こころざしをはたして いつの日にか帰らん 山は青き 故郷 水は清き 故郷
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これは唱歌「ふるさと」の3番である。作詞は高野辰之、作曲は岡野貞一。何度歌っても歌う度にしみじみとする。名曲だ。どうしてそんなにしみじみとなるのか。みないつの日にか故郷へ帰っていくからである。われわれはいのちのふるさとを持っている。それで安心が出来るのだ。ふるさとの山はいつまでもいつまでも青く、ふるさとの水はどこまでもどこまでも清らかである。
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法然上人もまたそのような覚悟であった。死んで何処へ行くか。我々は死ぬ。死なない者はいない。でも行くところがあるから死ねるのである。故郷を持っているから死ねるのである。死んでその先に帰るべきふるさとがないなら、途方に暮れてしまうだろうが、その心配はない。われわれは死んでふるさとに帰って行くのである。ふるさとの山も空も青い。ふるさとの水も光も清らかなままである。それがそうやってわれわれを待っていてくれるのである。法然上人は帰るべきふるさとをこころの中に持っておられた方であった。
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さぶろうの覚悟はどうだ。死んで何処に行くか。行くところは一箇所しかない。ふるさとしかないのである。迷いはない。迷いが生じるはずもない。ふるさとまでは一本道である。大きくまっすぐな一本道である。
父も母もふるさとへ帰られたのである。いのちのふるさとに帰られたのである。我が弟の命日がもうすぐ来る。去年の10月の末の日だった。弟もいのちのふるさとに帰ったのである。それをこちら岸の兄が案じることはない。ふるさとはこころを安らかにしてくれるところである。
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こころざしを果たしたので帰って行くのである。皆それぞれのこころざしを果たしたのである。