<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

好きな女の人がいる男、好きな男の人がいる女 花

2019年03月25日 23時57分56秒 | Weblog

映画を見ての感想。葬式のシーンが何度もあった。

好きな女の人がいても、男はやっぱり死んで行くんだよね。好きな男の人がいても、女もやっぱり死んで行くんだよねえ。好きな女の人がいなくて、死んで行く男たちもいる。好きな男の人がいなくて、それで冷たく死んで行く女の人たちもいる。死んでしまった後、花があるか、ないか。なければ寂しいだろうなあ。人を愛することっていうのは、そこに花があるかどうかなんじゃないのかなあ。風景の中に芥子の花たちが明るく風に揺れているってことなんじゃないかなあ。などと思った。好きな女の人がいる男の方、好きな男の人がいる女の方が、どちらかというと思い出があたたかそうだった。

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BSチャンネルで映画を見てた 久しぶりの映画だった

2019年03月25日 23時27分08秒 | Weblog

おやすみなさい。BSチャンネルで映画を見てた。さっき終わった。「海街ダイアリー」という映画。綾瀬はるか、長澤まさみ、広瀬すず、樹木希林などの売れっ子俳優さんたちが出演してた。テレビで映画なんて久しぶりに見た。映画館にも足を運んではいないけど。初めてお目に掛かる中学生役の広瀬すずが可愛らしかった。小説はこんな風に書くんだななどと思いながら、見た。次に書く小説のことが、小さな頭を占領していた。映画が終わって、急いでお風呂に入った。いい一日でした。もう寝ます。

今日はLivedoorの無料ブログに作品を5篇書いて投稿した。読者はゼロだった。myoho77710で検索できるかも。

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死ぬってことは、次へ進むということなのだけど

2019年03月25日 20時54分42秒 | Weblog

死ぬってことは、次へ進むということなのだけど、次へ進んでそれから先をどうするかという点で不安材料があるので、躊躇が起きる。それよりか、暫くはこのままでという現状維持を選ぶ傾向がある。それが第一優先事項になる。次へ進むということは、ワクワクすることなんだけど。停滞もなかなか誘惑的なのだ。

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肉体を抜け出た高潔な魂はみながみな、高く上がって行って、空となった

2019年03月25日 17時09分31秒 | Weblog

この地上でたくさんの人が生きた。暮らした。死んだ。それぞれが人を生きた。それぞれの人を生きた。それぞれの生老病死を体験した。

そして各人が此の世は苦であることを身に滲みて知った。それを乗り越えた。そして歓喜に打ち震えた。意気揚々と凱旋しながら、此の世をきれいさっぱり去って行った。で、後腐れがない。

肉体を抜け出た高潔な魂は、高く高く昇って行って、みながみな空となった。見上げると大空が澄んで、澄み渡っている。此の世を生きるということは、こうでなければならない、と思う。

まもなくわたしも此処を去ろうとしている。わたしも空になれるか。澄んだ空になれるか。なりたいものである。

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わたしにこの人麻呂の歌が分かるか 分かるようになりたい

2019年03月25日 16時33分01秒 | Weblog

天(あま)ざかる夷(ひな)の長路(ながじ)ゆ恋ひ来れば明石(あかし)の門(と)より倭(やまと)島見ゆ             柿本人麻呂    万葉集巻3 255

「天離かる」は枕詞。「鄙」「夷」に掛かる。「夷」は都を離れた地方。田舎。辺境の地。支配が及んでいない未開の地。「長路」はここでは海の道だろう。「門(と)」は「入り口」か。水流の出入り口。瀨戸。明石には明石海峡がある。「倭(やまと)」は古い国名。用明天皇の時に国名を2字に改める令が出て、「大和」となった。

柿本人麻呂は、三十六歌仙の一人。天武・持統・文武天皇に仕えた。格調の高い作風の叙情歌人。旅先で没。後世、山部赤人とともに「歌聖」と称された。

家郷を恋しく思い続けて数日間の長い船旅をしていたら、おおおお、もう明石海峡へ来て、奈良の都の大和の山々が、たなびく雲の間より見え隠れするようになった。明日は船を下りて家郷に向かうことが出来るという人麻呂の興奮が伝わって来る。こころが高く浮き上がって舞い踊っている歌である。瀬戸内海の船上で朗朗とした声調で高唱したのであろう。

