満月のこと。「碧天」は雲一つない朗らかな虚空。「世間」はいまだ世間にあるすべての人々。「覚路」は悟りへの道。
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先亡はすでに生死の流転の岸を離れ、涅槃界に暮らしている。そこでまたと得がたい龍珠が大海原に輝いているように、先亡は堂々と輝き渡っている。苦界を越えた涅槃界にあって美しい満月が雲一つない天空を照らしているように、先亡もまた明らかに照り輝いている。さあ、みなさん、ここに残った者みな相つれづれに手を取って、先亡と同じように、仏法による目覚めの大道を登り詰めていきましょうぞ。(これはさぶろうの自己流解釈)
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弟を夢に見たのでこの経を朗読したくなった。ほんとうはこの経はお寺の開基坊さんの命日に読経するが、弟も僧の資格を持っていたので、ちょいと。