弟は死んで何処へ行ってしまったんだろうかなあと思います。弟は60を過ぎてから己の疑問を解くべく浄土真宗系の仏教大学(短大)に通って勉強をしました。京都の本山にも行って僧侶の資格ももらえたようです。行くところは、だから、ちゃんと見つけたはずです。安らかな最後でした。行くところは決まっているから、葬儀は無用といってそれを遺言していましたので、その通り、僧侶も呼ばない家族葬になりました。
われわれの行くところはいのちの故郷、仏陀のお浄土だとわたしは思います。そう思っていたいのでしょうね。呼び名はいろいろあるでしょうが、戻って行くところはいのちの出発地点、そこしかないのではありませんか。これはわたしの想像です。途中で物見遊山などをしているかもしれませんが、弟はいまは仏陀の国に到着してそこで仏陀の弟子として忙しく立ち回っているはず。
弔辞では「やすらかにお眠りください」などというけれど、眠ってはいないでしょう。元気いっぱい活躍をしているはず。そういう明るい元気な弟をイメージしています。「兄貴さん、おれのことは心配いらないよ」「ここはなごやかで賑やかでいいところだよ」「会う人会う人みんなが仏陀なんだよ、びっくりするよ」などと言っているでしょうね、きっと。
昨年、弟の遺体の棺(ひつぎ)の中に我が家の庭の山茶花を敷き詰めてやることができました。その山茶花が今年も咲いています。薄いピンク色をした八重咲き山茶花です。