東京アイランド

OCNブログ人サービス終了に伴い、ここに引っ越ししました!

なかなか凪ぎません・・・

2016-11-09 07:51:08 | 2014~2022青ヶ島
 日本のはるか東に台風23号が低気圧前線に化けたものがあり、もう1つ、日本列島にも低気圧前線が伸びているので、太平洋の海はまだまだ波が高い状態(3mくらい)
 今朝の御蔵島は無事に就航できたか、確認すると、無事入港できました。防波堤もなく大海原に1本突き出ただけなので、御蔵島も青ヶ島と同じく着岸できるかどうか、船長さんの見極めで決定。
 11日もまだ波が高く、もしかしたら、「条件付き」出航になりそうです。(海上状況は毎日変わりますので、100%その通りになるとは限りません)
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7年のブランク・・・小笠原ルール忘れていた!!

2016-11-09 00:43:23 | 2016小笠原
 ずっと昔、若かった頃、足繁く年に1度は小笠原に帰っていた頃は小笠原の昼休みは12時から13時30分までという常識は知っていましたが、7年もブランクがあると小笠原ルールをすっかり忘れてしまうのも無理ないか・・・。
 昼食のレストランに入る前に、レンタバイクのガソリンを満タンにすればよかったのに、お腹が減っていて食べることしか念頭になかったので、忘れてしまった。
 母島のカレー、美味しかったな~!!さて、借りたバイクにガソリンを入れに行くか!と思ったときに小笠原ルールがよみがえりました。
 今日の父島行き「ははじま丸」は14時出航。13時30分にガソリンを入れに行って、バタバタしそうだ。母島観光協会の係員も手話を学んでいるので、「あ、あのー、今からガソリン入れたいんだけど、開いている?」と手話で聞いてみました。「13時30分からなので、今は閉まっているんです」「電話で呼べる?」「さあ、今は昼休みなので電話しても誰も出てこないかも」
 
 小笠原ルール

 小笠原の昼休みはどこでも正午から1時間半。小笠原村役場も昼休みが30分長い分、8時から開庁。小笠原小中学校、母島小中学校も、学校給食がないため、児童生徒は各自家に帰って昼食をとるのが普通です。
 青ヶ島小中学校は、内地の社員食堂に劣らないほど毎日豪華なメニュー。先生たち、子供たちも毎日正午が楽しみでしようがないんでしょうね・・・。
 
 親方日の丸の役人は昼休み一斉に休むとはサボり過ぎる!!と批判があるようなので、昼休み1時間半が当たり前の小笠原村も公的機関の役場や郵便局は昼休みであっても交代制で開いているようです。


 母島のガソリンスタンドです。日本における石油ブランドは、ANAカードのマイルが2倍になるENEOS(エネオス)、出光、コスモ、モービル、昭和シェルの5社。昔は三菱石油や九州石油、JOMOもありましたが、それらのブランドもENEOSに吸収される形での統合。三菱や九州、JOMOのスタンドもENEOSカラーに染まっているので、日本のどこに行ってもENEOSです。ANAカードもマイルも2倍になるので、我が家もENEOSでんき、ガソリンも浮気せずENEOS石油オンリーに。ENEOSでんきに替えてから東京電力時代に比べると1割は安くなりました。父島は「コスモ石油」とブランドの看板は出ているが、母島はどのブランドなのかわかりません。青ヶ島も同じく。給油所の改修が行われたらしく、まるでJR東海の湘南カラー(オレンジとグリーン)の配色。

 2台で3.17リットル。母島の南北、かなり走行したというのに、50CCバイクの燃費は非常によいとは・・・。
 「3リットルで600円ですね」と言われたとき、8%の消費税込みでリッター200円。母島は離島のアバウトな性格なのか、0.17リットル分まで細かく計算するのは面倒くさい。0.17リットルの部分は切り捨て、3リットルでよいとそう思っているかも知れない。
 青ヶ島もそう。島民みんな細かいことを嫌い、アバウトな性格なのかも。青ヶ島でレンタカーを借りて、返すときも「ヘリコプターで帰るんだったら、ヘリポートに置いて行きな、あとから取りに行くから」。新島でレンタカーを借りたときも、港の駐車場に置いて行け!!式根島も返したあと、「港までの足はどうするの!?」と心配してくれる。「この車を返すまえに荷物は全部港に置いてあるんです」「なるほど、港まで送ってやるから」。
 スローライフの離島、島民たちの心も大雑把な性格なので、何度も訪ねたくなるのは自分でも納得。うちの職場でも「1」の誤差がなきように非常に細かすぎるデータを要求する、あの人がいて、もめ事。今も平行をたどっていて、あと144日を待つしかない。はぁ・・・・。来年の4月になれば、私は訴訟していることもあり、処刑されて別の職場へ。あの人が作った、非常に細かすぎるデータ作成は誰に引き継ぐんでしょうか!?引き継がれた人も、ものすごーくイヤな気分になるのは違いない。将来にわたる業務の進め方を考えず、木を見て森を見ず的な仕事をするなっ!!と文句を言いたいところですが、あと144キロの我慢。
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写真に写っている子供たちは・・・今70代!?

2016-11-09 00:00:00 | 2014~2022青ヶ島
<<2017年3月31日まで あと144日>>


 1955年。和暦に換算すると、昭和30年。61年前の読売新聞も、日本一の辺境の地とされている青ヶ島まで記者が押しかける度胸はすごかった。

 「昨年船は6回しか島をおとずれなかった。いつくるともわからぬ船をもとめて きょうも子供は浜に立つ。正面の島は八丈島 左は小島」
 つまり、1954(昭和29)年に船が来たのは年間たったの6回だけっ!!!
 今の青ヶ島村役場前通りに立つと、眼下に新しくできた体育館。奥に目をやると、八丈島の島影が見えます。61年前の写真でも、今でも変わらぬ。
 青ヶ島にやってきて、八丈島が見えるのに、なんとかもどかしさを感じるときもある。今、見えている島は、八丈島。羽田行きのANA便が1日3便も飛んでいて、八丈島から羽田までわずか45分。し、し、しかし・・・八丈島から青ヶ島までの交通手段は1日2便ありますが・・・ヘリコプターは9人乗りなので、なかなか予約が取れない。船はあおがしま丸で3時間。天候次第で就航するかどうか、当日の朝にならないとわからない。
 八丈島が見えているのに、東京までわずか45分。ここからだと、かなり難儀する。写真に写っている子供たちも今は70代になっていると思いますが・・・八丈島に対する思いは今も変わらないでしょう・・・。
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