図書館で興味ありそうな本を見つけました。
本のタイトルは
「知らなかった!驚いた!日本全国「県境」の謎
実業之日本社 著者:浅井健爾(Asai Kenji)¥762
ISBN 978-4-408-10712-7
この本を手にとってみた理由は今から10年位前でしたっけ(?)、東京都と埼玉県の県境ギリギリで住所表示が埼玉県で暮らしていた経験があるからだ。
ここまでが東京都保谷市(2001年1月、保谷市と田無市が合併し、現在は西東京市)、数歩先の住むところは埼玉県。
似たような住宅街なので、はっきりした県境は引いていないのですが、どうせ住むなら鼻の先の東京都の境界をこっちまで変更してくれ、と何度か思ったことも。 この本で謎が解けました。
保谷市はもともと埼玉県新座郡保谷村として発足。
地図を見ていると東京府に深く食い込み、交通も行政運営も支障があったため、保谷村をめでたく東京府に移管。
明治時代の「東京府」といえば、今の23区に該当する部分で三多摩地域は神奈川県。
昨年11月、檜原村の三頭山荘に宿泊したときの併設する資料館で「神奈川縣西多摩郡檜原村」と書かれてある資料も見つけた。
山奥の田舎まで東京に編入された経緯は玉川上水の水源地が神奈川縣の管理下に置かれては水道の安定供給が図れないので、神奈川県と東京府が何度か衝突を繰り返し、1893(明治26年)に檜原村も含む三多摩地域を東京府に移管。
当時は三多摩を「多摩県」として独立すべきだという意見もあったらしいです。
「伊豆国」といえば静岡県なのに、伊豆諸島はなぜ東京都なのか?
これも謎が解けました。
1876(明治9年)、足柄県が神奈川県と静岡県に分割、統合されたのに伴い、伊豆諸島は伊豆半島とともに「静岡県」に編入。
ところが、伊豆諸島では江戸(東京)に海産物や塩、織物(黄八丈)を年貢として納め、その代わりお米が支給されていたので、静岡よりも東京に関わりがとても深かった。
「静岡県」の管理下に置かれては島の人にとっても不便が多く、静岡県ではなく東京府に編入したいと望む声が多かったため、1878(明治11年)に伊豆諸島も晴れて東京府に移管。
伊豆諸島の中で1番お気に入りの青ヶ島村だって、2年間は「静岡県」だったときもあったのですね。
「東京都青ヶ島村」はもう何度か聞き慣れているのですが、「静岡県青ヶ島村」はちょっと違和感が・・・。
また興味のありそうな話を見つけましたが、今日はこのへんで。
千葉大原産の真鯛が、いちまんはっせんえ~ん!!。
しかし、よく見るとまわりは数百円の庶民的な魚と混じっていました。
「おお、高いな~、誰が買うだろうね」と羨望な眼差しで通り過ぎるしかありません。 これも房州産のサザエ。
2個780円でした。あまりにも大きすぎたサザエは1個800円。
食べられない殻の部分まで計量されるので、小さなサザエのほうがお得のような気がするけど・・・。(笑)
スーパーでは買えず、海の幸を眺めるだけでしたが・・・ 昨日、山口の伯母から宅配便で海の幸がどっさり届きました。
連休は国王さまのお出ましなんだろうとタイミングよく配達されましたが、残念ながらお仕事中のようなので、帰って来れませんでした。
さっそく、熟手のドックおじさん(父)にサザエのつぼ焼きを作ってくれました。
4個いただきましたが、近所のスーパーで買ったとしたら軽く2千円は超えていたかも知れません。
おかげさまで千葉に居ながら山口に帰っているかような気分をさせてくれます。 サザエの炊き込みごはん。
オレンジ色が光加減で「ウニ」のように見えますが、実際はニンジンです。
私は「ウニ」の産地育ちだというのに、幼いときに見たウニ割りがトラウマになってしまい、口にするのが非常に怖くなってしまいました。
幼いときに見たウニはサッカーボールのような大きさに見えるのです。
(実際は小さいけど、子供時代はすべてビッグサイズに映ってしまいますね)
パカっと真っ二つに割っても針が激しく動いていたので、まるで心臓や器官をえぐり取られても生きる化け物のような印象を受けたからでしょうか。それなのに、イクラやたらこ、明太子は大好物です。 体長30センチの大アジの焼き魚。
養殖ではなく、天然物を釣り上げたものを直送なので、何もつけなくても美味しい。
このあいだの年末もヒラソ(関東では「ヒラマサ」)、サザエ、あわび、イカなど戴いたばかりなのに、いつもありがとうございます。<(_ _)>