<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

「仏説聖不動経」をわたしも開いて、恐る恐るその一部分を読んでみます。

2020年04月07日 14時27分26秒 | Weblog

「仏説聖大不動経(ぶっせつしょうふどうきょう)」を開いて読んでみることにします。是は昨日の続きです。

大智慧故 だいちえこ 大智慧の故に

現大火焔 大がんだいかえん 火焔を現ず

執大智剣 しゅうだいちけん 大智の剣を執(と)って

害貪瞋痴 がいとんじんち 貪と瞋と痴を害す

持三昧索 じざんまいさく 三昧の索(なわ)を持して

縛難伏者 ばくなんぶくしゃ 伏し難い者を縛(ばく)す

(次に続く)

 

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仏の教えを耳にする、もうそれだけで、

2020年04月07日 14時23分23秒 | Weblog

仏典を読むということは、そこで、導きを受けているということなのだ。仏の導きを受けているということなのだ。

そこでたとい何も得なくても、「仏典を読む」という座標軸までは進んだのだから。仏陀の教えを耳にする、それだけでもうわたしの魂の耳がよろこんでいるはずなのだ。

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そこから何かを掴みたいのだ。

2020年04月07日 14時16分51秒 | Weblog

昨日、不動明王のことを書いてた。途中で尻切れになってた。どうもいけない。

僕はスペシャリストではない。全然そうじゃない。だから、嘘八百を列べてしまうことになりかねない。

其れは辛い。申し訳がない。でも、そろそろそろり書き虫が這って出て、書きたくなる。

そこから何かを掴みたいのだ。自分が掴みたいのだ。読者宛てにそうしているのではなくて、自利をしているのだ。

仏の教えをひもといていると、なにかしら、そこで勇気をもらっているようにも思うのだ。導いてもらえるようにも思えるのだ。

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いい天気だ。遊びに行きたいなあ。

2020年04月07日 14時13分54秒 | Weblog

お天気がいいなあ。外に出たいなあ。

遊びに行きたいなあ。

でも行けない。

足の怪我がまだ治らないから。

だから、じっとしているしかない。

音楽を聞いて、慰めながら、じっとしている。

雀が庭に来てチュンチュン啼いている。

「おじさん、遊ぼう」と言っているのかなあ。

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