いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

< 郷土料理 > 山形 ハタハタの湯上げ

2024-04-08 10:18:29 | 郷土料理

 「ハタハタの湯上げ 」

 主な伝承地域 庄内地域

 主な使用食材 ハタハタ、ねぎ、醤油

 歴史・由来・関連行事
 ハタハタはうろこのない淡白な味わいの魚で、庄内地域の秋の味覚として親しまれている。ハタハタは12月ごろから産卵のために庄内浜にやってくるので、釣り人が酒田北港などに集まる光景が一つの冬の風物詩になっている。
 昭和の終わりごろから平成にかけて、ハタハタの漁獲量は激減してしまったが、山形県の漁業者が協力して漁獲規制と資源の管理をおこなったため、現在は復活したという経緯がある。海が荒れて雷鳴がとどろく時に大群で浅瀬に押し寄せるので”雷魚”という別名もある。
 「ハタハタの湯揚上げ」は、鍋でゆでたハタハタに醤油などをかけて食べるシンプルな料理。さっぱりとしており、ハタハタ料理の定番になっている。ほかにも、煮付けや干物、揚げ物などハタハタ料理のバリエーションは多種多様。
 ハタハタは庄内地域の伝統行事とも深く関わっており、12月9日に行われる行事「大黒様のお歳夜(としや)」では、ハタハタを「味噌田楽」にして食べる風習が残っている。

 食習の機会や時季
 近年は年間を通して水揚げされるというハタハタだが、6月と7月にとれるものは身を楽しみ、10月と11月にとれるものはブリコや白子を楽しめるといわれている。特に「ハタハタの湯上げ」はシンプルな料理なので旬のハタハタを使うと素材の味をダイレクトに楽しめる。

 飲食方法
 鍋に水を入れ煮立ったら、ハタハタを入れてゆでる。身が割れてきたタイミングで器にとって、大根おろしと醤油で食べる。しょうがをそえても美味しい。
 うろこがないため、洗ってそのまま調理できるのがハタハタの良いところ。盛り付けの際は、本来オスとメスを1匹ずつ盛り付けるという。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 ハタハタは鮮魚店やスーパーマーケットでも取り扱われる大衆魚である。「ハタハタの湯揚上げ」は、手軽に調理できる冬の定番料理になっている。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/hatahatanoyuage_yamagata.html より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<伝統野菜・果樹> 大分 晩三吉

2024-04-08 09:24:09 | 伝統野菜

 「晩三吉 おくさんきち」

 【生産地】日田市

 【特徴】日本梨、冬梨。晩秋から翌年春にかけて出回る珍しい梨で、冬に味わえる梨として珍重されている。

 【食味】肉質は柔らかく多汁で瑞々しい。甘味と酸味がある。他の梨に比べ、強い酸味があるが、その分、貯蔵性や保存性が高い。長期保存が可能で、貯蔵している間に酸味が徐々に抜けて甘みが増して美味しくなる。

 【料理】生食、コンポートなど

 【来歴】明治時代から食されていた歴史ある品種。江戸末期~明治初期頃に新潟県中蒲原郡両川村において発見されたとされる。「三吉(さんきち)」という品種の梨から「偶発実生(ぐうはつみしょう)」で生まれた。その梨が、既存の「三吉」と異なり熟すのが遅かったため、晩生の「三吉」として、「晩三吉」となったとされる。かつては全国で盛んに栽培されていたが、現在では梨全体の1%未満程度しか栽培されておらず、そのほとんどが大分県で収穫されたもの。

 ※「偶発実生(ぐうはつみしょう)」とは、人為的に交配されたものではなく、自然に落ちたり、捨てられたり、鳥類等に運ばれた種から親種より優れた形質を持つ品種が偶然に生まれた個体をいう。いわゆる突然変異。今日栽培されている果樹品種のうち相当多数が偶発実生に由来する。

