2月10日土曜日。早くも2月は10日経過。あっという間にとんとんと時間が過ぎているような気がします。さて、本日のあおがしま丸は条件付きで出航しました。まもなく青ヶ島に着岸する時刻です。ライブ映像によれば、三宝港の新桟橋ではクレーンが待機中ですが、ちょっと波で海面がしゃぶしゃぶになっている感じです。このような状況だと船が上がったり下がったりするので、作業が難航になることもあるようです。本日も無事に入港できますように。青ヶ島村も光ファーバーなので、全国いや世界どこからでも瞬時に今の三宝港の様子を確認できる時代になりました。
令和も6年になり、昭和も遠くなりにけり。大正天皇が47歳の若さで崩御され、昭和天皇が25歳で即位。昭和時代は戦前(昭和元年から16年)、戦時中(16年から20年)、戦後(20年から64年)の3つに分けられていて、多様な文化が移り変わっていた長い時代でした。
大正15(1926)年の12月25日に大正天皇が崩御され、この日から昭和元年に改元。わずか1週間で昭和2年。C51の239号機は1927(昭和2)年大阪汽車株式会社製造。昭和天皇のお召し列車牽引機として、指定されていました。
1962(昭和37)年、現役引退後は新潟県の鉄道学園敷地内で長年も野ざらし状態になり、そのまま朽ち果てるのではないかと言われていたようです。製造37年目で廃車にしてしまったようですが、国鉄のディーゼルカー、キハ40や47は40年経過してもバリバリ現役です。
機関士さんが蒸気機関車を動かす運転席。
こちらは石炭を炉にくべる助手席。国鉄時代は蒸気機関車に2名、後ろの客車は車掌が乗務。車掌が機関士に出発進行を伝えるのに無線トランシーバーが使われるようになったのは戦後の高度経済成長期だと思うんですけど、それがなかった時代は汽笛で合図していたようです。
メーターがたくさんついていて、何を意味するかわかりかねます。
蒸気機関車の後ろにある、石炭を搭載するところです。