もっともっともっとを言わない。言わないことにすれば、安らかになれる。今此処を完了する。此処で我が幸福を完了とする。これ以上をねだらない。強要しない。満ちて足りる。もっともっともっとを欲しがらない。自足する。有り難うございましたを言う。後先までの言及を差し控える。幸福に生きましたを言って終わりたい。
さ、もうやすもうかな。そろそろ12時。小さな住居の我が内に住まう仏陀よ、おやすみなさい。一日ずっとわたしと共にいてくださった。見守っていてくださった。お慈悲をかけていてくださった。わたしを、一日の最後に、わたしを安らかにして眠らせる仏陀に礼拝したてまつる。今夜は月の夜。うっすら夕月が昇っていた。
大空も夜になれば寝ているのか。小さくくうくうの鼾をたてて。そこはおれと似ている。星が寝床に入る。そこは似ていない。おれの寝床には、夢が添い寝する。大空はどうか。
山も寝ている。草も木も森も岩も寝ている。鳥も虫も、魚も獣も。夜の闇は働いた万物を寝せる。安らかな穏やかな眠りにつかせる。まことに尊敬に値する。
目が大空を見る。見ると言うことは大空が目の網膜に収まったということだ。ドデカイ網膜ではないか。目は小さな虫も見る。差別をしないで、網膜に這わせる。美しいバラの花をも見るが、汚い臭い汚泥をも見る。それによってしかし目のスクリーンが染まることはない。月をも星をも見る。それを我が内に案内して招き入れる。目というのは神だ。易々と無際限を納めて掛かることができる。この不可思議底の、神の目を持つ己とは何ものなのか。
あさみどり澄み渡りたる大空の広きを己がこころともがな 明治天皇 御歌
友人の一人が我が家を訪ねて来た。ようようようと出迎えて、やがてテーブルに酒席が整う。盃を酌み交わした。友人との酒は格別に旨い。二人ともしたたかに酔った。辞去する前に、習いたての詩吟を披露してくれた。それがこの明治天皇御歌である。下の句二句を繰り返す。鍛え上げた友人の声が、朗々として夜の静寂に響き渡った。
さて、此処で心が登場する。大空の広さの心が。しかも浅緑色に澄み渡っている。心というのは、いったい、どの位広いものか。広くも狭くも、大きくも小さくもなる。伸縮自在というところか。尺を当てて測定は不可能だろうが、サイズの面積体積が、大小AからZまでありそうだ。己の肉体とは偉大なものだ。それだけの心を内包内蔵しているのだ。
お猪口が花瓶の役目をしてくれた。そこに水を張った。挿したのはミヤコワスレ。青紫色の。草丈5cm。小さな緑の葉が5枚ついてる。台所のテーブルの上に飾った。空気が凜と引き締まった。美しく気高い。移植の作業中に、過って折ってしまったのだ。捨ててしまうのは忍びない。作業が終了して、その一本を左手の手の平に載せて、大事に持ち帰って来た。食器の間に埋もれながらも、その存在感は他を圧倒した。家族の夕食が貴賓を迎えて、華やかにになった。
蕗の薹の天麩羅がおいしかった。初めての食感になるユキノシタは期待を裏切った。香りもなかった。残念。料理に工夫がいるのかもしれない。薩摩芋はなんど食べても絶品。あとは人参と子持ち白菜。これもおいしく頂いた。めずらしく、日本酒の熱燗を飲んだ。たちまち酔った。ご飯は茶碗に半分以下。古高菜漬けの油炒めを載せて、お茶漬けにした。夕食が感謝で終わった。これからお風呂に入る。後は寝るだけだ。幸福な老爺だ。映画音楽はまだ聞き続けている。
まもなく6時半。日が暮れる。気温が落ちた。寒い。「夕食が出来ましたよ」の声はまだかからない。腹もさほどに減っていない。昨日から食欲が落ちている。どこか体の異変があるのだろうか。痛んだりはしていない。疲労感もない。
夕方には、3時間ほど元気で庭仕事をした。ミヤコワスレの植え替え作業が終了した。有機培養土を合計8袋も使った。我ながら見事な花壇が出来上がった。通りかかられた近所の方にも苗をお分けした。座っての作業だから、しかし、運動をしたことにはなるまい。
「世界の映画音楽名曲メドレー」をYouTubeで聴いている。いい気持ちがしている。スクリーンミュージックには名曲が多い。見た映画もある。見てない映画もある。見ていない映画は、レンタルビデオ屋さんに借りに行って、見たくなる。クラシック音楽も心和むけれども、それに引けをとらない。
でもともかく、こんな楽しみが残されていたんだ。うっとり。しかも無料で聴けるとは!
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死後ではなくていま此処ででもいいのです。そうもできるのです。
不平等も平等も、空です。それを獲得すれば、みないずれも平等になります。即得往生を実現も出来るようになっています。
「はい、わたしは此処で即得往生を果たして絶対平等を得ました。仏の大智の働きに身を任せます」と納得すれば、そこで完成です。これにストップをかけられることはありません。これは悟りです。
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これはわたしの解釈ですから、正しい解釈ではありません。推論です。わたはこう推論して安心を得ています。