 【時期】11月~2月頃

*https://tradveggie.or.jp/44-ooita/#i-21 より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<B級ご当地グルメ> 北海道 江差DADEMEカレー

2024-04-08 09:20:02 | B級ご当地グルメ

 「江差DADEMEカレー」

 都道府県 北海道
 地域 江差町
 推進団体 江差観光コンベンション協会
 概要 「江差DADEME(だでめ)カレー」は、北海道江差町の新B級グルメ。
ルーに江差らしいイカスミを添え、季節の貝類やイカリング、アスパラガスなどをトッピングしたカレーで、貝は旬によってエゾバカガイ(アオヤギ)やツブ貝を活用。
 DADEME「だでめ~」は、「とてもおいしい」という江差の方言。

*https://b9navi.com/%e6%b1%9f%e5%b7%aedademe%e3%82%ab%e3%83%ac%e3%83%bc/ より

江差DADEMEカレー
江差DADEMEカレー 季節の貝類であるエゾバカ貝(アオヤギ)とツブ貝と、イカリング、アスパラガスなどをトッピングし、ルーにはイカスミが入っています。
 DADEMEの名前には「とてもおいしい」という意味の方言「だでめ~」を冠して作られました。上町地区の「れすとらん津花館」で食べることができます。

*https://www.hkd.mlit.go.jp/ky/kk/kou_kei/ud49g7000000udst.html より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うまいッ! NHK「レモンが食卓の主役に~広島県尾道市瀬戸田町~」

2024-04-08 09:10:50 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「レモンが食卓の主役に~広島県尾道市瀬戸田町~」 2014年12月14日

 番組内容
 果汁を絞れば料理を引き立てる、レモン。国内シェアの半分を占める広島県。中でも尾道市瀬戸田町の生口島と高根島は“レモンアイランド”とも呼ばれる。瀬戸内は四季を通じて風が穏やかで雨が少なく、レモンの栽培に最適。しっかりとした酸味に加え、甘みからくるコクが特徴だ。その味をさらに濃くして、従来の絞って果汁を楽しむいわば脇役から、丸ごと“食べる”主役の食材へと押し上げる挑戦が始まっている。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201412140615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 「瀬戸田レモン」の産地、瀬戸内海に浮かぶ小さなレモンの島 広島県尾道市瀬戸田町 (取材月: December 2017)

 広島県南東部に位置する尾道エリアは、瀬戸内ならではの穏やかな気候によって、豊かな食文化が育まれてきた地域だ。

 なかでも、しまなみ海道の通る瀬戸田町生口島(いくちじま)は日本一の国産レモンの生産地として有名である。外国産レモンが市場で多くみられるようになった時代から、いち早く生産者らが連携し、美味しさと安全面にも気を配ったレモンの栽培に取り掛かったことで「瀬戸田レモン」としてのブランドを確立。全国各地のスーパーやレストラン、料理人から重宝されている。島内ではレモンの生産だけでなく、レモンを使ったジュースや菓子などの加工業も盛んで、通称「レモンの島」と呼ばれるほど生活にレモンが根付いている。
 農家が大切に育てる安心安全なエコレモン
 瀬戸田町生口島は、広島の尾道市と愛媛県今治市を結ぶしまなみ海道のほぼ中央に位置する人口約9,000人の小さな島だ。

 土地の半分が傾斜地で日当りがよいことと、夏の降水量や年間の降水日数が少ないという瀬戸内特有の温暖な気候が、寒さや風に弱いレモンの栽培に適していたため、古くは明治時代頃からレモンの栽培が盛んになったそうだ。現在では町内の農家の多くがレモンを栽培しているため、秋〜冬にかけて島を訪れると、至るところで鮮やかな黄色の斑点模様を目にすることができる。

