いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

< 郷土料理 > 福島 ほっきめし

2024-04-26 10:35:26 | 郷土料理

 「ほっきめし」

 主な伝承地域 相馬市

 主な使用食材 ごはん、ほっき貝

 歴史・由来・関連行事
 相馬市は古くから米の生産が盛んに行われてきた。現在もコシヒカリやひとめぼれなどの品種が作られており、市内の農作物の中で出荷額が最も多いと言われている(相馬市ホームページより)。
 また、福島県唯一の潟湖・松川浦を中心にほっき貝がよく獲れる。相馬・双葉沖では、明治時代の頃からほっき貝の漁が行われており、長い間ほっき貝の名産地として知られてきた。相馬・双葉沖のミネラル豊富な海水はほっき貝の成長に影響をもたらし、比較的大きくて甘味とやわらかな食感があるほっき貝を獲ることができるのだという。
 この二つの特産品を合わせて作られた郷土料理が、「ほっきめし」。ごはんがほっき貝のだしを吸いこみ、うまみたっぷりに仕上がる。

 食習の機会や時季
 ほっき貝の料理がよく食べられる時期は6~11月頃。飲食店や宿泊施設、家庭などで広く提供される。もともとは忙しい漁師たちが船内で食べる漁師飯としても親しまれていたが、徐々に陸の上でも食べられるようになった。

 飲食方法
 鍋に水、醤油、砂糖、酒、塩を入れて沸かし、ほっき貝を煮る。いったん貝を取り出して米を入れて炊き、蒸らす際にほっき貝を入れて混ぜ合わせる。仕上げに、しその葉を散らして完成。ほっき貝を加える際に千切りにした針生姜を添えると、貝の臭みが軽減され、さわやかな口当たりに。また、ほっき貝だけでなく、にんじんやひじきなどを加えることもある。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 各家庭で作られるほか、飲食店で提供されている。ほっき貝のシーズンになると、松川浦周辺にほっき飯を提供する店がのぼりなどを立てて宣伝する。また、福島県ではほっき飯のレシピをオンラインで公開。県外の人々も気軽に作れるように情報提供を行っている。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/30_5_fukushima.html より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<B級ご当地グルメ> 青森 グラタンフライ

2024-04-26 10:30:43 | B級ご当地グルメ

 「グラタンフライ」

 グラタンフライは、青森県八戸市のご当地グルメ

 マカロニ、鶏肉、たまねぎが入ったグラタンを春巻きの皮で包み、パン粉をつけて揚げたもので、
八戸市内の高校での売店で販売されていたことから、地元の高校生のソウルフードとして人気を集めています。

 青森県地域八戸市推進団体

*https://b9navi.com/%e3%82%b0%e3%83%a9%e3%82%bf%e3%83%b3%e3%83%95%e3%83%a9%e3%82%a4/ より

 青森県のご当地グルメ
 八戸の地元に人気のご当地グルメ。おやつやご飯の供に

 グラタンフライ
 八戸の地元高校生から人気を集めているソウルフード。八戸市内の高校をはじめ、コンビニエンスストア、スーパー等でも手に入るご当地グルメである。玉ねぎ、鶏肉が入ったマカロニグラタンを、春巻きの皮で包み、パン粉をつけて揚げたもので、「むつ食品ストア」だけのオリジナル惣菜である。 地元では子どものおやつ、ご飯のお供として食べられており、むつ食品にはほかにも「チキンカツ」や「お好みフライ」、「メンチカツ」など種類も豊富である。八戸でしか味わえないご当地の味、ぜひ一度味わってみてほしい。

*https://kyoudo-ryouri.com/food/2416.html より

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うまいッ! NHK「ネバリでもっちり!ほのかなあまみ 春掘り長芋~青森・東北町~」

2024-04-26 09:18:36 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「ネバリでもっちり!ほのかなあまみ 春掘り長芋~青森・東北町~」 2015年05月03日

