<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

寂しさは枯れて行かない

2016年08月21日 21時25分51秒 | Weblog

さみしい。寝もやらず。いい加減にしろ。夜も更けたというのに、わたしを捕まえて離さない。寂しさが鉛になって重たい。重たく沼に沈んで行く。老いたというのにまだこの若さだ。寂しさは枯れて行かない。

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雑事にかまけておれば一生の河はやがて尽きる

2016年08月21日 11時58分52秒 | Weblog

目の前の諸事雑事にかまけておればそのうち一生の河は尽きる。海に尽きる。

「諸事雑事」という表現法ではどうも格好がとれないというのなら、そこのところを努力、精励、打ち込む仕事、大業、学問研究、修行、活動活躍、立命、目的達成などに置き換えてもいいのだが、どう置き換えようともそれでも河は尽きる。

目が我が大仕事とするもの、我が痛快とするところ、我が心が浮き立つところ、我が栄華とするところ、そこに眩(くら)んでいたら、その他の一大事もさほど目をわずらわさくなる。そうすれば時間が過ぎ去るのは早いものだ。一生の河はたちまちに尽きる。

せいぜいが尽きるまでのことだ。それでは嫌だと駄々を捏ねてそこらここらに立派な銅像を建ててもらっている英雄もいるが、銅像が冬の凍空で寒がることだろう。

さぶろうの場合、来る日も来る日も諸事雑事だ。これにかまけているばかりだ。当たらず障らず無難にやり過ごしていれば日は暮れる。一生の河は尽きる。海に尽きる。どのみち海に入るのだから、努力をしない。これですっかり怠惰な毎日だ。・・・とまあ、反省しきりというところだが。

では、生涯きっての一大事とは何か。日々の雑事などにかまけてなぞいられないほどのその一大事とは何か。これを無視しても河は尽きるのか。尽きる。海に尽きる。さて12時を回った。腹が減った。とりあえず昼飯にしよう。

「かまける」は「感ける」と漢字を当てる。心が動くこと。一つのことに心をとられていること。そのために他がおろそかになること。拘泥すること。執心すること。目が眩んで見えなくなること。

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生きながら死人となりてなり果てて

2016年08月21日 11時10分15秒 | Weblog

「生きながら死人となりてなりはてて 思いのままにするわざぞよき」
至道無難禅師「即心記」より

至道無難(1603~1676)は江戸期の臨済宗禅僧。岐阜県関ヶ原の出身。宿場役人をしていたが、50才で出家した。「即心記」は68歳の時にまとめられた。

生きたり死んだりするのは己が人間だからである。生きたり死んだりするがそこに囚われなくなれば、それは無力になる。人間はエゴ意識に翻弄されながら一生を過ごす。自己愛の執着は死を恐怖する。恐怖すれば思いのままに生きることなどはできなくなる。こわごわして萎縮して、そして嫌がる死に捕まってしまうことになる。これを逃れる方策はないか。死ぬ己が恐いのなら死んでしまえばいいのである。己可愛さのエゴに囚われた囚人をして生きるよりも、囚人である己を死んでしまって再出発を計ればそこに己の青空が見えて来るのかもしれない。

イスラムの予言者ムハンマドは「死ぬ前に死ね」と言っているらしい。死んでしまったところからの出発は、死の荷物がないから、軽々としている、というのだ。

死んで死なされるよりも、生きているうちにそこを超克して、えいやっとこちらで死んでしまったらいい、という主張。禅僧の言いそうな台詞だ。われら凡庸人には出来かねるかもしれない。

清水の舞台から飛び降りるように、生死の境を跨いでしまったら、そこにはもはや生死の執着は起こらなくなる、そういう仄めかしだ。死が往き道を塞いでいるので、人は生きている間はずっとこの大きな障碍に押し戻されて無力であるしかない。そこで大死一番という荒技を勧めたのだ。生きているうちに死者になってしまうのだ。死者として生きて見るのだ。死者の目でこの世を見て見るのだ。そうすると「己が生きている事実」が、夜空の大花火のように燦然と立ち上がってくるというのだが・・・。

さてどうだろう? なるほどあたら一生を生死の囚人としていたくはない。ならば生死の恐怖をどうにかして脱却できないか。迷いから出ていけないか。「死人となりてなり果てる」と人は無心を得て朗らかになれるというのだが。さぶろうのような小人には小手先の論理で終わってしまいそうだ。

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わたしの死はわたしの裁量ではなかった

2016年08月21日 10時46分54秒 | Weblog

わたしが/わたしの/裁量で/死を/完成させねばならないとしたら?

死を/わたしが/わたしの/持ち合わせた智慧の力で/遂行せねばならないのだとしたら?

死が/わたしの領分にあって/あくまでわたしの主宰する範囲に/とどまるものだったとしたら?

わたしの死は/わたしにゆだねられているのだとしたら?

わたしの努力によって/わたしが/わたしの肉体の最後を/迎えさせなければならなかったとしたら?

わたしの死は永遠に成就しなかっただろう/死ぬか死なないかという宙ぶらりんの段階に長く留まるしかなかっただろう/わたしは此処で永遠に足止めを喰らっていただろう/わたしは新しい次なる航海に向かって帆を上げることがなかったであろう/

わたしの死は完遂した/めでたく/おのずからにして/まるで他者に委ねられた如くにして/

死ぬことで/わたしは/やっと/新しい変化に/乗じていけたのだった/銀河の星々が/これを祝って/わたしの生命の/この一巡を嘉して、きらきらと明るく美しく輝いた

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季節が移る

2016年08月21日 10時28分17秒 | Weblog

日が変わるころにはエアコンのスイッチをオフにした。窓を網戸にした。夜気が流れ込んできた。ひんやりした。夜明け方の我が寝所は寒いくらいだった。慌てて薄い掛け物を体に巻いて、寒さを防いだ。秋の旗手が忍んで来ているのかも知れない。抜き足差し足で。夕方の風の勢いは尋常ではなかった。地上の枯れ葉枯れ草が宙に舞った。外に出て畑の草取りに励んだ。蚊取り線香を携帯しなかったが、蚊の被害には遭わなかった。草の藪から円筒形の黄色いカシウリが見付かった。すでに熟し終わっていて、蟻がこじ開けた小さな穴からぞろぞろ出入りしていた。夏が終わる前に彼らは蓄えをして次の季節に具えておかねばならないのだ。

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