 「レモンは手間がかからないぶん、育つ環境が一番大事。とにかく寒さに弱いからね。5℃ぐらいでも枯れちゃうんだよ」。

 レモン農家の久保雅男さんが、収穫中の畑を案内してくれた。

 レモンの栽培周期は、5月に花が咲き、6月頃から実がなり始める。10月頃から爽やかな香りと味わいが特徴のグリーンレモンの収穫が始まり、年末頃から翌年の4月頃まで、通常のイエローレモンの収穫が続く。収穫期間を比較的長く取るのは、出荷の直前まで鮮度を保つため。レモンは酸味が強く腐りにくい特長があるものの、久保さんのレモンは農薬の利用を抑えているため鮮度が落ちやすく、収穫するタイミングが肝となるのだ。

 久保さんはレモンへの細かい配慮を怠らない。強い風などで樹が揺れると実に傷がつき、最悪病気にかかる恐れがあるため、なるべく樹の下部に実が集まるように調整し、葉っぱで覆い隠すようにレモンを成育させる。瀬戸田レモンは形がきれいと評判があがるのは、こうした農家の努力の賜物なのだ。

 「収穫したてのレモンの香りをかぐと疲れも取れちゃうよ。特に形も色も綺麗なものが出来ると嬉しいよね」と、久保さんが照れ笑いをしながら語ってくれた。

 1960年代に外国産レモンの輸入が自由化。外国産レモンが市場に多く出回ることになったが、当時、外国産レモンに多く使われている防かび剤が問題になった。 広島県では、久保さんが作るレモンのように、環境ホルモンの疑いのある農薬は一切使わず、農薬自体も減らして育てたレモンを「エコレモン」として全国でもいち早く認定した。瀬戸田地域が低農薬のレモンの栽培方法を模索し、見事にそれを確立することで、全国的にもその栽培方法が広まっていったという。皮まで安心して食べることができるのがエコレモンの特長だ。

 届けたいのは“レモンの香り” 瀬戸田名物レモンケーキ
 皮まで安心して味わうことができるエコレモンの特長を活かした加工品作りも盛んに行われている。特にレモンの香りを引き立てたレモンケーキ作りは町内でも5社以上の工房が取り組み、瀬戸田の名物の一つとして人気を集めている。

 そのうちの一社である「島ごころ」の工房を訪れた。

 この工房では、レモンケーキの生地に練り込む自家製のレモンジャムを果肉ではなく、すべてレモンの皮を使って作っている。しかも、すべて熟練のスタッフによる手作業で皮を切り取っているから驚きだ。

 「レモンの香りの成分となるリモネンは実は果肉ではなくて、皮に含まれているんです。手作業にこだわるのも、レモンの香り成分をできるだけ損ないたくないからです。とにかく瀬戸田レモンが持つ爽やかで心地よい香りを届けたくて僕らはレモンケーキを作っています」と、代表の奥本隆三さんが教えてくれた。

 奥本さんは生まれも育ちも生口島。18歳の時に初めて島を飛び出し、大阪のお菓子の専門学校を卒業、神戸で修行を積んだのちUターンして町内でロールケーキを中心とした洋菓子店を開いた。次第に幼い頃から慣れ親しんできた瀬戸田のレモンの魅力を再認識するようになり、10年程前からレモンケーキをつくりはじめ、いまでは、販売開始から累計300万個以上も売れた瀬戸田を代表するヒット商品となっている。奥本さんは、お菓子作りだけでなく、生産者や販売者を巻き込み「レモン祭り」などのイベントを主催するなど、瀬戸田のレモンを活用した町おこしにも積極的に取り組んでいる。

 「小さい時から当たり前のように眺めていたレモン農家さんの仕事を改めて見てみると、本当に丁寧な仕事ぶりで驚いたんです。簡単そうに見えますが、細かい気配りが随所に隠されていて。レモンが全部キレイで糖度もある上に、香りが格別。胸を張って瀬戸田のレモンが一番と言えます。それをもっともっと伝えていきたいです」。

