<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

ふるさとまでは一本道である

2016年10月28日 17時06分53秒 | Weblog

こころざしをはたして いつの日にか帰らん 山は青き 故郷 水は清き 故郷

これは唱歌「ふるさと」の3番である。作詞は高野辰之、作曲は岡野貞一。何度歌っても歌う度にしみじみとする。名曲だ。どうしてそんなにしみじみとなるのか。みないつの日にか故郷へ帰っていくからである。われわれはいのちのふるさとを持っている。それで安心が出来るのだ。ふるさとの山はいつまでもいつまでも青く、ふるさとの水はどこまでもどこまでも清らかである。

法然上人もまたそのような覚悟であった。死んで何処へ行くか。我々は死ぬ。死なない者はいない。でも行くところがあるから死ねるのである。故郷を持っているから死ねるのである。死んでその先に帰るべきふるさとがないなら、途方に暮れてしまうだろうが、その心配はない。われわれは死んでふるさとに帰って行くのである。ふるさとの山も空も青い。ふるさとの水も光も清らかなままである。それがそうやってわれわれを待っていてくれるのである。法然上人は帰るべきふるさとをこころの中に持っておられた方であった。

さぶろうの覚悟はどうだ。死んで何処に行くか。行くところは一箇所しかない。ふるさとしかないのである。迷いはない。迷いが生じるはずもない。ふるさとまでは一本道である。大きくまっすぐな一本道である。

父も母もふるさとへ帰られたのである。いのちのふるさとに帰られたのである。我が弟の命日がもうすぐ来る。去年の10月の末の日だった。弟もいのちのふるさとに帰ったのである。それをこちら岸の兄が案じることはない。ふるさとはこころを安らかにしてくれるところである。

こころざしを果たしたので帰って行くのである。皆それぞれのこころざしを果たしたのである。

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きれいな花は愛惜に散る

2016年10月28日 16時33分13秒 | Weblog

「花は愛惜(あいじゃく)に散り、草は棄嫌(きけん)に生ふる」 

これは道元禅師が「正法眼蔵現成公案」の中で述べておられる。花は愛されるが草は嫌がられる。花が散るのは惜しいが、草は棄ててしまいたい。美しいものはいつまでも常住していてほしいが、無用なものは一時も早く消え去って欲しい。そういう風に差別をする。差別をするわたしのこころこそが翻弄されているのも知らずに。映るものをみな色眼鏡で見て、或るものはいつまでもそこにあってほしいと願い、また或るものは今ただちに目の前からなくなってほしいと願う。そして術策に落ちたように藻掻き出す。それがそうならなかったときに苦しみ出し悲しみ出す。無常を常とすることがいかに難しいことか。万物が無常ならば、我がこころもこれに応じていればいいのだが、我が愛惜と棄嫌は絶え間なく攪拌されて苦に変じていくばかり。幸福は常であってほしいが、不幸はそうあってほしくない。そうであるのに、その逆になって、幸福が無常のさまを呈して過ぎ去り、不幸が常になって澱んでいる。生死を見る場合もそうだ。片方を愛惜しもう片方を棄嫌する。

禅は外なる乱れを整える代わりに内なる己を整える修行をする。ものを見る己の目の乱れを修正して整える。姿勢を整え息を整えこころの目を整える。禅は寂静の姿である。静かな時間を持てば振り子の揺れは収まってくる。己の振り子が収まってくる。

今日のさぶろうはそんなことを思った。さぶろうが揺れていたのである。外なる万物が揺れ動いていたのではなく、内なるわたしがひとりで騒がしく揺れ動いていたのである。

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もうここらへんでいいんじゃないかなあ

2016年10月28日 10時18分03秒 | Weblog

おはようございます、どなた様も。夜中ずっと雨音がしていました。眠りを覚ますほどの。午前10時を回っていまは止んでいます。風もありません。わたしはYouTubeで長時間ベートーヴェンのピアノ曲を聞いています。いい気持ちになっています。

昨夜目が覚めてふと、「もうここらでいいんじゃないかなあ」と思いました。ふとです。もう足りているような気がしました。人生の終止符を打ってもよさそうだと思いました。足りているといって、中身が充実をしているということではありません。願っていた分はすっかりかなえられているような気がしたのです。なんだか面倒臭くなったのかもしれません。あれやこれや小さな力で小さな抵抗を試みるのが面倒に思えて来たようです。父の待つ国へ、母の待つ国へ、弟の待つ国へすんなりと移住ができたらいいがなあ。すんなりと。子猫が親猫に銜えられて引っ越しを果たすように。

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