摩尼(まに)の宝珠をわたしたちはひとりひとり手の平に握っている。如意宝珠ともいう。如意はこころのままということである。だから分かり易く言うと摩尼とは打出の小槌のようなものである。もともとはサンスクリット語である。神呪である。言葉に魂が投入されているのが神呪である。もっと分かり易く言うと鉄腕アトムのアトムのようなものだ。わたしを動かす道源、道元である。道の元(はじめ)である。これをわたしたちは一人一人握っている。握っているばかりかこれを采配している。意のままに。如意に。だから福も寿も思いのままである。疑わなければ思いのままである。そんなものあるものか。この科学の時代にそんなもの、漫画のようなものがあるものかと疑う。すると摩尼の宝玉が隠れてしまうのである。所在を隠してしまうのである。でも、疑いを解くとまたどこからともなく現れてきて如意するのである。摩尼を疑うな。わたしは摩尼を駆使することのできるスーパーマンとしてこの世に生まれて来ているのである。両手の手の平を開いてもう一度じっくり見て見よう。見ている間に、瞬くの間に、それが浮かび上がって来るであろう。
ただし、利他に限られている。利他とは救済に当たるということである。自利ではない。自分の欲望達成には披見できない。恋人に会いたいからスーパーマンになって急いで飛んで行く。それはかなわないのである。