 安心安全と向き合い、日々丁寧にレモンを育てる農家。
 その果実を引き継ぎ、親しみやすい形で町の内外に魅力を伝える職人たち。

 瀬戸内に浮かぶ小さなレモンの島は、生まれた島を愛し、レモンを愛する人々によって支えられていた。

 情報提供:レモン農家 久保雅男さん / 島ごころ 奥本隆三さん

 瀬戸田レモン“旬”の時期
 10月〜12月 グリーンレモン
 12月〜4月 イエローレモン

 目利きポイント
 色づきがよく、形が綺麗で果皮にハリとツヤがあるもの
 果皮にシワがよったり、変色していないもの

 美味しい食べ方
 グリーンレモンは固いため、揉んだり電子レンジで少し温めてから使うとよい
 レモンの香り成分が含まれているのは皮。レモンを絞る時は、果肉を上向きに皮が下にくるように絞ると、レモンの香りがより一層引き立つ

*https://shun-gate.com/roots/roots_68/ より

 レモンは柑橘類の中でも寒さに弱い種類です。強風雨によって葉や茎が傷つくことにより感染する病気にも弱いため、レモン栽培には温暖で雨が少なく風が穏やかな気候が適しています。

 瀬戸田町の年平均気温は15.5℃と暖かく、中国山地や四国山地で風がさえぎられ、風上の山地側で雨も落とします。

 さらに急傾斜地が多く、土壌の大部分が花こう岩で水はけが良いことも、レモン栽培にとって恵まれた環境となっています。

 瀬戸田は古くから柑橘類の栽培が盛んな土地です。当時は自家栽培程度だったと考えられ、昭和2年 (1927年) からは瀬戸田をレモンの産地にするために栽培面積を増やすなどレモンの増産が行われました。「レモン谷」と言われる地名の残る垂水地区は戦後、瀬戸田レモンの基礎を作り、県内でも代表的なレモン産地として知られるようになったのです。

 ところが、昭和39年 (1964年) 5月の「レモンの輸入自由化」に続き、昭和51,56年 (1976,1981年) の大寒波などにより、瀬戸田レモンを含め国産レモンは致命的な打撃を受けました。生産量は一時激減しましたが、その後、安全面等から国産レモンの需要が増加し、徐々に栽培面積と生産量を増やしています。令和2年 (2020年) 現在、広島県の栽培面積は293ha (全国654ha、シェア45%) 、生産量4,861t (全国8,634t、シェア56%) となっています。 (農林水産省令和2年産特産果樹生産動態等調査より )

*https://www.pref.hiroshima.lg.jp/lab/topics/20230630/01/ より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<料理用語-和食> 喰い初め

2024-04-08 08:51:03 | 料理用語

 「喰い初め」

 祝い膳の一種で「箸揃え」「箸染め」とも言う。

 生まれて120日目の赤ん坊に、一人前(一汁三菜が基本)の膳を揃えて食べさせる真似をする。

*https://temaeita.net/top/t2/kj/7_E/05.html より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<異名-人物> 近代日本医学の父

2024-04-08 08:46:36 | 異名

 「近代日本医学の父 北里柴三郎」

 北里 柴三郎(きたざと しばさぶろう〉、嘉永5年12月20日〈1853年1月29日〉- 昭和6年〈1931年〉6月13日)は、「近代日本医学の父」として知られる微生物学者・教育者。1889年(明治22年)に破傷風菌の純粋培養に成功、翌1890年(明治23年)に血清療法を開発、さらに、1894年(明治27年)にペスト菌を発見し、「感染症学の巨星」と呼ばれる。

*Wikipedia より

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<難読漢字-魚> 竹麦魚

2024-04-08 08:25:29 | 難読漢字

 「竹麦魚 ほうぼう」

 ホウボウ(竹麦魚、魴鮄<魚へんに方・魚へんに弗> Chelidonichthys spinosus)は、スズキ目ホウボウ科に属する魚類。変わった外見と動作が特徴の海水魚で、美味な食用魚でもある。

