いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

< 郷土料理 > 山形 からかい煮

2024-04-07 09:37:56 | 郷土料理

 「からかい煮」

主な伝承地域
県内全域

 主な使用食材 からかい、醤油、砂糖、みりん、酒

 歴史・由来・関連行事

 「からかい」とは北海道でとれるエイ(カスベ)のヒレで軟骨部分を乾燥させた乾物のこと。昔は海が遠い内陸部で魚といえば「塩引き鮭」や「棒ダラ」、「からかい」などの干し魚だった。もともとは北海道から伝わったもので、「十把一絡げ(じゅっぱひとからげ)」の「からげ」という品目名称だったが、名称を「からかい」と変えて山形県に根づいたとされている。庄内地域では、「からげ」の名称が残っている。
 内陸部では祝い事や祭りで食べる特別な料理として大切にされている。

 食習の機会や時季
 正月やお盆、祭りなどのときに「赤飯」と並ぶくらい大事なハレの日の伝統の行事食。冷めても美味しく日持ちがするので、お茶うけに出す家庭もあるという。

 飲食方法
 「からかい」は、水で2日から3日かけてゆっくりと戻し、骨が柔らかくなるまでじっくりと煮込むことで柔らかく、プルプルとしたコラーゲンとコリコリとした食感の軟骨が楽しめる。ゼラチン質が多いので煮汁が冷めると「にこごり」ができ、ごはんとの相性が良い。
 「からかい」は大きいまま水戻ししたほうが旨味が逃げずに味が良い。ただし、大きいものを家庭で戻すのは難しいため、年末には魚屋などが水戻しをおこない、パック詰めして煮るだけの状態にして出すこともある。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 調理に時間がかかるため、現在は家庭でつくられることは少なくなったが、スーパーマーケットなどで「からかい煮」は販売されている。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/karakaini_yamagata.html より

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<伝統野菜> 大分 耶蘇芹

2024-04-07 09:32:44 | 伝統野菜

 「耶蘇芹-やそぜり」

 【生産地】由布市湯布院町、竹田市久住

 【特徴】湯布院・久住などの山間地に自生する西洋芹(クレソン)。アブラナ科オランダガラシ属。草丈は30㎝から120㎝ほど。繁殖力が強く、野生のものは湧水や小川などの水辺に群生する。

 【食味】爽やかな香りと特有の辛味。シャキシャキとした食感

 【料理】肉料理の付け合わせ、サラダなど。

 【来歴】原産地は中部ヨーロッパとされ、明治初期に外国人宣教師によって日本へ伝来した。湯布院町など大分県内各地の隠れキリシタンの里と称される山深い渓流には、今も耶蘇芹(ヤソゼリ)と名付けられたクレソンが自生しています。

 【時期】3月~6月

*https://tradveggie.or.jp/44-ooita/#i-19 より

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<B級ご当地グルメ> 北海道 旭川しょうゆ焼きそば

2024-04-07 09:28:16 | B級ご当地グルメ

 「旭川しょうゆ焼きそば」

 旭川しょうゆ焼きそば(あさひかわしょうゆやきそば)は、北海道旭川市で提供されている焼きそば。旭川市で秋季に開催される食文化の祭典「北の恵み 食べマルシェ」(以下「食べマルシェ」と略)をきっかけとして、2010年代以降に開発された。旭川産または北海道産の米粉や醤油などの食材を用いていることが特徴とされる。道央と旭川を代表するB級グルメの一つ[1]、旭川ラーメンや塩ホルモンに次いで知名度の高い旭川グルメとの声もある料理である。

 開発の経緯
 旭川食品加工協議会が2010年(平成22年)に「食べマルシェ」に試験的に出品した焼きそばがもとになっている。この焼きそばに、北海道産小麦粉と旭川産米粉を配合した麺、旭川産の醤油仕立てのタレを活用したものが「旭川しょうゆ焼きそば」である。

