いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

< 郷土料理 > 福島 こづゆ

2024-04-23 09:57:19 | 郷土料理

 「こづゆ」

 主な伝承地域 南会津をのぞいた会津地方

 主な使用食材 貝柱、きくらげ、里芋、糸こん、干し椎茸、白玉麩(まめふ)、にんじん、わらび等

 歴史・由来・関連行事
 福島県には、会津塗と言われる赤い漆塗りの器がある。この会津塗のなかでも、浅めに作られた「手塩皿」に、貝柱のだしで煮込んだきくらげ、わらび、里芋など、豊富な具材を盛りつけた郷土料理が、「こづゆ」である。「こじゅうのつゆ」がなまって、こづゆという名前になったと言われている。
 こづゆ自体は100年以上前から食べられており、昔は「一の重」「二の重」あるいは「一の露」「二の露」と二つのお椀に分けて供されていたが、昭和60年代頃からは一つのお椀で「こづゆ」として提供されるようになった。なお、こづゆに似た郷土料理としては、郡山市の「つゆじゅう」と呼ばれる汁物がある。豆麩以外の具材はほとんど同じで、福島の食材をふんだんに使用している。

 食習の機会や時季
 冠婚葬祭の際に、「手塩皿」に盛りつけて供されることが一般的。中でも婚礼時には欠かせない一品となっており、宴会の最中にふるまわれる。こづゆは酒の肴として楽しまれていたため、何杯でもおかわりしてよいとされていた。そのほか、祝い事や祭りの際など、来客をもてなすときに出す料理として、長い間受け継がれてきている。ちなみに具材は7または9種類にすると、奇数で縁起が良いとされている。

 飲食方法
 各材料を下ごしらえして食べやすい大きさに切り、干ししいたけや貝柱のだしで煮込み、醤油や塩で味を調える。具材は、貝柱などの海の幸とわらびや里芋などの山の幸の両方がバランスよく入っているのが特徴。昔は卵焼きを入れる家庭もあったという。切り方や材料、味つけも各家庭により異なっており、それぞれに個性豊かなこづゆが作られている。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 家庭で作ることは少なくなってきたものの、こづゆの風習や文化は受け継がれている。現在はレトルトのこづゆや、「手塩皿」までセットにしたこづゆセットなどが販売されており、気軽に楽しむことができる。また、福島県内の宿泊施設や飲食店などでも提供されている。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/30_2_fukushima.html より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<B級ご当地グルメ> 青森 ほたてカレー

2024-04-23 09:12:51 | B級ご当地グルメ

 「ほたてカレー」

 青森県のご当地グルメ。

 青森県の代表食材である「ほたて」を使ったさまざまな料理がご当地グルメである。

 レトルトにもなっており、各社から販売されている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うまいッ! NHK「実が詰まってシャリシャリ!小玉スイカ~群馬・太田市~」

2024-04-23 08:27:29 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「実が詰まってシャリシャリ!小玉スイカ~群馬・太田市~」  2015年04月12日

 番組内容
 糖度が高く実が詰まった歯応えが「うまいッ!」のが群馬県太田市薮塚地区の「小玉スイカ」。大きさは直径20センチ程で、ハウス栽培で3~4月に収穫される。このスイカに取り組んで40年以上の農家を、ファッションモデルの生方ななえさんが訪問し、十分日光を当てる工夫など、こだわりの栽培法を取材。さらに、小玉スイカの品質を一元管理する「スイカソムリエ」の活躍や、四角い小玉スイカの開発に挑む取り組みも紹介する。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201504120615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 「藪塚こだま西瓜」

 【太田の自慢のフルーツ】 甘さがギュッ!藪塚こだま西瓜 更新日:2024年3月1日更新

 甘くておいしい藪塚こだま西瓜を紹介します
 高級品で知られる小玉スイカは、3月上旬から7月上旬まで収穫されます。5月のゴールデンウィークごろに収穫の最盛期を迎えますが、市場を通して出荷されるほか、市内のJA直売所<外部リンク>やインターネット販売などでも購入できます。
 また「藪塚こだま西瓜」は太田市の「ふるさと納税の返礼品」としてお届けしています。

 太田市が誇る小玉スイカをぜひ一度ご賞味ください。

 小玉スイカの魅力
 なんといっても小ぶりな身にギュッと凝縮された「甘さ」が特長です。シャリっとした食感と瑞々しさは、春から初夏にかけて食べるのにぴったり。また、薄い皮と種が少なく食べる部分が多いのも魅力です。
 直径約20センチと小ぶりなサイズなので、少人数でもあっという間に食べ切れます。