*Wikipedia より

 由来・語源 古くから一般的に使われていた呼び名である。頭部が方形であることと、釣り上げるとしきりにホーホーと鳴くことからとされている。。
 〈形、方頭(カナガシラ)〉に似て〈這う魚〉の意味。
 〈這う魚 はうさかな〉がホウボウに転訛した。胸鰭下部軟条が脚のような役割をして歩くところからきている。
 鰾(浮き袋)の振動による鳴き声が「ほうぼう」と聞こえるため。
 〈保宇婆宇〉『和漢三才図会』(寺島良安 正徳3年/1713 東洋文庫 平凡社)
 〈保宇保宇〉は『物類称呼』(越谷吾山著 安永4/1775 解説/杉本つとむ 八坂書房 1976)、『魚鑑』(武井周作 天保辛卯 1831)
 〈竹黍魚〉。竹麦魚は当用漢字に置きかえたもの。「竹麦」には意味がないと思えるので、なぜこの文字が存在するのか不明。『大言海』(大槻文彦 冨山房 初版 1932-1935)
 〈ホオボオ 魴鮄〉『図説有用魚類千種 正続』(田中茂穂・阿部宗明 森北出版 1955年、1957年)

*https://www.zukan-bouz.com/syu/%E3%83%9B%E3%82%A6%E3%83%9C%E3%82%A6 より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<慣用句・諺> 駄目を押す など

2024-04-08 08:18:28 | 慣用句・諺

 「駄目を押す」

 《囲碁で、駄目を詰める意から》

 1 念のために確かめる。念を押す。

 2 試合などで、ほとんど勝ちが決まってから、さらに得点を重ねたりして、勝ちを確定的なものにする。

 

 「駄目を出す」

 演劇などで、俳優に演技上の注意を与える。転じて、仕事などのやり直しを命じる。

 

 「駄目を踏む」

 何の益もないことをする。無駄なことをする。

 

 「誰に見しょとて紅鉄漿つきょうぞ-だれにみしょとてべにかねつきょうぞ」

 歌舞伎舞踊「京鹿子娘道成寺 (きょうがのこむすめどうじょうじ) 」の詞章。あとに「みんなぬしへの心中立て」と続く。誰に見せようとして顔に紅をひき、お歯黒を塗ったりしましょうか、みんな恋しいあなたに真心を見せるためです、の意で、男につれなくされた女の恨み言の決まり文句。

 「鉄漿-かね」-① 歯を黒く染めたり、衣を紺色などに染めたりするのに用いる、鉄を酸化させた液。お歯黒(はぐろ)。歯黒目(はぐろめ)。 ② お歯黒のような色。 ③ 昆虫「はぐろとんぼ(羽黒蜻蛉)」の異名。*精選版 日本国語大辞典 より

 

 「弾丸黒子の地-だんがんこくしのち」

 はじき弓のたまやほくろほどの、きわめて狭く小さい土地。猫の額ほどの土地。

 

*goo辞書 より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<日本酒メーカー> 秋田 奥田酒造店

2024-04-08 08:10:38 | 日本酒

 「奥田酒造店」

 有限会社奥田酒造店[千代緑]

 奥田酒造店の歴史
 延宝年間創業以来、三百有余年の歴史を誇る酒蔵、奥田酒造店は、秋田県仙北・協和地域の地酒として親しまれる「千代緑」を造り出しています。初代蔵元が、この街から望める初夏の緑美しい山々を詠った、「若葉映ゆる 四方の山々 千代緑」という俳句から銘付けられたとされています。店舗兼主屋は、戦後の日本を代表する建築家、白井晟一氏が設計。軽快で洗練された造形を有する当蔵は、国の登録有形文化財にも指定されています。

 酒蔵の特徴
 奥田酒造店の佇まいは、一見でシンプルでモダンな美しさを感じさせます。店舗の入口から奥へ進むと目に留まるのが貯蔵蔵。その重厚な面持ちは創業300年という本蔵の歴史の深さを感じることができます。全面板張りの麹室や蔵を支える梁、そして酒蔵全体を包む厳格な空気感に、永き歴史を刻む奥田酒造店の本懐を垣間見ることができます。「千代緑」の名の通り、緑豊かで爽やかな夏のイメージがよく似合う独特な建造物です。