わたしに此の歌のよさが分かるか。分かるようになりたいものだ。

 

 

 

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アシナガバチにちくりと刺されてしまった 

2019年03月25日 16時20分20秒 | Weblog

客人が尋ねて来られた。帰りに、畑の野菜を差し上げようとしたら、蜂に刺されてしまった。アシナガバチのようだ。成育していた不断草を左手に掴んで、右手に庖丁を握り、根元からざっくり切り落としたときに、左手の指の付け根のあたりがチクリとした。不断草に隠れていたものと見える。赤くぷくりと腫れた。痛む。神経殺しの注射を打たれたような麻痺。ずんずんする鈍い感覚だ。蜂はこの寒さだから、飛び立てない。まだ幼そうに見えた。水道の水で患部をよく洗って、痒み止めの薬を塗りつけた。10分ほどしたら痛みは治まった。いきなりの災難だった。客人も恐縮された。野菜は九条葱と小葱とキャベツと春菊と、それに不断草を持ち帰ってもらった。お若い方だから、料理が得意かも知れぬ。

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花に浮かれても一人

2019年03月25日 13時58分40秒 | Weblog

われと汝(なれ)は二人なれどもやまさくら 花在るところひとりとぞなる   薬王華蔵

わたしとあなたというのはたしかに二人である。しかし、肉体のふたりであって、一体ではない。そこへ山桜が咲いている。するとすぐにも花にこころ惹かれて、ちりじりになっている。見ているのは一人。結局は一人で見ていることになる。花に浮かれても一人なのだ。

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二人で行っても寂しいのに それを一人で行く

2019年03月25日 13時38分50秒 | Weblog

二人行けど行き過ぎがたき秋山をいかにか君がひとり越えなむ      大伯皇女

万葉集巻の2 106。ここの「君」は大津皇子。大伯皇女の母違いの弟に当たる。二人の父親は天武天皇。大伯皇女は伊勢神宮の斎宮となられた。大津皇子は、後に謀反の咎で、若くして死を賜る。この歌では大津皇子を姉が伊勢神宮に招いている。そしてその帰り道を大津皇子は歩いている。時は秋。山々は凋落して寂しい。

この場合の「二人」は、姉と弟の二人だろう。二人で行っても越えて行くことが難しかったその山。いまは夏が過ぎ秋になっている。その秋の山を弟であるあなたはどうやって越えて行っているのだろう。姉は弟と父天武天皇との間にあって、心を砕いていたはずである。大和へ帰したところでそこに平和が訪れて来るだろうかという不安もある。

何人で行っても秋の山を越えて行くのは寂しいものだ。皇子なのだから、もちろんおつきの重臣たちも多かったことだろうが、心を通わしているのは姉と弟という二人だったのかもしれない。結末が分かっているだけに寂しい歌である。

 

 

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公園にはトコロテンが食べられる小さな売店もある

2019年03月25日 13時36分21秒 | Weblog

公園の随所に、桜や藤やツツジが植樹されている。B&Gの体育館がある。こどもの遊ぶ遊具の場所もある。氷、ソフトクリーム、トコロテンが食べられる小さな売店もある。少し離れたところに食事をする食堂もある。その向こうには西九州大学の建物群が建ち並んでいる。そこから南へ4kmくらいに桜並木が続いている。これは一昨日の段階ではまだ一分咲きだった。今日はどうか。自転車に乗って行ける距離だが、風を切るのは寒い。

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退屈を覚え始めている 外に出ようか

2019年03月25日 13時24分27秒 | Weblog

退屈を覚え始めている。外に出ようか。外に出よう。開花し始めた桜の公園をそぞろ歩いたらよかろう。風はない。でも気温は上がっていない。空は銀色鼠。近くに日ノ隈公園がある。県立公園である。だだっぴろい芝生の広場が広がっている。小高い丘が在って麓に湖が3つある。1つは見えないところにある。

 

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