種を蒔いていたのが育ちました。それで夕方になってひょいと立ち上がって畑へ行き、キャベツの苗10株の移植をしました。これで気が霽れました。カンタンです、わたしは。殺虫剤を根株に散布して、水をたっぷりあげておしまい。肥料は根がしっかりついてからにします。そうしているうちに日がすっかり暮れました。
おはようございます、どなた様も。今朝はやや曇り気味のようです。早朝に外に出て草取りに従事しました。暫くの間でしたが。さっぱりいい気持ちになりました。
一晩、コンプレックス主宰の重たい夢を見続けました。へとへとになりました。なるほどわたしはコンプレックスの塊なんだなあと実感しました。これを覆せるようなものをわたしは持ちません。これまでいったい何をしてきたんだろうと思います。自慢に出来ることが一つもありません。青空がないようなものです。これは辛いことです。それで早朝から外に出て行きました。朝鮮朝顔が咲いていました。小さい小さい野生の花です。
金立山の麓に広がる金立公園に、家内と一緒にコスモスを見に行って来た。何万本あるかは知らない。公園が一面コスモスの花で埋め尽くされていた。区画区画の畦道をぐるぐる歩いて来た。乳母車に赤ん坊を乗せたお母さんやこどもの手を引いたお父さんにたくさん出遭った。老人ホームのバスも何台も止まっていて車椅子のお年寄りが巡回していた。若いアベックもいた。老夫婦もいた。僕たちは最後には疲れてしまって、石のベンチに腰を掛けた。美しいコスモスが風に揺れているだけで、こころが癒された。若い頃には一人で何度もこの金立山の頂まで登った。そういうことが自然と思い出されてきた。
阿弥陀仏までは一道である/見失っても/迷っても/阿弥陀仏までは一道である
阿弥陀仏までは無碍である/ぶつかって/転んでも倒れても/阿弥陀仏までは無碍である
雲の峰が/真っ白に湧き上がっている/その先へその先へ/雲の峰が真っ白に続いている
生きているときにも/この道は大きな一本道であったが/死の向こう側にも/この道は大きく開かれていた/
まもられ/みちびかれ/招き寄せられているばかりで/阿弥陀仏までは/ひたすら無碍の一道であった/
無所得の旅をした/無所有の旅をした/わたしが悟ることはなくてすんだ/おお/なんとさわやかな人生の旅であったことか/軽快だったことか/得るものがなかったので/持つものもなかった/手ぶらなままで/迷いに迷うだけでよかった/それもそのはず/万物万象は/如来所得であって/如来所有/これですっかり済んでいたのだ/如来の法を得ず/如来の法をも所有せず/それでいてすっかり如来任せで/事が足りていた/
いいお天気だ/こうしてお天気の空を褒めているけれど/そんな気分になれない人も居るだろうな/怪我をしたり病気をしたりして/不幸を歎いている人がいるだろうな/そういうときに/お天気の空を褒めていてはいけないかもしれない/じゃ、そおおっとそおおっと/しかし怪我をしたり病気をしたりしている人が/澄み渡った秋の青空を褒めてはいけないということはない/断じてない/でもそんなふうに見えていないかも知れない/そういうときに空のことを書いたら/ああそうだった、自分は見えてなかったけど/ほんとうにいいお天気だ、今日は/などと言って空を仰ぐってことが/あるかもしれない/そこでその人が/しばらく空のようににっこりすることが/あるかもしれない
いいお天気だなあ/いいお天気だなあ/いいお天気だなあ/それより他にいう言葉が見つからないなあ/いいお天気だなあ/それにしてもほんとにいいお天気だなあ/秋晴れっていうんだろうなあ/天が高い
大悲無倦常照我 だいひむけんじょうしょうが
大悲は倦むことなく常に我を照らしたまふ。
☆
阿弥陀如来の大悲の光がいつもわたしを照らしている。心配はいらない。何がどうあろうと心配はいらない。照らされているわたしである、阿弥陀如来に照らされているわたしである。飽きっぽいわたしはすぐに投げ出してしまうが、阿弥陀如来は仏陀である。わたしが投げ出されてしまうことはない。いつもいつもわたしに光が届いているので、わたしは阿弥陀如来の光の中にいて、輝いている。輝きが見えるか、さぶろう。
おはようございます、どなた様も。澄み切った青空が広がっています。快晴は気分も快晴にします。今日はこれから三ヶ月検診に行って来ます。産科ではありませんよ。午前中一杯はかかります。朝ご飯抜きです。庭にダリアの花が真っ赤です。秋のアクセントです。午後からぶらり。隠れ家にでも行ってゆっくりしてくるかな。
勤めていた学校の同窓会一日バス旅行に参加してきました。初めは雨が降っていましたが、午後近くになって止みました。青空になりました。参加したのは何十年かぶりでした。目的地は新旧の西海橋。新しい西海橋は橋の下に人が歩く歩道橋がかかっている珍しい橋でした。ほかに国指定重要文化財になっている旧佐世保無線電信所施設を尋ねました。旧日本軍が大正7年(1918)~同11年にかけて建設した送信施設です。塔の高さが136m。基底部の直径12m。煙突のような鉄塔が3基建っていました。太平洋戦争の開戦を告げた「ニイタカヤマノボオレ1203」を送信したところとして有名です。お昼は魚料理を堪能しました。卒業生のみなさんはじめ同窓会の係の職員数名と話をすることも出来ました。18時に帰宅しました。楽しい一日になりました。