 奥田酒造店の酒造り
 昔から変わらない「造り酒屋」を内実ともに受け継いでおり、緑茂る自然の静謐さをその味に溶かしこんでいます。その滑らかな舌触りは、奥羽山系の良質な水と、多雪寒冷な気候、そして地元の良質な米の恩恵であり、奥田酒造店の家付酵母が「やさしく、穏やかな」な味わいを引き立てると言われています。洗米から瓶詰めまですべての工程において原料と真摯に向き合いながら、奥田酒造店ならではの、ここにしかない日本酒を世に送り出しています。

 個性をそのままに醸す
 前杜氏が引退した後、蔵元が杜氏を務めることになり、最初の目標だったのが『原料の個性をそのままに醸す』でした。当時秋田県醸造試験場では新酵母の「こまち酵母スペシャル」が分離され、試験醸造のお酒を唎き酒した時に、この風味のお酒を造りたいと思ったのがきっかけで、それから秋田県で開発された「こまち酵母R-5」「秋田酵母№12」や蔵付分離酵母「MS3」など、酵母シリーズを発売してきました。その後は地元産の好適米「秋田酒こまち」「美山錦」「吟の精」「美郷錦」「亀の尾」を使用し、それぞれの米の個性を楽しんでいただける好適米シリーズを発売しております。

 地元産で醸す
 地元の若手専業農家から「自分で育てたお米で仕込んだ酒を飲みたい」と話があり、それから「秋田酒こまち」「美山錦」「吟の精」「美郷錦」を加藤弘栄さん、佐藤智治さんの二人に契約栽培をお願いしました。現在では山田錦を除く好適米のほぼ全量が地元産になっています。また、酵母は仕込蔵の天井の梁から採取した「MS3」を使用し、仕込本数の半分以上が「MS3」仕込みになりました。米・水・酵母の全てが地元協和産のお酒が今後も増える予定です。

 有限会社奥田酒造店 大仙市協和境字境113

*https://www.osake.or.jp/kuramoto/23okuda.html より

 代表銘柄

ちよみどり 純米酒辛口

仕込蔵の梁から採取した蔵付分離酵母「MS3」で醸した辛口純米。ナシ様香とキレのある口当たりで、いろいろなお料理との相性が良い食中酒です。

分類純米酒
原料米美山錦・ぎんさん
精米歩合50%・60%
アルコール度数16.0度
日本酒度+8
酸度1.6
酵母 / -

*https://www.akitanosake.net/shopdetail/000000000347/ct35/page1/recommend/ より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<四国八十八箇所> 第8番札所 熊谷寺

2024-04-08 07:55:16 | 巡礼

 「熊谷寺」

 熊谷寺(くまだにじ)は徳島県阿波市土成町土成にある高野山真言宗の寺院。普明山(ふみょうざん)真光院(しんこういん)と号す。本尊は千手観世音菩薩。四国八十八箇所第八番札所、阿波西国三十三観音霊場(東部)第27番札所。

 本尊真言:おん ばさら たらま きりく
 ご詠歌:たきぎとり水熊谷(くまだに)の寺に来て 難行(なんぎょう)するも後(のち)の世のため
 概要
 桜の名所で、三月初旬には進入路から池にかけて「蜂須賀桜」が一面に咲き、四月初旬には仁王門周辺と中門周辺にソメイヨシノ、多宝塔周辺に枝垂桜が咲き誇る。初夏には紫陽花が迎えてくれる。毎月18日ライトアップされた本尊千手観音菩薩が黄金に輝く。

 歴史
 寺伝によれば、815年(弘仁6年)空海(弘法大師)がこの閼伽ヶ谷で修行をしていた際、熊野の飛瀧権現(熊野那智大社の別宮飛瀧神社の祭神)が現れて「永く衆生済度の礎とせよ」との宣託をし、1寸8分 (約5.5 cm) の金の観音像を授けた。そこで堂宇を建立し、一刀三礼して霊木に等身大の千手観世音菩薩を刻んでその胎内に授けられた観音像を収めて本尊としたという。

 1927年(昭和2年)火災により本堂とともに空海作と伝えられていた本尊も焼失した。本堂は1940年(昭和15年)に再建が開始されたが戦争により中断、1971年(昭和46年)に全容が完成し、新造された本尊が開眼した。

 境内

 山門(仁王門) - 現在の境内地からは100 mほど南にある。高さ13 mの二重門で四国霊場最大の山門である。
 中門(二天門) - 持国天と多聞天が両脇に立つ。
 本堂 - 毎年正月三が日と、毎月18日本尊千手観音が開帳される。
 大師堂
 熊野飛瀧権現社跡 - 熊野飛瀧権現を祀っていた。かつて、本堂と谷を挟んで右手上方の台地にあり、『四国遍礼霊場記』(寂本/1689年刊)に記録あり。令和元年に発掘調査が行われる。
 鐘楼 - 袴腰形式で参拝者は撞くことはできない。
 多宝塔 - 内部は胎蔵界大日如来像を中心に、東に阿閦如来、南に宝生如来、西に無量寿如来、北に不空成就如来を祀っている。
 鎮守神(石祠) - 上記の熊野飛瀧権現社跡から移された。
 熊谷寺板碑 - 阿波板碑で亡き父母の供養のため1339年(慶応2年)に建てられた。
 稲荷社(祠) - 京都伏見稲荷を祀る。
 弁財天(ステンレス製祠) - 境内横の弁天池の弁天島にあり、安産の霊験あり。
 句碑歌碑 - 「防波堤を激しく叩く波頭しぶきとなりて風に飛ぶ見ゆ」が駐車場から上がった所に、「義をみていさむ壮士(益荒男)のここ路(心)のうち和逃がしけ連(れ)」が中門の右前に、当寺御詠歌を刻んだ歌碑が本堂の右前にある。
 山門をくぐって50 mほど進み公道を横断すると右手に弁天池が左手には寺務所がある。駐車場の先から左手に上がっていくと参道の左側に多宝塔が建っている。参道を進むと中門に至る。さらに三十三段の女厄除け石段を上ると右側に手水場があり、正面に本堂が建つ。本堂手前の左手に鐘楼があり、本堂左の四十二段の男厄除け石段を上っていくと大師堂がある。納経所は駐車場の南側である。

 納経所 - 冬場は薪ストーブで温めた部屋で納経してもらえる。
 宿坊 - なし
 駐車場 - 20台、バス6台。要志納金。

 文化財
 徳島県指定有形文化財
 建造物
 熊谷寺仁王門(山門) 附 石碑1基 - 1971年(昭和46年)8月10日指定。高さ12.3 m、間口9 m、1687年(貞享4年)建立。附の石碑は、長意和尚行録碑で、平成18年11月21日に追加指定。
 熊谷寺大師堂 - 2002年(平成14年)5月7日指定。1707年(宝永4年)建立。
 熊谷寺大師堂内厨子 - 2002年(平成14年)5月7日指定
 熊谷寺多宝塔 - 2002年(平成14年)5月7日指定。1774年(安永3年)建立。総高約18 m、
 熊谷寺中門 - 2002年(平成14年)5月7日。1649年(慶安2年)建立。
 熊谷寺鐘楼 - 2002年(平成14年)5月7日。袴腰形式。
 彫刻
 熊谷寺木造弘法大師坐像 - 1999年(平成11年)7月23日指定。1431年(永享3年)作、焼山寺についで徳島県で2番目に古い大師像。

 熊谷寺 徳島県阿波市土成町土成字前田185

*Wikipedia より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする