10
仏陀に帰依している者には、目に見えている山々は仏陀なのですね。そう見えています。
仏陀をひたすらひたすら信奉している者には、耳に聞こえて来るものは仏陀の声なのですね。そう聞こえています。
一つになって融け合っているのです。
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仏陀に帰依している者には、目に見えている山々は仏陀なのですね。そう見えています。
仏陀をひたすらひたすら信奉している者には、耳に聞こえて来るものは仏陀の声なのですね。そう聞こえています。
一つになって融け合っているのです。
ここから先は、老人の譫(たわごと)です。眉唾物(まゆつばもの)です。おのおの方油断めさるな、です。
8
仏陀はダンマです。法です。法身です。わたしに働いて来る仏智のハタラキです。わたしを導いている真如そのもの、わたしを守っている大悲そのものです。
ですから物質としての固定した姿を持ちません。目には見えません。
9
しかし、見えていたのです、道元禅師には。すぐそこに聞こえていたのです。釈迦牟尼世尊が至る所に法顯していたのです。
6
お釈迦様がそこにはっきりお姿を現して、しかも、声を掛けて来ておられるのですから。
7
「峯(みね)の色」とは、分け入っている山中の風景でしょう。「谿(たに)の響き」は流れ下る谷水の音でしょう。
☆
山々の姿を見ているとその一つ一つがお釈迦様のお姿になって迫り、谷川を流れる水の音を聞いていると、一声一声がお釈迦様の説法の声として聞こえて来る。と。
4
もしかしたら、思い余って落涙をされていたのかも知れません。
5
遇いたい人、お釈迦様がそこにいらっしゃるのですから。
3
禅師は、そのたびに「南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)」「南無釈迦牟尼仏」と声に出して唱えておられたのでしょうか。
「南無」は、帰依をするということです。主客が消えて一つになってしまうことです。
1
峯の色 渓の響きもみなながら 我が釈迦牟尼の声と姿と
これは道元禅師のお歌です。
2
道元禅師の目には、目にするものは何でも、お慕いする仏陀、お釈迦様に見えていたのでしょうね。
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峯の色 渓の響きもみなながら 我が釈迦牟尼の声と姿と
これは道元禅師のお歌です。
2
道元禅師の目には、目にするものは何でも、お慕いする仏陀、お釈迦様に見えていたのでしょうね。
11
あ、今日は草毟りをしているときにトカゲさんに出遭いました。まだ子供のように見えました。
12
やあ、と挨拶をしました。恥ずかしそうにして隠れていってしまいましたが。
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あ、今日は草毟りをしているときにトカゲさんに出遭いました。まだ子供のように見えました。
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やあ、と挨拶をしました。恥ずかしそうにして隠れていってしまいましたが。
7
いささか狭い料簡で生きて来たなあ、って。
8
だったら、死ぬまでにもうちょっとだけ、料簡を広げておこうかなあ、って。
9
視野を広げてもう少し寛大になっておこうかなあ、って。
10
雀を見ているくらいで、そうなるのかどうか。まったく分からないけど。