 おすすめの食べ方
 食べる1〜2時間くらい前に冷蔵庫で冷やします。
 スイカは中心部が一番甘いため、スイカを横半分に切り、中心に沿って食べやすい大きさに切り分けると甘い
部分が均等に行きわたります。

 おいしさの秘密
 スイカにとって好条件の土壌
 主な産地である藪塚地区は、水はけの良い堆積火山灰土壌と、冬の乾燥した「からっ風」の影響で小玉スイカを両手で持っている画像全国的にみても冬に晴れる日が多いことが特徴です。水はけの良い土と日照時間の長さは、スイカを栽培するにはとても最適です。この風土の特徴を活かして、藪塚地区では長年に渡ってスイカのハウス栽培が盛んに行われてきました。

 こだわりの生産
 藪塚地区のスイカ栽培は大玉スイカから始まり、100年以上の歴史があります。長いスイカ栽培の中で、農家の皆さんが試行錯誤を繰り返しながら、品質改良を重ねてきました。
 冬から初夏にかけて、ハウスの適切な温度管理には特に気を使います。作付けから収穫まで、きめ細かな栽培に徹底して、甘さや食感にこだわったスイカを育てています。

*https://www.city.ota.gunma.jp/site/furusato/1022782.html より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<伝統野菜> 宮崎 夕顔かぼちゃ

2024-04-23 08:24:15 | 伝統野菜

 「夕顔かぼちゃ」

 【生産地】北方町、西都市 他

 【特徴】日本かぼちゃの一種。形状は基本的には曲がりがないヘチマ型。果皮の色は緑色から黒色に近いものまで様々である。晩生種で短日条件にならないと花が着きにくい。放任作りでも秋には収穫できる。草勢はきわめて強く、つるは四方八方に這い回るので、畜舎などの日よけ植物として使われることも多かった。

 【食味】粉質から粘質のものまで様々である。

 【料理】焼き物、煮物、揚げ物など

 【来歴】夕顔カボチャは自家用を中心に地域で栽培されている。ヘチマに似ているところから通称「ヘチマカボチャ」と呼ばれている。最近、直売所や道の駅などで販売されている。種子は自家採種。

 【時期】7月~10月

*https://tradveggie.or.jp/45-miyazaki/#i-18 より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<料理用語-和食> 具足

2024-04-23 08:20:27 | 料理用語

 「具足」

 「鬼殻」と同じような意味でつかう、エビやカニを殻つきのまま作る料理に冠する言葉。具足とは侍が戦場で使う脛当てのことで、特に伊勢エビの殻がこれと似ている。

 伊勢エビや大車は背から二つ割にし、カニはぶつ切りか、腹からの二つ割にして使う。

 「伊勢海老の具足煮」は二つ割りにしたものを酒、みりん、醤油でさっと煮て取り出し、汁だけ詰めてその煮汁をかけたものである。この料理は正月料理や祝い膳によく使うもの。

 「具足焼き」は鬼殻焼きと同じもので、しょう油、味噌、塩、など焼き方は様々。

*https://temaeita.net/top/t2/kj/7_E/020.html より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<異名-人物> 政界の風見鶏/ヤス

2024-04-23 08:14:22 | 異名

 「政界の風見鶏/ヤス 中曽根康弘」

 中曽根 康弘(中曾根 康弘、なかそね やすひろ、1918年〈大正7年〉5月27日 - 2019年〈令和元年〉11月29日)は、日本の政治家。位階は従一位。勲等は大勲位菊花章頸飾。

 衆議院議員連続20回当選(1947年 - 2003年)。科学技術庁長官(第7・25代)、運輸大臣(第38代)、防衛庁長官(第25代)、通商産業大臣(第32・33代)、行政管理庁長官(第45代)、内閣総理大臣(第71・72・73代)、自由民主党総務会長、自由民主党幹事長、自由民主党総裁(第11代)、公益財団法人「世界平和研究所」会長、拓殖大学第12代総長・理事長、名誉総長、東アジア共同体評議会会長、新憲法制定議員同盟会長を歴任した。