 番組内容
 春と秋に収穫される長芋のうち、春掘りは土中で越冬させて春に収穫・冷蔵し、5月から11月にかけて出荷される。国内の4割を生産する青森の中でも、最大の産地が東北町。冬は土が凍らず、夏は冷涼な気候と、「黒ボク土」と呼ばれ、水はけもよく腐食物に富んだ土壌で、長芋生産の好条件が整っている。春掘り長芋は、土中で休眠させることであまみと粘りの元ムチンが増え、極上の味覚となる。その魅力に迫る。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201505030615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 土中で熟成 春掘りナガイモ収穫 青森・東北町 2024年3月27日 10:53
 青森県内有数のナガイモ産地・東北町で、春掘り作業が始まっている。ナガイモは秋の収穫時、約4割を土に埋めたままにし、春に掘り出されるが、2023年産は猛暑の影響で例年より長かったため、秋掘りの作業がはかどらず、春掘りでの収穫の割合が高いという。
 19年に皇位継承の重要祭祀(さいし)「大嘗祭(だいじょうさい)」にナガイモを提供したベテランの向井博徳さん(58)は18日から収穫を始めた。暖冬だったものの、3月に入ってからの降雪で、作業の開始は昨年並み。向井さんの畑でも23年産の約6割が春掘りという。
 25日は同町外蛯沢の約60アールの畑で、家族と外国人労働者の計6人で午後1時ごろから作業を開始。機械で掘り起こされた土から、冬期間に貯蔵・熟成されたナガイモを手で慎重に取り出し、泥を取り除いてコンテナに次々と収めた。
 向井さんは「ナガイモが例年よりおいしく仕上がっている気がする。いろんな料理法があるので、それぞれの食べ方でおいしく味わってほしい」と話した。
 向井さんは4月上旬ごろに春掘り作業を終える予定だが、町内では同月末まで続く。(東奥日報)

*https://www.hokkaido-np.co.jp/article/992642/ より

 土中で熟成 春掘りナガイモ収穫/東北町 2024年3月26日

 青森県内有数のナガイモ産地・東北町で、春掘り作業が始まっている。ナガイモは秋の収穫時、約4割を土に埋めたままにし、春に掘り出されるが、2023年産は猛暑の影響で例年より長かったため、秋掘りの作業がはかどらず、春掘りでの収穫の割合が高いという。

*https://www.toonippo.co.jp/articles/-/1748470?auth=1&gsign=yes より

 春掘り長芋について
 十和田市周辺の春掘り長芋は、大方、掘り取りが終わり、これから長芋農家は、秋収穫に向けての準備に大忙しです。

 5月20日に、東北町のネバリスター(粘り気の多い)生産者にお邪魔しました。

 お仲間と組合組織に行き、年間300t程を生産販売しております。

 従来の長芋と比べ、粘り気が強く甘く、とろろ芋にして食べると味が濃く非常に美味しいです。

 今年から特別に卸して頂く事となり、大手青果会社(東京本社)様に卸し始めました。

*https://www.tonou.co.jp/blog/%E6%98%A5%E6%8E%98%E3%82%8A%E9%95%B7%E8%8A%8B%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/ より

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<伝統野菜・果樹> 宮崎 平兵衛酢

2024-04-26 08:38:52 | 伝統野菜

 「平兵衛酢-へべす」

 【生産地】日向市

 【特徴】雑柑の一種。果形は扁球形で、果面はやや粗く、果頂部は花柱痕を中心に陥没している。成熟した果実は70~80gで、「かぼす」や「ゆず」より小さい。他の香酸柑橘類に比べ、抗がん作用のあるナツダイダインというフラボノイド成分が多く含まれる。また肝がん及び成人T細胞白血病の増殖に高い抑制作用を持つことが明らかになっている。

 【食味】独特の香気・風味を持ち、種子が少ない。果汁が多い。皮が薄い。

 【料理】ジュース、ぽん酢、ドレッシング、ジャム

 【来歴】日向市に自生していたものを、弘化年間(1845年)に長曽我部平兵衛氏が自宅の庭先に移植し、全国でも日向地域のみに広がった。

 【時期】ハウス:6月~10月 露地:主に8月~10月

*https://tradveggie.or.jp/45-miyazaki/#i-22 より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<料理用語-和食> 口取り

