わたしの好きな花、都忘れを写真に撮りました。
草丈は伸びてないけど、花は咲きました。
これは濃紫色。
別の花壇には、白い都忘れも咲いています。
わたしの好きな花、都忘れを写真に撮りました。
草丈は伸びてないけど、花は咲きました。
これは濃紫色。
別の花壇には、白い都忘れも咲いています。
絵に描いたらよさそう。
姫リンゴの花。
もしかしたら、写真の腕が上がったのかも。
そんなはずないよね。
ただ無造作にスマホを押してるだけだもんね。
姫リンゴの花が美しいからだよ、全部。
健康色のサニーレタスです。
赤いのと緑色の。
今年は栽培が大成功だった‼️
来る人来る人に差し上げられた。
もち、我が家でも。
毎食。
健康色のサニーレタスです。
赤いのと緑色の。
今年は栽培が大成功だった‼️
来る人来る人に差し上げられた。
もち、我が家でも。
毎食。
16
いつもいつも、何処に居ても、わたしの現前に現れている仏陀。
宇宙として、宇宙力学として。太陽として、地球として。大空として、大地として。山として海として。光として水として。あなたとして。
形にしてくださって。
☆
ああ、嬉しや。ああ、頼もしや。ああ、すまなや、かたじけなや。
☆
・・・そういうことを、この道元禅師のお歌が、この老人に説いて聞かせているように思われたのでした。
これはしかしあくまで、わたしの受け取りです。百人百様の受け取りがあるはずです。
15
いやいや、行くところ行くところで、きっとわたしを守ってくださっています。守っているのが仏陀です。
行くところ行くところで、わたしを導いていてくださいます。そうしているのが仏陀です。
仏陀のわたしへの具体的ハタラキです。
14
行くところ行くところで、わたしの前に現れているものがすなわち仏陀なのかもしれません。山があれば、山が自在者仏陀であり、海があれば海が自在者仏陀かもしれません。
その姿をとって教えを説いていてくださっているのかもしれませんです。わたしに真理を説いていてくださっているのかもしれません。
13
「法身のわたしは見えないが、わたしを見ようとする者には見えている。山川草木の一つ一つが法身としてそこにはっきり見えている」
もしもそうであれば、わたし(この老人)は、仏陀のお慈悲にあずかりたくなります。お慈悲に向かって低頭をしていたくなります。
11
仏陀が彼(仏陀に帰依する者)に付き従って来ているのです。至る所至る所で守って導いているのです。
12
目に見える姿になっていてくださっているのです。そうしないと、困るでしょう?
方便の化身仏になってくださっていないと迷子になってしまうでしょう。