 自由民主党では三角大福中の一角を占め、三角大福中の最後に第71・72・73代内閣総理大臣に就任。国鉄民営化を成し遂げるとともに、アメリカのロナルド・レーガン大統領とのロン・ヤス関係や不沈空母発言で貿易摩擦などにより悪化していた日米関係を改善させ、強固なものとした。若手議員のころは青年将校と呼ばれ、後に原子力関連法案の議員立法にも尽力した。首相公選制を唱え、憲法改正を悲願とした。自民党総裁選で不利な小派閥を率いる中で「政界の風見鶏」と呼ばれることもあったが、反鈴木善幸候補の乱立と田中角栄からの支援を以て総裁選で圧勝して総理大臣となった。

*Wikipedia より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<難読漢字-魚> 公魚、若鷺

2024-04-23 08:09:09 | 難読漢字

 「公魚、若鷺 わかさぎ」

 ワカサギ(公魚、鰙、若鷺、学名:Hypomesus nipponensis )は、キュウリウオ目キュウリウオ科の魚類の一種。北太平洋のアジア沿岸と北米沿岸に分布する体長17cmまでの冷水性の硬骨魚で、食用魚として利用されることがあり、成熟が早く繁殖力が高いことから中国の多くの海域で生息し獲られている。

 名称
 別名 アマサギ(山陰地方)、オオワカ、コワカ、サイカチ、サギ、シラサギ、シロイオ、メソグリなど

 和名で「公魚」と書く由来は、常陸国麻生藩が徳川11代将軍徳川家斉に年貢として霞ヶ浦のワカサギを納め、公儀御用魚とされたという説がある。中国語では「西太公魚」という漢字で表記される。

*Wikipedia より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<慣用句・諺> 血は争えない など

2024-04-23 07:59:45 | 慣用句・諺

 「血は争えない」

 子どもが父母から気質・性向を受け継いでいることは否定しようがない。血筋は争えない。

 

 「知は力なり」

 人間の知性の優位を説いた哲学者ベーコンの思想を端的に言いあらわした言葉。

 

 「血は水よりも濃い」

 血筋を引いた間柄は、他人に対するより親密であることのたとえ。

 

 「地歩を占める」

 自分の立場・地位を定める。

 

 「血祭りに上げる」

 出陣の際、敵方の者を殺して士気を奮い立たせる。また、戦いの初めに、威勢よく最初の相手を倒す。

 

*goo辞書 より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<日本酒メーカー> 秋田 出羽鶴酒造

2024-04-23 07:54:16 | 日本酒

 「出羽鶴酒造」

 出羽鶴の歴史 History
 当社は幕末の1865年、出羽の国南楢岡(現・秋田県大仙市)にて伊藤家12代目・伊藤重四郎により『ヤマト酒造店』として創業しました。明治維新による新しい時代の幕開けが目前に迫っていました。

 伊藤家は17世紀に西国から東北へ渡り、秋田の地で地主となって農業を司りながら庄屋の役割を代々受けついで来ました。重四郎は地元で収穫される良質の米を使い、屋敷の一角に酒蔵を建てて日本酒の醸造を始めました。

 12代目の跡を継いだ伊藤恭之助(13代目)は、1913年(大正2年)ヤマト酒造店を企業化しました。『鶴のように優美な出羽の国の酒になるように』との願いを込めて『出羽鶴』と命名し、出羽鶴酒造株式会社として新たなスタートを切りました。

 恭之助は酒造業の他にも当時需要のあった馬の育成・改良にも力を入れ、優良な馬を生産していました。今でも当時の馬場、馬小屋が伊藤家敷地内に残っており、品評会で最優秀となった馬を国へ献上した記録が残っております。その他農地の開墾にも努力し、荒地を開拓して耕地改良を行い、米の増産にも貢献しました。

 太平洋戦争中は米不足や国策の影響で酒造りをやむなく中断しましたが、戦後復活して徐々に石高も増え、昭和40年代には生産量が1万石を超えた時期もありました。その後平成に入ってからは純米酒を中心とした付加価値の高い日本酒造りを進めております。

 蔵の環境 Environment
 出羽鶴酒造は、秋田県南部の山間に位置します。四季のはっきりした気候で、夏~秋は温暖湿潤で原料となる酒米の栽培に適し、冬は寒冷で雪が多く酒造りに適しているという条件が揃っています。

 蔵を取り巻く山々は出羽丘陵と呼ばれ、豊富で清冽な湧水の水源となっています。 また、蔵周辺の土壌は肥沃で、地元で栽培される作物は米を筆頭に食味が良く、農業地帯となっています。

 出羽鶴蔵の酒造りの特長 Characteristic
 ① 原料米
 出羽鶴では酒米栽培から杜氏・蔵人が関わり、良質の原料米を育てるところから酒造りが始まっています。地元の良質な土壌を活かし、蔵人を中心に地元農家と酒米栽培会を設立し、栽培技術を磨きながら安定した良質な原料米の栽培に努めています。

 ② 仕込水
 出羽鶴の仕込水は出羽丘陵の雪解け水を水源とする天然の地下水です。緑の豊富な山々から地下に浸み込み、幾重の地層を透過して湧き出る水は清冽でやわらかく、出羽鶴の特長であるなめらかでキメ細かい酒質をかたちづくります。

 ③ 酒造りの方針
 出羽鶴蔵の酒造りの方針は『和醸良酒』です。これは代々受け継がれている言葉で、米作り・酒造りの仕事に厳しく向かい合う中で蔵人同士に生まれる結束を和とし、飲む人に幸せを運ぶような美味しい酒を造ることを意味しています。

 やまとしずくYamatoshizuku

 『やまとしずく』は1994年に秋田県内の有志酒販店様と当社で立ち上げたブランドです。『ヤマト』とは創業家である伊藤家の屋号で、創業当時『ヤマト酒造店』と名乗っていたことに由来します。
 代々使用されていた酒造りの道具や、樽、仕事着の半纏などに屋号が刻印されています。 今から約150年前の創業者の精神と創業時代の酒造りを受け継ぎ、米も水も特定地域のものだけを使用し、地域性と個性のはっきりした美味しい酒を造ることがやまとしずくのコンセプトです。

 また、『米作りからの酒造り』がテーマになっており、原料米は全て、創業家、蔵人、地元契約農家の田んぼで栽培された酒米を使用しております。毎年同じ人によって同じ地域で栽培された良質の酒米で仕込む事で酒質の安定と向上を目指しています。
 商品ラインは通年商品で7種類、その他季節商品数種類、全て純米系のお酒です。販売店様はやまとしずく販売会にご入会いただき、商品は全て蔵元より酒販店様への直送としております。

 やまとしずくの酒造りの特長 Characteristic
 ① 原料米
 やまとしずくの原料米は主に秋田酒こまち、美山錦、美郷錦等の酒造好適米です。これらは蔵の地元・大仙市南外・神岡地域の田んぼに限定して栽培されています。この地域の土壌が稲作に非常に合っており、良質の酒米が育つ事がその理由です。創業時代は蔵に隣接した田んぼの米だけを使用していたので、地元栽培にこだわる事はやまとしずくを醸造する上で重要なコンセプトになっています。

 ② 仕込水
 やまとしずくの仕込水は蔵からさらに奥へ入った山間に水源がある湧水を使用しています。この水は、この地域が1500万年前にまだ海の底だったころの地層を通過して湧き出る特別な水で、ミネラル分が豊富で酒に多様であざやかな味わいを与えます。

 晴田Seiden
 晴田(せいでん)は、出羽鶴酒造の新たなブランドとして誕生しました。コンセプトは『米の個性と造りの調和』。5つの酒米が持つ特徴を、出羽鶴酒造の蔵人が技術の粋を注ぎ込んで表現していきます。国内主産地から選りすぐった酒米がそれぞれに醸し出す香味の輝きをぜひお楽しみください。

 晴田の酒造りの特長 Characteristic
 ① 原料米
 晴田の原料米は、山田錦(兵庫県産)、雄町(岡山県産)、秋田酒こまち(秋田県大仙市産)、雄山錦(富山県産)、五百万石(石川県産)の五種。毎年同じ主産地から良質の酒米を選び、仕入れています。造りに適したコンディションを調えるため、酒米は全て蔵の精米機で自家精米します。また、酒米の状態を確認するため、グレインスキャナーを用いて精米した酒米に割れや異常がないか分析しています。

 ② 仕込水
 晴田の仕込水は出羽丘陵の雪解け水を水源とする天然地下水です。冬季に降り積もった雪は緑の豊富な山々から地下にゆっくりと浸み込み、幾重の地層を透過して地下水となります。そうして湧き出る水は秋田県内でも最もやわらかく清澄です。その水から醸し出される酒は、口あたり良くキメの細かい旨みをまとった味わいになります。

 ③ 晴田を醸す技
 晴田を醸すスタッフは、20年以上の経験を積んだ杜氏、米作りのプロでもある頭、次期杜氏を目指す若手を中心にした全員地元出身の蔵人です。酒造りの方針は「和醸良酒」。代々受け継がれている言葉で、米作り・酒造りの仕事に厳しく向かい合う中で蔵人同士に生まれる結束を和とし、飲む人に幸せを運ぶ美味しい酒を造ることを意味しています。

 出羽鶴酒造株式会社 秋田県大仙市南外字悪戸野81

 秋田清酒株式会社 秋田県大仙市戸地谷字天ケ沢83-1

*https://www.igeta.jp/about-dewatsuru/ より

 代表銘柄

出羽鶴 純米大吟醸 百田110周年記念酒

分類 CLASSIFICATION純米大吟醸酒 / Junmai Daiginjo-shu
原料米 INGREDIENT百田 / Hyakuden
味のタイプ TYPE OF FLAVOR淡麗甘口 /
精米歩合 RICE POLISHING RATIO45%
アルコール度数 ALCOHOL OF VOLUME16.0-16.9%
日本酒度 SMV-1
酸度 ACIDITY1.6

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<四国八十八箇所> 第23番札所 薬王寺

2024-04-23 07:48:28 | 巡礼

 「薬王寺」

 薬王寺(やくおうじ)は、徳島県海部郡美波町にある高野山真言宗の寺院。医王山(いおうざん)、無量寿院(むりょうじゅいん)と号す。本尊は薬師如来。四国八十八箇所の第二十三番札所で、厄除けの寺として知られる。

 本尊真言 - おん ころころ せんだり まとうぎ そわか 
 ご詠歌 - 皆人の病みぬる年の薬王寺 瑠璃(るり)の薬をあたえましませ
 納経印 - 当寺本尊、奥之院玉厨子山泰仙寺
 歴史
 寺伝によれば、神亀3年(726年)に聖武天皇の勅願により行基が創建と伝わる。弘仁6年(815年)には平城上皇の勅命によって空海(弘法大師)が厄除けのため薬師如来像を刻み、伽藍を建立。

 文治4年(1188年)火災により堂塔を焼失した。伝承によると、この時に本尊は奥之院の玉厨子山に自ら飛んで焼失を逃れた。その後、後醍醐天皇により堂塔が再建された。本尊が新たに彫られたが、元の本尊もこの時に飛んで帰り後ろ向きに厨子に入り自ら厨子を閉じたと伝わり、「後向き薬師」と称される。元の本尊は以後秘仏となった。このため本尊が二体ある。

 天皇、淳和天皇などからの信仰は厚く、歴代天皇が厄除け祈願のため勅使を下向させている。嘉禄2年(1226年)には土御門上皇が訪れた。徳島藩主の蜂須賀家から寺領を賜っている。

 現在の本堂は明治41年(1908年)に再建されたものである。

 境内からの眺望は、四国八十八景(19番)「一望する日和佐の町並み」として選定され、また、阿南室戸歴史文化道への指定、とくしま88景への選定を受けている。

 境内
 山門(仁王門)- 天保6年(1835年)建立。
 厄坂 - 女坂33段
 絵馬堂
 鐘楼
 本坊
 納経所
 方丈
 厄坂 - 男坂42段、
 本堂 - 拝殿と奥殿で奥殿は二重塔になっている。申し込めば堂内で参拝できる。
 大師堂
 肺大師(祠) - 本堂裏にあり、ラジウムを含み瑠璃の水と呼ばれ肺病などに効能があると伝わる。祠には大師石像が祀られ台座正面下部から常に霊水が流れ出している。

 鎮守堂 - 白山権現を祀る。
 地蔵堂
 十王堂
 厄除消除の鐘 - 大随求真言「オン バラバラ・サンバラ サンバラ・インジリヤ・ビシュダニ ウンウン・ロロシャレイ ソワカ」を唱えながら歳の数だけ鐘を鳴らす。
 魚籃観音立像 - 真言は「オン アロリキャ ソワカ」
 霊牌堂
 厄坂 - 還暦厄坂60段
 瑜祇塔 - 1963年(昭和38年)の建立[4]。宝形屋根をもつ宝塔形の塔。階下は戒壇めぐりで薬師三尊が祀られ、1階は五智如来を祀っていて展示室にもなっており美しい魚籃観音がいる。2階は展望台で見学は有料。
 句碑 - 松村ひさき「露けしと誰かが先にあるきだす」が大師堂の右前にある。
 文学碑 - 吉川英治文学碑が本堂に向かって左前にある。

 薬王寺  徳島県海部郡美波町奥河内字寺前285番地1

*Wikipedia より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする