5
凡夫のわたしは、仏陀の仏智見の世界(浄土)を捕らえることは出来ない。
凡夫のわたしの考え得た極楽浄土は、あくまでも、凡夫の描いただけの浄土幻想である。
迷妄の国、娑婆世界の延長線上にある理想世界ではない。人間が価値を認める世界ではない。
無為なのである。人間の計らいを超脱しているから無為なのである。仏智見の設定する安らぎの世界、そこが極楽浄土である。
5
凡夫のわたしは、仏陀の仏智見の世界(浄土)を捕らえることは出来ない。
凡夫のわたしの考え得た極楽浄土は、あくまでも、凡夫の描いただけの浄土幻想である。
迷妄の国、娑婆世界の延長線上にある理想世界ではない。人間が価値を認める世界ではない。
無為なのである。人間の計らいを超脱しているから無為なのである。仏智見の設定する安らぎの世界、そこが極楽浄土である。
4
無為(むい): 寂静に同じ。凡夫の計らいを離れた世界。安らぎの無上涅槃界。
寂静無為の楽:著者親鸞聖人は「楽」を「みやこ」と読ませてある。仏智見の極楽浄土のことであろうか。凡夫のわたしの考え得る浄土ではない。
仏智見の極楽浄土を、生死輪廻の家と重ね合わせてみてはならない。
3
生死を輪廻して転がっていくこの迷いの世界。ここを長く果てしなく住み処としているのは、ただただ、<わたしを救うという阿弥陀仏の本願>を疑ってかかっているからである。
迷いの家を出て、すみやかに寂静無為の楽(みやこ)=安らかな仏の国、浄土に入るには、阿弥陀仏の本願を信じるしかないのだ。凡夫のはからい、自力の疑いこころを捨てるしかないのだ。
1
還来生死輪転家 げんらいしょうじりんでんげ
決以疑情為所止 けっちぎじょういしょし
速入寂静無為楽 そくにゅうじゃくじょうむいらく
必以信心為能入 ひっちしんじんいのうにゅう
浄土真宗経典「正信偈(しょうしんげ)」より
2
生死輪転の家に還り来るとは、決するに疑いの情(こころ)を以て所止とす。
速(すみ)やかに寂静無為の楽(みやこ)に入ることは、必ず信心を以て能入とす。
*
能入(のうにゅう):入ることが出来る因(たね)。
疑情(ぎじょう):仏の本願を疑ってしまうこころ。
6
口を尖らせるまい。傲慢にはなるまい。根っからの横着者だから、そうしかなるまいが、しばししばし立ち止まろう。
始めから終わりまで、生かしてもらっているのである。常に守護されているのである。導きに身を委ねているのである。
5
曇ったときには、日陰を楽しめばいい。
雨の日には、万物の潤いに同化しておればいい。
晴れて来れば、着ていたざまざまな執着類を脱ぎ去って、それを日干しにしておけばよい。
・・・と自分に言い聞かせる。対処の仕方を間違ってしまって、料簡を違えてしまって、迷ってうろうろしてしまうからだ。
3
曇ると日陰が出来る。気温が下がる。雨が降ると潤う。命の水が行き渡る。晴れると湿り気が蒸発して乾燥する。爽やかになる。
4
恨むことはない。逆らうことはない。
そうやって其の中で暮らしを続けていけるのだ。さまざまな条件下で条件に適合しながら生きていくことが出来る。
1
曇る。雨が降る。晴れる。また曇る。ざあざあ雨が降る。やがて大空も大地も晴れ上がる。それを交互に繰り返す。
2
曇るのはいいことだ。雨が降るのはいいことだ。晴れるのもいいことだ。みんなそれぞれに役割がある。