2024-04-26 08:32:38 | 料理用語

 「口取り」

 儀式料理の「口取り肴」のことである。

 古式の饗応膳では、熨斗あわび、昆布、かちぐりなど、祝儀肴だったが、徐々に品数が増えて山海の材料を盛り合わせるものに変化した。

 のちに甘いものを取り合わせたものに変わり、きんとん、伊達巻、二色卵、かまぼこ、羊羹などの寄せ物となった。

 口取りは会席の献立の一つに入っていたが、この内容ではさすがに他の料理や酒と合わせるのは難しく、「おみや」として初めから折詰めにしてしまい、その代わりに「口がわり」を出す事になる。現在はその口代わりも八寸に収斂している場合が多い。

*https://temaeita.net/top/t2/kj/7_E/023.html より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<異名-人物> 財布閉じ器/ネオ・ニューリーダー/水玉ネクタイ

2024-04-26 08:30:04 | 異名

 「財布閉じ器/ネオ・ニューリーダー/水玉ネクタイ 海部俊樹」

 海部 俊樹(かいふ としき、1931年〈昭和6年〉1月2日 - 2022年〈令和4年〉1月9日)は、日本の政治家。第76・77代内閣総理大臣を歴任した。位階は正二位、勲等は大勲位菊花大綬章(没後叙勲)である。

 衆議院議員(16期)、労働政務次官(第1次佐藤第2次改造内閣 - 第2次佐藤内閣)、内閣官房副長官(三木内閣)、自由民主党国会対策委員長(第21代)、文部大臣(第98・107代)、自由民主党総裁(第14代)、大蔵大臣(第95代)、新進党党首(初代)などを歴任した。

 国際天文学連合(IAU)会長の海部宣男、2008年にノーベル物理学賞を受賞した小林誠の従兄である。

*Wikipedia より

 1971年ごろまで一宮市新生で借家住まいをし、その後、同市平和一丁目に自宅兼事務所を構えた[14]。

 三木派が河本派に移行してからは、1994年に離党するまでの間、名実共にナンバー2として河本敏夫を支えたが、河本とは対照的に資金的な貢献が少なかったため、「財布閉じ器」と渾名された。ニューリーダーの次を狙う政治家として橋本龍太郎、藤波孝生らと共に「ネオ・ニューリーダー」と呼ばれた。早稲田大学雄弁会の先輩である竹下登ら早大出身者との親交が深かったため、「現住所河本派・本籍竹下派」ともいわれた。「竹下が総理になった暁には、河本派を離脱して竹下のもとに馳せ参じるのでは」と囁かれたこともある。

*https://www.weblio.jp/wkpja/content/%E6%B5%B7%E9%83%A8%E4%BF%8A%E6%A8%B9_%E6%B5%B7%E9%83%A8%E4%BF%8A%E6%A8%B9%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81 より

 水玉模様のネクタイをトレードマークとしている事で知られる[56]。これは、三木内閣の官房副長官時代に国鉄のスト権スト問題でテレビの討論番組に出演した際、対処で多忙を極め帰宅もままならぬ時期であったことから、たまたま水玉模様の同じネクタイを連日連夜着用し続けていたことに関して視聴者からツッコミが入る一幕があり、それを機に意図的に自らのトレードマークとして決めたという経緯によるものである(なお、この討論番組では当時、公共企業体等労働組合協議会事務局長であった富塚三夫に対して後述の弁論経験を活かした一歩も引かぬ弁舌を披露し、「自民党に海部あり」と言わしめ、その後出世街道を歩む端緒となった)。首相時代には水玉模様のネクタイばかり600本以上も持っていたと語っており、広島と長崎の平和記念式典にも黒地に黒の水玉模様のネクタイをして出席していたほどの徹底ぶりであった(表向きは喪服用の黒いネクタイだが、明るい場所で見ると仄かに水玉模様が見える)。また、昭和天皇の大喪の礼でも同じく黒地に黒の水玉模様のネクタイをして注目を浴びた。