 翌2011年(平成23年)に、旭川の食品関連団体による「アグリフードプロジェクト戦略会議」で、この焼きそばを旭川の新たなブランドとするための意見交換や試食が行われた。同2011年6月に、9月開催予定の「食べマルシェ」に先駆けて、プレイベント「春の地場産フェア・神楽地区地域マルシェ」が旭川で開催され、ここで旭川しょうゆ焼きそばが、新たなご当地グルメとして初めて販売された。9月の「食べマルシェ」では、4業者による「あさひかわしょうゆ焼きそばブース」のブースが開設された。

 同2011年9月、旭川の食品関連団体や農業者らにより、旭川の新しいご当地グルメの普及を目標とする「旭川しょうゆ焼きそばの会」が発足し、後述のような規定が定められた。それまでの焼きそばの提供は居酒屋やイベント会場でのみであったが、2011年10月には、旭川市の飲食店経営業者であるプリコで、冷蔵、冷凍パック商品が開発された。

 2012年(平成24年)2月には、駅弁の製造販売業者である旭川駅立売商会により、旭川しょうゆ焼きそばが駅弁として商品化され、3月より販売が開始された。旭川産や北海道産の食材を用いるという特徴を守りつつ、冷めても美味しく食べられるよう工夫が為された。

 同2012年4月には、旭川しょうゆ焼きそばを提供する全24店舗(2012年4月時点)を紹介するパンフレットと公式ウェブサイトが完成した。

 2018年(平成30年)からは旭川市立東陽中学校の調理実習にも取り入れられ、旭川大学の学生がオリジナルの焼きそばの販売会を開催するなど、学校の授業や研究の題材として、教育に活用する動きも出始めている。

 特徴
 「旭川しょうゆ焼きそばの会」によれば、旭川しょうゆ焼きそばの「おきて3カ条」として、以下の3つが規定されている。

 旭川産米粉と北海道産小麦を配合した麺を使用する。
 旭川産の醤油ダレで味付けする。
 旭川(道北)産の食材を一品以上、具材に入れる。

 これらの規定は、旭川が「上川百万石」と謳われるほどの米どころであることと、1944年(昭和19年)創業の老舗である日本醤油工業株式会社(キッコーマンの関連企業)が旭川にあることなどが、由来となっている。

 米粉を配合した麺は、通常の麺と比べて白くて、粘りと弾力に富む食感、醤油ダレと油分を適度に吸うことが特徴である。麺の種類は、縮れ麺、ストレート麺、細麺、太麺など、店舗によって、その店ごと味に合わせて様々な麺が使用されている。

 醤油ダレも、旭川産の醤油を元に、店舗ごとにニンニク入り、トマト風味、バター入りなど、独自のものが作られている。具材もまた地産地消にこだわっており、「旭川(道北)産」との条件以外は店舗によって、魚粉、サケ節、塩ホルモン、地産野菜とイタリア産チーズ、北海道産豚トロ、塩ザンギ(鶏肉のから揚げ)など、様々なものが使用されている。なお具材の規定は、会の発足当時は「旭川産か上川産の食材」であったが、2012年9月に「旭川(道北)産」に変更されたことで、日本海とオホーツク海の魚介類の使用が可能となり、具材のバリエーションが広がった。登録商標を取得せずに、自由な発想での展開を目指していることも、特徴の一つに挙げられる。

 反響
 2011年6月の「春の地場産フェア・神楽地区地域マルシェ」では、7種類の独自のメニューを前に長蛇の列ができた。同2011年8月に道の駅あさひかわでも焼きそばの実演販売が行われ、人気を集めた。9月の「食べマルシェ」では、4業者のブースすべての売上が100万円を突破し、同年の食べマルシェの成功の一因となった。

 2011年10月に開発された冷蔵・冷凍パック商品が、同月に西武旭川店で地下1階にあるテナント「北の恵み 食べマルシェ」で販売された限定百個が、たちどころに完売となった。同2011年12月のお歳暮商戦でも、地場産品として人気を博した。同月に道の駅あさひかわで開催された「冬の地場産フェア」でも、焼きそば4種が集まった一角には、客が行列をなした。2012年2月には旭川冬まつりでも出店され、人気メニューとなった。

 2014年の「食べマルシェ」では「新ご当地グルメ対決」として、北海道の畜産物として出展された「旭川しょうゆホルメン」と販売累計数を争った結果、3685対3567で勝利した。老舗商店街である旭川銀座商店街で2015年に行われたイベント「銀座食べマルシェ2015」も人気を集めた。

 2017年(平成29年)頃には、国道から奥まった場所にある店舗へ、観光客が焼きそばを目当てに車やバイクで訪れるケースも増え始めた。2018年の「食べマルシェ」でも、旭川駅前広場会場に焼きそばが登場、好天も手伝って予想以上の人出となり、麺を追加注文するほどの人気ぶりであった。

 2019年(平成31年)3月時点においては、開発から10年に満たないにもかかわらず、通算販売数が35万食を越えた。観光客を中心として、旭川ラーメンや塩ホルモンに次ぐ知名度の高い旭川グルメとの声も上がった。半面、食材の特徴である米粉麺は、販売店用の限定生産で市販されていないために、家庭で調理できないことが課題の一つに挙げられている。

*Wikipedia より

 旭川しょうゆ焼きそば 食べられるお店

http://www.asahikawa-shouyuyakisoba.com/shop/

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うまいッ! NHK「うま味凝縮 晩秋の味~北海道・むかわ町~」

2024-04-07 09:16:09 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「うま味凝縮 晩秋の味~北海道・むかわ町~」  2014年11月30日

 番組内容
 うま味を凝縮した味わい絶品の北海道むかわ町の「ししゃも」。スーパーや居酒屋でおなじみの魚はほとんどが海外産のカラフトシシャモ。一方、北海道の太平洋側でとれるシシャモは、量が少なく価格は海外産の5倍以上という高級品だ。タレントの松嶋初音さんがむかわ町を訪ね、漁の様子や「浜干し」と呼ばれる加工の現場に密着。絶妙の塩加減や、3日間じっくりと浜風に当てる特製の干し台まで、おいしさの秘密を探る。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201411300615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 「むかわ町のししゃも」

 むかわ町で食べる
 やっぱり旬のものは産地で食べるのが一番。むかわ町では漁期には加工店の前に簾干しが並び、その場で焼いて食べさせてくれる店もあります。
 飲食店はその時期にしか食べられないししゃも料理をこぞって提供します。

 ししゃもを使った工夫を凝らした加工品の数々も買えるので、ぜひむかわに足をお運びください。

 ししゃも料理自慢の飲食店で味わう
 漁期の産地でしか食べられない

 すし・刺身
 漁期に町を訪れたなら食べない手はない。
 オスの身を使い、あっさりと甘みがあります。希少な鵡川のししゃもの中でもさらに希少価値あり。

 ししゃも昆布巻き

 うま味の相乗効果
 昆布巻き
 大型サイズのシシャモを昆布で巻き、たれに漬け込む。町内で販売しています。 。

 むかわ町内のししゃも料理が食べられる飲食店
 お食事処 たんぽぽ 道の駅四季の館内にあり、ししゃもやホッキの炭焼き、ししゃもフライや唐揚げ、ホッキの刺身などが食べられる。
 むかわ町美幸3-3-1四季の館内

 自然喰処 灯泉房 ししゃもの漁期にはししゃも料理6品が味わえる「ししゃも御膳」や「ししゃも寿司」が味わえる。通年のホッキカレーも人気。
 むかわ町末広1-70

 潮騒ラーメン 本店 生干しししゃもを煮込んだうま味たっぷりのししゃもラーメンは、今やむかわ名物。通年食べられる。
 むかわ町末広1-12

 割烹 むさし 通年でししゃも押し寿司、ししゃも飯、ししゃも焼き定食、ししゃも柳川鍋などが味わえる。全て要予約
 むかわ町松風1-34

 大豊寿司 漁期にはししゃも鮨、生ししゃも焼き、また通年で柳川や天ぷらが食べられる。ししゃもを漬け込んだししゃも酒もおいしい。
 むかわ町文京1-8

 ▷イベントや物産展で楽しみながら味わう
 むかわグルメフェスタinオータム
 期間: 9月下旬
 場所:むかわ町役場駐車場
 内容:ししゃも漁期直前の秋の食のイベント。
 むかわ町や近隣の町のグルメが楽しめます。
 当組合では小学生以下を対象に「魚介類つかみどり」を行ったり、ほっき貝の格安販売をするなど、毎年好評を得ています。

*https://www.jf-mukawa.jp/eat_6_2.php より

 

 ししゃも不漁 資源回復へ 今シーズンの漁中止 北海道 むかわ町 2023年10月5日 18時24分 

 北海道のむかわ町で特産のししゃもの不漁が続く中、地元の漁協は資源を回復させる必要があるとして、今シーズンは漁を行わないことを決めました。むかわ町はししゃもの産地として全国的にも知られていますが、3年連続で漁獲量が過去最低を更新するなど、厳しい状況が続いています。

 地元の鵡川漁協では今シーズンの漁を今月から始める予定でしたが、資源量を調査したところ、去年よりも深刻なことがわかりました。

 このため鵡川漁協は資源の回復を図るため、今シーズンは漁を行わないことを決め、近隣の苫小牧漁協とひだか漁協も同様の対応を取ることが決まりました。

 鵡川漁協によりますと資源回復のためにししゃも漁を断念するのは29年前の1994年以来だということで「漁の断念は漁業者が最大の努力をした結果だ」とコメントしています。

 漁協や町では先月、道の研究機関と研究会を立ち上げ、情報共有を進めるなど資源の回復に向けた取り組みを強化していくことにしています。

*https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231005/k10014216651000.html より

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<料理用語-和食> 喰い切り

2024-04-07 08:59:59 | 料理用語

 「喰い切り」

 会席料理ではこれが主流である。

 すべての献立を一つの膳に載せて出す形式に対して、客の進み具合を見て一品ずつ出す懐石流のやり方。

*https://temaeita.net/top/t2/kj/7_E/04.html より

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<異名-人物> 桂小五郎

2024-04-07 08:55:58 | 異名

 「桂小五郎 木戸孝允」

 木戸 孝允(きど たかよし、天保4年6月26日〈1833年8月11日〉- 明治10年〈1877年〉5月26日)は、日本の幕末の長州藩士、勤王志士、明治時代初期の政治家。号は松菊、竿鈴。 明治維新の元勲として、大久保利通、西郷隆盛とともに維新の三傑の一人に数えられる。幕末期には桂 小五郎(かつら こごろう)の名で活躍した。

*Wikipedia より

 桂小五郎は1833年(天保4年)6月26日、萩城下の町医者「和田昌景」(わだまさかげ)の子として生まれました。桂家に養子に入ったのが8歳。以後、1865年(慶応元年)9月29日まで「桂小五郎孝允」を名乗ります。

 1863年(文久3年)、朝廷内で「八月十八日の政変」が勃発すると、京都における長州藩の影響力は失われ、桂小五郎も一転、幕府から追われる身となります。尊皇攘夷運動の高まりに危機感を募らせた「孝明天皇」(こうめいてんのう)が、朝廷内の公武合体派公家と薩摩藩・会津藩の両藩を動かし、尊皇攘夷派公家と長州藩勢力を京都から一掃させたのです。

 しかし、長州勢力が京都を追われたあとも桂小五郎は京都に潜伏し、藩の信頼回復に奔走しました。1865年(慶応元年)には藩命で名を「木戸貫治孝允」に改名。桂小五郎の名前が有名だったため、幕府の追及から逃れる目的で別人になりすましたのです。

 この頃、桂小五郎改め木戸孝允は、土佐脱藩浪士の坂本龍馬を介して薩摩藩との接触を開始します。薩摩藩は長州藩を京都から追い出した遺恨の敵でしたが、幕府による「第二次長州征伐」が迫る中、西南雄藩の筆頭格であり中央政局に絶大な影響力を有する薩摩藩と提携することは、長州藩が生き延びる上で不可欠でした。

*https://www.touken-world.jp/tips/72623/ より

 木戸には、「逃げの小五郎」という異名があるが、当時呼ばれたものではなく、司馬遼太郎の「逃げの小五郎」に由来している。

*Wikipedia より

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<難読漢字-魚> 倍良、遍羅

2024-04-07 08:22:15 | 難読漢字

 「倍良、遍羅 べら」

 ベラ(倍良、遍羅、英名:Wrasse、ラス)は、スズキ目ベラ亜目ベラ科 Labridae に属する魚の総称。世界中の暖かい海に約500種が生息する。日本近海には約130種が生息し、磯やサンゴ礁などで普通に見ることができる。

*Wikipedia より

 篦から来るのだと考えている。キュウセン、ニシキベラなど細長い形態の魚種に対する総称。

*https://www.zukan-bouz.com/syu/%E3%82%B7%E3%83%AD%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%99%E3%83%A9 より

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<慣用句・諺> 騙すに手無し など

2024-04-07 08:12:17 | 慣用句・諺

 「騙すに手無し」

 1 巧みにだまされてしまうと、防ぐ手段はない。

 2 だます以外に方法がない。

 

 「だまを食わす」

 《糸で凧をあやつる意から》だます。

 「だま」-凧 (たこ) の糸を操る技法の一。凧を上昇させるために糸を繰り出すこと。

 

 「だまを出す」

 《凧の糸をすっかり繰り出す意から》心の中のすべてをさらけ出す。

 

 「惰眠を貪る」

 なまけて眠ってばかりいる。なすべきことをしないで、いいかげんに暮らしている。

 

 「駄目で元元」

 かりに実行して失敗したとしても、何もしなかった場合と結果は同じであったと考えること。思い切って行動するように促す言葉として使う。だめもと。

 

*goo辞書 より

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<日本酒メーカー> 秋田 新政酒造

2024-04-07 07:52:37 | 日本酒

 「新政酒造」

 新政酒造株式会社(あらまさしゅぞう)は、秋田県秋田市にある日本酒の蔵元(酒蔵)である。創業は嘉永5年(1852年)で、協会六号酵母の発祥蔵としても著名である。創業当時は、初代 佐藤卯兵衛の名から「うへえの酒」と地元で親しまれていた。その後、明治政府が大綱に掲げた「新政厚徳」(「しんせいこうとく」厚き徳をもって新しい政をなす)の名称を頂き、四代目である佐藤佐吉の代に「新政」(あらまさ)と短く、訓読みすることになった。

 一時は安売りにより債務超過の寸前に陥っていた。だが、東京大学卒業後ジャーナリストの仕事に就いていた佐藤祐輔が帰郷して八代目を継いでから、六号酵母と秋田県産酒米だけを使う高級路線に転換。当初は地元での反応は芳しくなかったが、東京などの酒販店や飲食店に販路が広がり、黒字化に成功した。

 新政の製法を理解し、冷蔵による温度管理を徹底した取引先のみに卸す方針をとっている。2017年時点でも、金属タンク醸造から木桶への切り替え、生酛づくり、酒米の契約栽培や自社水田での無農薬栽培、特に秋田県農業試験場で品種改良された「秋田酒こまち」の活用といった様々な取り組みを模索している。また日本酒醸造における白麹(黒麹のアルビノ突然変異体)の使用は、新政が2009年に「亜麻猫」を発売して以来普及した。白麹は焼酎醸造に使われている麹菌であり、伝統的に日本酒醸造で使われてきた黄麹より遥かに多くのクエン酸を生成するため風味を損なう微生物の繁殖を防ぐ能力が高く、クエン酸由来の酸味が強い風味を持つ傾向に仕上がりやすい。酒母を作る比較的古い方法である生酛や山廃においても、より近代的な方法の速醸なみの速さででき、それらは速醸と違い人工的に作られた乳酸を添加しないため「無添加」の表示ができ、特に輸出する際のマーケティングの観点から有利である。

 新政酒造株式会社 秋田県秋田市大町6-2-35

*Wikipedia より

新政酒造株式会社[新政]

 新政酒造の歴史

 嘉永5年(1852)、初代佐藤卯兵衛(さとううへえ)により、秋田市中心地を流れる旭川のほとりで創業した蔵元が「新政酒造」。当初は「やまウの酒」と親しまれていましたが、明治政府による施策の大綱「新政厚徳(しんせいこうとく)」の発表を機に、酒名を「新政(しんせい)」と命名。その後、秋田市長、井上廣居氏の進言により「あらまさ」と改めました。中興の祖である五代目佐藤卯兵衛の時代、全国新酒鑑評会において連続の首席を獲得。超高度精白の実践、長期低温発酵法の確立、そして現在最古の清酒酵母となった「きょうかい6号酵母」を誕生させるなど、秋田の酒造りのみならず日本酒製造技術の近代化、とりわけ吟醸酒製法の確立においても寄与してきました。

 新政酒造の特徴と酒造り
 「秋田県産米を生酛純米造りにより六号酵母によって醸す」という方針のもと秋田県で栽培された酒米を用い、酒母には江戸期の伝統製法である「生酛」のみを採用。また酵母は当蔵で昭和5年(1930年)に採取された「きょうかい6号」(六号酵母)のみですべての酒を醸造しております。さらに最近は、45本もの「木桶」を保有しその製法の継承を模索しているほか、秋田市の山間農村「鵜養」(うやしない)にて無肥料・無農薬の自然栽培により、酒米の栽培に取り組んでいます。新政酒造は地域性を尊びながら、本来の日本酒の姿を求めて様々なチャレンジを続けています。

 杜氏 [ 植松 誠人 - Makoto Uematsu - ]

 新政では、すべての酒に最古の酵母を用い、純米造り・生酛造りのみを行い、また業界最多の45本もの木桶で仕込みを行っています。これにより、酒税法上では使用しても特に表示する義務がないような添加物(酸類、ミネラル類など)も一切使用致しません。
 若干33歳の若手杜氏・植松 誠人のもと、全国から集った熱心な造り手により醸し出される酒は、まさに飲む「伝統工芸」といっても過言ではありません。

 新政酒造株式会社 秋田市大町6丁目2の35

*https://www.osake.or.jp/kuramoto/01aramasa.html より

 代表銘柄

ARAMASA Ash アッシュ -水墨- 2021

通称「アッシュ」
明治時代に山形庄内地区で選抜された「亀の尾」は、多くの飯米・酒米の親として名高い存在である。東日本全土で盛んに栽培され、6号酵母誕生時にも当蔵においても頻繁に使われていた。東日本の稲作における遺伝的な祖であり、まさに伝説の米とも言える。「アッシュ」は生酛を増量するなど、様々な技術を駆使して、この「亀の尾」のポテンシャルを最大限に引き出そうとする作品である。存在しうる全酒米の中でも、もっとも硬質な酒米のひとつであるため、長期の冷蔵保管により味わいがより深まる典型的なスロースターターの作品といえる。

原料米:亀の尾
精米歩合:麹米45%
アルコール分:13度(原酒)
仕込容器:木桶
使用瓶:暁鐘(Morning Bell)フロスト

ARAMASA No.6

「No.6」最上級モデルのX-Type(エックスタイプ)は、「eXcellent」(豪華版)を意味するフラッグシップモデルである。磨きこまれた米を用いるため、より格調高い仕上がりであり、6号酵母の清楚にして力強い存在感を鮮やかに感じ取ることができる。6号酵母誕生当時の槽口の味わいを、90年の時を超えて想起させるように願い醸される作品だ。

原料米:秋田県産米
精米歩合:麹米35%、掛米45%
アルコール分:13度(原酒)
仕込容器:木桶
使用瓶:Madame Edwarda♯1

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<四国八十八箇所> 第7番札所 十楽寺

2024-04-07 07:36:43 | 巡礼

 「十楽寺」

 十楽寺(じゅうらくじ)は徳島県阿波市土成町高尾法教田にある高野山真言宗の寺院。光明山(こうみょうざん)、蓮華院(れんげいん)と号す。本尊は阿弥陀如来。四国八十八箇所第七番札所。本尊の阿弥陀如来坐像及び脇侍の観音菩薩立像と勢至菩薩立像の3躰は鎌倉期の作と云われている。

 本尊真言:おん あみりた ていぜい からうん
 ご詠歌:人間の八苦(はっく)を早く離れなば 到(いた)らん方(かた)は九品十楽(くぼんじゅうらく)
 納経印:当寺本尊、愛染明王(2024年4月以降も納経料は従来通り)
 納経時間:午前7時から午後5時まで(2024年4月以降は午前7時30分から午後5時まで)
 歴史

 寺伝によれば、空海(弘法大師)がこの地に逗留した際に阿弥陀如来を感得し、楠にその像を刻み本尊として祀ったとされる。その際に、空海は人間の持つ八苦(生、老、病、死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦)を離れ、極楽浄土に往生すると受けられる十の光明に輝く楽しみ(聖衆来迎楽、蓮華初会楽、身相神通楽、五妙境界楽、快楽無退楽、引接結縁楽、聖衆倶会楽、見仏聞法楽、随心供仏楽、増進仏道楽)が得られるようにと山号・寺号を「光明山十楽寺」とした。当初は現在地よりおよそ3km離れた十楽寺谷の堂ヶ原に堂宇を建立したものと推定されている。

 阿波北部でも有数の広大な七堂伽藍を有していたが、天正10年(1582年)に長宗我部元親の兵火によりすべてが焼失、しかし、本尊・脇仏・舎利仏など大切なものは住職真然と弟子が運び出し大門ケ原に安置したが、弟子は矢に射られ死んでしまった。その後、寛永12年(1635年)に現在地で再建された。

 境内
 山門(鐘楼門)
 中門(遍照殿):上層は愛染堂として愛染明王が安置されている。東(左)は縁結び、西(右)は縁切りの入口になる。
 本堂:平成6年本堂の新築。平成26年本尊と脇仏が開帳された。
 大師堂:大師像を拝観できる。
 水子地蔵
 十三不動明王 - 太平洋戦争時の第13期海軍飛行予備学生の慰霊のために建立された。
 治眼疾目救歳地蔵
 本尊写し仏 - 本尊は写し仏とは逆の着色で、身体が緑色で台座と光背が金色である。
 竜宮門形式の山門を入ると前に水子地蔵が並んでいる。左側の石段を数段上ると遍照殿の額がかけられた中門(「縁結門」と「縁切門」の2つの入り口がある)がありその上層は愛染堂となっている。中門の向かいに手水鉢があり左に奥へ入ると本堂が、さらに左へ行くと治眼疾目救歳地蔵の小堂があって、その先の石段を上ると大師堂がある。本堂の向かいのあたりに十三不動明王像がある。納経所は中門を背にして右にある。

 宿坊:定員120名
 駐車場:30台・バス5台。無料。

*Wikipedia より

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