<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

きれいな花は愛惜に散る

2016年10月28日 16時33分13秒 | Weblog

「花は愛惜(あいじゃく)に散り、草は棄嫌(きけん)に生ふる」 

これは道元禅師が「正法眼蔵現成公案」の中で述べておられる。花は愛されるが草は嫌がられる。花が散るのは惜しいが、草は棄ててしまいたい。美しいものはいつまでも常住していてほしいが、無用なものは一時も早く消え去って欲しい。そういう風に差別をする。差別をするわたしのこころこそが翻弄されているのも知らずに。映るものをみな色眼鏡で見て、或るものはいつまでもそこにあってほしいと願い、また或るものは今ただちに目の前からなくなってほしいと願う。そして術策に落ちたように藻掻き出す。それがそうならなかったときに苦しみ出し悲しみ出す。無常を常とすることがいかに難しいことか。万物が無常ならば、我がこころもこれに応じていればいいのだが、我が愛惜と棄嫌は絶え間なく攪拌されて苦に変じていくばかり。幸福は常であってほしいが、不幸はそうあってほしくない。そうであるのに、その逆になって、幸福が無常のさまを呈して過ぎ去り、不幸が常になって澱んでいる。生死を見る場合もそうだ。片方を愛惜しもう片方を棄嫌する。

禅は外なる乱れを整える代わりに内なる己を整える修行をする。ものを見る己の目の乱れを修正して整える。姿勢を整え息を整えこころの目を整える。禅は寂静の姿である。静かな時間を持てば振り子の揺れは収まってくる。己の振り子が収まってくる。

今日のさぶろうはそんなことを思った。さぶろうが揺れていたのである。外なる万物が揺れ動いていたのではなく、内なるわたしがひとりで騒がしく揺れ動いていたのである。

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もうここらへんでいいんじゃないかなあ

2016年10月28日 10時18分03秒 | Weblog

おはようございます、どなた様も。夜中ずっと雨音がしていました。眠りを覚ますほどの。午前10時を回っていまは止んでいます。風もありません。わたしはYouTubeで長時間ベートーヴェンのピアノ曲を聞いています。いい気持ちになっています。

昨夜目が覚めてふと、「もうここらでいいんじゃないかなあ」と思いました。ふとです。もう足りているような気がしました。人生の終止符を打ってもよさそうだと思いました。足りているといって、中身が充実をしているということではありません。願っていた分はすっかりかなえられているような気がしたのです。なんだか面倒臭くなったのかもしれません。あれやこれや小さな力で小さな抵抗を試みるのが面倒に思えて来たようです。父の待つ国へ、母の待つ国へ、弟の待つ国へすんなりと移住ができたらいいがなあ。すんなりと。子猫が親猫に銜えられて引っ越しを果たすように。

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無常の色界に惑いに惑うさぶろう

2016年10月27日 21時10分33秒 | Weblog

いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしよひもせす    

弘法大師空海のいろは唄である。

「いろ」は色即是空の色。現象界のものもの。色界は色界の仕来りに拘束される。花の盛りに来れば芳香を放つ。だが我が世の春は長続きがしない。無常の風に晒されることになるが、こうした有為転変の世界は奥が深いもので、それを見通してここを超えて行く道もついている。この奥深い山々を越えて出ると見ていた夢が覚める。浅はかな夢に右往左往していただけなのだ。此処は仮寝の宿。空の世界。悲しみ楽しみに酔いつぶれるなかれ、だ。

無常を常とすべし。われわれは変化して止まない世界に生きているのだ。しかし、ここで打ち止めではない。此処は中途。先へ先へその先へと続いている。いのちの旅は永遠なのだ。永遠の地平にやがて成仏の地が見えて来る。仏教の目指すゴールは成仏である。わたしが仏と成るということだ。仮寝の宿ではない真如界で仏と成る。それまでは無常の色界に惑いに惑うこととなる。

いいじゃないか、惑いに惑っても。「終わりよければすべてよし」の諺もある。人間の終わりは成仏である。仏と成ることだ。

でもね、ほんとうは仏と成ってからもいよいよ進化を遂げて行くのだけどね。一つの次元が終わるというだけで、次の次元に位上がりをするはずだ。そこまで到達したらどうなんだろうね。いまの色界のさぶろう、苦しみ多いさぶろう、迷いばかりのさぶろうがどんなふうに思い出されていくのだろうね。その日が楽しみ。

などと今夜さぶろうは思った。他愛もない。もう寝よう。夜も更けた。

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稲の分蘖力に驚く その4

2016年10月27日 20時59分05秒 | Weblog

ここで田から水を抜く。中干しという作業だ。こうすると稲穂が飢餓状態に入る。するとそこで調整が進む。中身が充実する。硬くしっかりとなる。水を抜かれた株は風が吹いて来ても倒れにくくなる。穂の重みに耐えられるようになる。田が干涸らびる。すると土の中に潜んでいるガスが抜ける。病原菌が死滅する。稲はますます健康になる。そしてまもなく刈り取りの時期を迎えることになる。

稲穂はその茎にも同じように実って垂れている。一斉に実っている。遅れがない。早抜けもない。植物は賢者だ。同等を勝ち得ているのだ。平等を実践しているのだ。ここが凄い。たかだかススキの類と笑う事なかれ。彼らは人間が想像する以上に進化を遂げているのだ。他を待ってやれるだけのゆとり、大きさ、包容力が、どの人間にも等しく身についているかどうか。考えさせられる。

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稲の分蘖力に驚く その3

2016年10月27日 20時47分48秒 | Weblog

8月に入ると出穂(しゅっすい)が始まる。田植え語83日くらいで穂が出るのである。最初の1茎からだけではなく、後で分かれて成長したどの茎からも一斉に。この一斉にが凄い。横一列で競争がないのだ。人間とは此処が違う。争わない。譲り合って状況を一つにする。足並みを揃えることが出来る。これは他のどの植物でもできるということでもない。たくさんの籾が列ぶ。午前10時から午後3時くらいの日照時間に雄蘂と雌蘂が顔を出す。白い小さな蘂である。風媒によって受粉する。受粉した籾殻は閉じる。そして重たく垂れてくる。重たくなるのは乳熟期に入った証明になる。籾の中では乳状の養分、つまりデンプンが貯えられて行く。籾を潰してみると乳が出て来る。これで準備がほぼ完了したのだ。

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稲の分蘖力に驚く その2

2016年10月27日 20時38分12秒 | Weblog

植物は賢者である。己の正義を実行に移す。分蘖(ぶんけつ)がそうである。田植え語ほぼ1か月でそれが開始される。一つの茎がその根元で増殖して分かれて行く。1茎が最後は20茎くらいにまでになる。なぜ賢者であるか。最初の1茎が待っているのである。他の成長を待っていられるのである。自分の成長を止めて後から増えて来たものに栄養を委譲する。そういうことができる。これで足並みが揃う。分蘖後期になるとどの茎の草丈も変わらなくなる。そうすると今度は幼穂形成期に入る。ここで稲穂のこども(籾)ができるのだ。揃ってそれを作る。ここが賢者の賢者たる所以だ。ここから急激な、劇的変化が起きてくる。

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稲の分蘖(ぶんけつ)力に驚く その1

2016年10月27日 20時06分14秒 | Weblog

田植えをして数日は「植え痛み」をする。7日から10日くらい。痛みに耐えているだけで発育を止めているふうに見えている。が、それは地上部。地下部の根は3日~5日目くらいからじわじわ白い新しい根を伸ばし始める。内部の力がそろそろそろそろと動き出す。一週間から二週間くらいでほっそりしていた葉が深い緑を増して来る。14日を過ぎると稲株が大きくなり葉の幅が広がる。そして肘を張ったようになる。そう、単子葉植物の特性の分蘖(ぶんけつ)が始まるのだ。根のすぐ上から茎が分かれて来るのだ。分かれすぎないように水嵩を増してやる。まあまあまあまあという具合に。稲の成長力は凄まじいのだ。いっときのうちに分蘖が重なってふっくらなって来る。やがて片手では握り難くなる。

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だらしないなあ

2016年10月27日 19時58分23秒 | Weblog

旅に出たいなあ、出たいなあでこの一週間が過ぎてしまった。お金の融通ができなかった。じゃ、仕方がないよね。文無し山頭火の真似は出来ない。それともう一つ。寂しさが募るようになった。昼間はあれこれに紛れていいが、夜、酒を飲んで部屋に戻ってからがいたたまれなくなった。寂しさに耐えられなくなった。夜中淋しい。朝になるまで淋しくて淋しくて。魂がひりひりする。それを思ってこれを思って、この頃旅に出て行けない。だらしないなあ。

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他愛なくたっていいんだよね

2016年10月27日 19時49分14秒 | Weblog

他愛なくたっていいんだよね。この世をずしんと重くしなくてもいいんだよね。わっはっは。おっほっほと笑っている。ずしんと重たいから重たくしないようにするんだよね。

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実に他愛もないなあ

2016年10月27日 19時39分58秒 | Weblog

好きだねえ、さぶろう。ちょいと外へ出て、そこでちょこんとお猿さんのように座椅子に座っている。夕風に吹かれている。そんなことしたって一文の得にもならないのに。どうってこたあないのに。かっこいいこともないのに。なあんにもならないのに。夕風に吹かれている。もう寒いよ。最後は、ようやく立ち上がって、化学肥料の粒剤をボールに注いで来て、これを根深葱の畑にばらまいて回った。花咲け爺さんのように。他愛ないなあ。さぶろうのやるこたあ、実に他愛もないなあ。

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