*Wikipedia より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<難読漢字-動物> 海驢

2024-04-26 08:20:59 | 難読漢字

 「海驢 あしか」

 アシカ(海驢、葦鹿、Otariinae)は、鰭脚下目アシカ科に属する海生哺乳類である。ただし現状、その範囲は文脈により揺らぎがある。最も広義にはアシカ科の総称であるが、アシカ科には一般的にオットセイ、トド、オタリアも含まれ、これ等(特にオットセイ)を別扱いとする場合もある。さらに狭義の意味で、アシカ属1属を意味することもある。

 語源
 北海道を除く日本本土近海に生息するアシカ類は、絶滅したと見られるニホンアシカのみであり、この語も本来はニホンアシカを指したものである。

 「あしか」の語源は「葦鹿」で「葦(アシ)の生えているところにいるシカ」の意味であるという。古くは「海(あま)鹿」説もあったが、アクセントから否定されている。

 奈良時代には「みち」と呼ばれていた。他に異名として「うみおそ(うみうそ)」「うみかぶろ」がある。うみおそは海にいるカワウソ、うみかぶろは海にいる禿の意である。

 佐渡島ではこの「うみかぶろ」(海禿)の名で妖怪視されており、両津港近辺の海でよく人を騙したという伝承がある。

*Wikipedia より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<慣用句・諺> 忠臣は二君に事えず など

2024-04-26 07:46:31 | 慣用句・諺

 「忠臣は二君に事えず」

 《「史記」田単伝から。中国春秋時代、燕の将軍の、燕に仕えれば大きな領土を与えるという申し入れを断って首をつって死んだ、斉の王燭の死に臨んだ時の言葉》忠臣は、いったん主君を定めたのちは、他の人に仕えることはない。

 

 「忠臣を孝子の門に求む」

 《「後漢書」韋彪伝から》親に孝行する者は主君にも忠義を尽くすから、忠臣を求めようと思えば、孝子の家から求めなさい。

 

 「宙に浮く」

 1 地面から離れて空中に浮かぶ。

 2 決着がつかなくなる。中途半端になる。

 

 「柱に膠して瑟を鼓す-ちゅうににかわしてしつをこす」

 《「史記」廉頗藺相如伝から》琴柱 (ことじ) を膠 (にかわ) で動かないようにして瑟を弾く。状況の変化に対応できないことのたとえ。

 

 「注文を付ける」

 1 自分の希望や条件を相手に言う。

 2 相撲で、有利な体勢に持ち込むために工夫した技を打つ。

 

*goo辞書 より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<日本酒メーカー> 秋田 大納川

2024-04-26 07:31:17 | 日本酒

 「大納川」

 株式会社大納川[大納川]

 大納川の歴史
 横手市大森町にある大納川は、大正3年(1914年)に創業した酒蔵です。「大納川」という名前は、2代目の備前雄太郎が戦前に貴族院議員の土田万介扇に依頼して名づけられました。地元の中心を流れる大納言川が由来になっています。
 早くから純米酒造りに取り組み、「純米の大納川」と言われるほど、純米酒を得意としている蔵です。ほかにも旧山内村(現在の横手市山内村)と山内杜氏組合の共同開発による秋田県内限定販売酒「山内杜氏」など良質な酒を生み出し、地域の人々に愛されてきました。
 平成31年(2019年)から現代表の田中文悟氏が経営を引き継ぎ、社名を代表銘柄の株式会社大納川に変更しています。

 酒蔵の特徴
 国指定の重要無形民俗文化財「霜月神楽」が行われる霊峰保呂羽山のふもとにある大納川。その保呂羽山の伏流水(軟水)を仕込み水として使っています。水温は年間を通して12度前後とほぼ一定で、酒造りに適した清廉な水です。酒米を昔ながらの和釜で蒸し、麹は蓋麹にて製麹し、秋田寒仕込の特徴である長期低温醗酵で醸造しています。

 大納川の酒造り
 株式会社大納川として新たなスタートを切った平成31年(2019年)4月、地酒店向けの新ブランド「天花」を発表しました。大納川がある横手市は雪深い地域で、雪が舞い散ることを天花ということから名づけられました。蔵としては山田錦や美山錦などのこれまでに使ったことがない米も取り入れ、華やかな香りで、米の特徴が味わえる酒造りに取り組んでいます。

 杜氏紹介 山内杜氏 佐藤好直氏
 この蔵に入って四半世紀、4年前からは杜氏として酒造りに取り組んでいる佐藤好直さんにお話を伺いました。
 「酒蔵の事業体制は一新されましたが、酒造りはこれまでやってきたことの継承です」。蔵人は少数精鋭で、一人ひとりが酒造りの全ての工程に携わっています。県外向けの商品も造っていますが、地元の人々に愛されてきた大納川の酒造りを大切に守っていきたいと考えているという佐藤さん。「これからも地元の大森町の人たちに誇りに思ってもらえるような酒造りをしていきたい」と語りました。

 株式会社大納川 横手市大森町大森169

*https://www.osake.or.jp/kuramoto/32dainagawa.html より

 代表銘柄

大納川 純米吟醸 能登半島地震復興支援ボトル
※数量限定

「令和6年能登半島地震」により被害を受けられた方々への支援のため、商品をご購入いただいたお客様の支援のお気持ちをのせた寄付活動を実施することといたしました。本商品の売上金の一部を日本赤十字社を通じて「令和6年能登半島地震災害義援金」に寄付いたします。

原料米:秋田酒こまち/精米歩合 55%/アルコール度数15度/蔵付き酵母

山内杜氏 純米吟醸
山内杜氏のふるさと横手市山内産の米と水で仕込みました。華やかな香りとスッキリとした飲み口のお酒です。

原料米:国産米/精米歩合55%/アルコール度数15度/蔵付き酵母

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<四国八十八箇所> 第26番札所 金剛頂寺

2024-04-26 06:58:40 | 巡礼

 「金剛頂寺」

 金剛頂寺(こんごうちょうじ)は、高知県室戸市元乙に位置する真言宗豊山派の寺院。龍頭山(りゅうずざん)、光明院(こうみょういん)と号す。本尊は薬師如来。四国八十八箇所第二十六番札所。

 室戸市周辺では西寺とよばれる。

 本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
 ご詠歌:往生に望みをかくる極楽は 月のかたむく西寺(にしでら)の空
 概要

 当寺は標高165 m辺りの三角山の中腹にあり、室戸岬を臨め眼下に太平洋が広がる行当岬上部の景勝地にある。北東の鬼門に約7 km離れた池山池に池山神社、南西の裏鬼門に約1.5 km離れた崎山地区に法満宮を配して創建された。当寺から南に下がった海岸は行当岬の東側にあたり、硯が産出されたことから硯が浦とも呼ばれる。

 『拾遺往生伝』によると、当寺11世住職・蓮薹(れんたい)は、承徳2年(1098年)6月7日、高野山からの帰り道で「南無弘法大師遍照金剛菩薩」と云えりとあって、大師宝号を初めて唱えたとされている。

 歴史
 寺伝によれば、空海(弘法大師)にとって最初の勅願寺の創建として、大同2年(807年)平城天皇の勅願により、本尊薬師如来を刻んで「金剛定寺」と号し、女人禁制の寺院であったという。次の嵯峨天皇が「金剛頂寺」の勅額を下賜し、その寺名に改められた。『南路志』(江戸時代の土佐の地誌)所収の寺記によれば、大同元年、唐から帰国途次の空海が当地に立ち寄り創建したとされる。同寺記によれば、さらに次の淳和天皇も勅願所とし、住職も10世まで勅命によって選定され、その後の16世・覚有の頃まで寺運は栄え、多い時は180人余の修行僧がいた。

 鎌倉時代になると無縁所となり、体制から逃れた人々をすべて受け入れ「西寺乞食(にしでらこつじ)」と呼ばれるようになり、侵すことのできない聖域として存在した。

 文明11年(1479年)には堂宇を罹災したが、長宗我部元親が寺領を寄進しているほか、土佐藩主山内家の祈願所とされ、復興は早く整備された。その後、1899年(明治32年)の火災で大師堂・護摩堂以外の伽藍を焼失し、本堂ほか現存する堂宇は再建である。阿南室戸歴史文化道の指定を受けている。

 境内

 山門(仁王門):1913年(大正2年)再建、 仁王像は1984年(昭和59年)に造像。
 本堂:1982年(昭和57年)京都高雄山神護寺の金堂を模して再建、本尊前立仏はその本尊を模して造られている。大晦日から正月八日にかけて、金箔塗の本尊薬師如来坐像が開帳され、普段は木彫りで素地の前立の薬師如来立像・日光月光菩薩立像さらに十二神将と不動明王半跏像がずらりと並ぶ。
 大師堂:寛文5年(1665年)再建。本尊は弘法大師半躰像[注釈 3]。神護寺の板彫弘法大師像(重要文化財)は正安4年(1302年)に性仁法親王が仏師定喜を当寺に派遣し当寺の大師堂本尊を模刻して造させ、表情は少し異なるが顔はそっくりである。毎年、開帳は旧暦3月21日。室戸世界ジオパークセンターに当大師像のレプリカが展示されている。
 霊宝殿:1959年(昭和34年)建立、 重要文化財の数々が納められている。
 鐘楼堂:六本柱の吹き流し形式、2003年(平成15年)再建。地形上、定規筋を入れた筋塀をめぐらせないので、柱の本数で格式の高さを表す。
 稚児大師石像
 捕鯨八千頭精霊供養塔
 一粒万倍の釜:多くの修行僧がいた頃この釜でご飯を炊いたと云われる。
 がん封じの椿霊木
 智光上人廟:第二世住職、承和2年(835年)4月21日入滅。安産祈願の石が御廟を囲んでいる。出産前に持ち帰り出産後に戻す。
 北向地蔵堂祠:地蔵石像

 五智如来石碑:県最古の石板塔婆で五如来の梵字や光明真言が刻まれ嘉元3年(1305年)8月18日の刻印がある。
 姿見の池:空海がこの池に写った自分の姿を見て刻んだという。上記石碑の前にある。
 多宝塔跡:本堂の向かって右奥の丘。1327年に造られた板彫真言八祖像が塔内部の壁に掛かっていたが1479年塔は焼失。1689年の『四国遍礼霊場記』には描かれていないが1800年の『四国遍礼名所図会』には描かれており1899年に再度焼失。その後再建されず。
 弁財天祠
 勅使門跡:現在、門は無く12段の石段の先に灌頂堂がある。
 護摩堂(本坊):寛文5年(1665年)再建。本尊・理源大師聖宝、宿泊者のみ朝の勤行のときだけ参拝可
 魚籃観音(ぎょらんかんのん)石像
 三十六童子像:宿坊前の駐車場脇にある
 歌碑:空海「法性の室戸といえどわがすめば 有為の波風よせぬ日ぞなき」が大師堂の裏にある。
 駐車場から厄坂の石段を上って途中に山門があり、さらに上り詰め84段上がると広い境内に入る。すぐ左側に手水場が、左に回り込むと大師堂がある。正面奥に間口の広い鉄筋コンクリートの本堂が建っている。本堂手前に鐘楼、数々の重文が収蔵されている霊宝殿は本堂の左にあり地下でつながっている。境内伽藍エリアから左方向に数段下りると小さな池があり中に弁財天の祠がある。その先に行くと宿坊があり、さらに奥の本坊と通路でつながっていて、通路の本坊側に護摩堂がある。本坊の下段に魚籃観音石像がある。大師堂に向って右前に一粒万倍の釜がある。納経所は本堂の手前左にある。智光上人廟は鐘楼と本堂の間から山林の中に入った奥にあり、その途中にヤッコソウの自生地がある。

 西寺檀信徒会館(宿坊):定員100名
 茶室「影向庵」

 大師堂裏の三面のレリーフ:『弘法大師行状絵詞(ぎょうじょうえことば)巻二 金剛定額(こんごうじょうがく)』(南北朝時代制作・東寺所蔵・重文)の場面。「金剛定額」空海が楠の洞穴に自身の姿を描くと魔物たちは寄り付かなくなったという。「天狗問答」空海が19才のとき修行をしたころ当地は魔性の物の往来が激しく天狗等を問答勝伏し足摺岬の西方へ駆逐し来障させないためその方向に向かって大師堂は建っている。「室戸伏龍」修行の邪魔をする海中から毎夜出現する毒龍を加持により退散させた。の三つの逸話を描いている。
 文化財
 国の重要文化財
 銅造観音菩薩立像 - 1957年(昭和32年)2月19日指定。
 飛鳥時代後期、銅造、像高22 cm、総高29 cm。
 木造阿弥陀如来坐像 - 1911年(明治44年)8月9日指定。
 平安時代後期、檜の寄木造、古色、像高88cm。
 板彫真言八祖像 - 1914年(大正3年)04月17日指定。
 鎌倉時代、嘉暦2年(1327年)仏師法眼定審の作、木造板彫、彩色、寸法(縦)は龍猛88.6 cm、龍智86.4 cm、金剛智85.8 cm、不空87.4 cm、善無畏85.5 cm、一行87.4 cm、恵果87.2 cm、空海87.3 cm。各裏面に嘉暦二年、大仏師法眼定審作の墨書銘がある。現存の絵画では、天暦5年(951年)の醍醐寺五重塔の初層壁画が一番古いが、彫物では当寺のが一番古い。
 銅鐘 - 1911年(明治44年)8月9日指定。
 高麗時代作。高さ57 cm、口径43cm、天女歌舞の模様があって頗る雅致に富む県下唯一の朝鮮鐘。
 金銅密教法具 一具 - 昭和31年(1956年)6月28年指定。
 鎌倉時代初期作
 火舎(かしゃ):4口
 花瓶(けびょう):5口
 六器:24口
 輪宝及輪台:1組
 羯磨及羯磨台:4組
 金剛盤:1面
 独鈷杵:1口
 鈷杵:1口
 四橛(しけつ):4本
 塗香器(ずこうき):1口
 灑水器(しゃすいき):1口
 金銅旅壇具 一具 - 1956年(昭和31年)6月28年指定。
 平安時代後期、高さ約25 cm、幅は約40 cm、奥行は約27 cm。
 火舎:1口
 花瓶:2口
 六器:6口(内盞1口欠)
 飲食器(おんじきき):2口
 金剛盤:1面
 五鈷鈴:1口
 五鈷杵:1口
 灑水器:1口
 塗香器:1口
 燈架:2枝
 燈盞:1口
 箱壇:1基
 内箱:3口
 香薬箱:1口
 閼伽桶:1口
 油壺:1口
 金剛線箱:1合
 金剛線残欠
 明鏡:1面
 大毘盧遮那経:7巻 - 1968年(昭和43年)4月25日指定。平安時代初頭作。
 金剛頂経:3巻 - 1968年(昭和43年)4月25日指定。平安時代初頭作。
 県指定保護有形文化財
 金剛頂寺の仏画:8幅 - 2005年(平成17年)4月1日指定。
 県天然記念物

 室戸町西寺のヤッコソウ自生地 - 昭和27年10月27日。
 金剛頂寺境内にあり、牧野富太郎が命名し発表した土佐ゆかりの植物。高さ10cm程度で、花季は11月下旬〜12月上旬ごろ。
 室戸市指定文化財
 絹本著色弘法大師像(鎌倉時代作)縦約107cm、横55cm

 金剛頂寺  高知県室戸市元乙523

*Wikipedia より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする