いいもの見ぃ~つけた!

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< 郷土料理 > 山形 うこぎの切り和え

2024-04-13 08:48:21 | 郷土料理

 「うこぎの切り和え」

 主な伝承地域 置賜地域、米沢市

 主な使用食材 うこぎ、味噌、カツオ節

 歴史・由来・関連行事
 うこぎを細かく切って味噌と和える「切り和え」は、うこぎの垣根が最も多い置賜地域でよくおこなわれてきた調理方法。米沢藩9代藩主・上杉鷹山公がうこぎを家の垣根として植えることを推奨したとされていて、トゲのある枝がバラ線の役目をもち防犯になるうえ、春から初夏にかけて新芽が芽吹くと摘んだあとも次々と芽吹いて秋まで食べられる食材としても重宝された。
 また、平安時代から漢方の強壮剤としても利用されていたといわれており、滋養のある食材として知られていた。米沢市を中心とした置賜地域で食べられているのは「ひめうこぎ」という品種がほとんどで、トゲも少なく葉も柔らかい。
 うこぎには、独特の風味とほろ苦さがあり、「うこぎの切り和え」のほか、「うこぎご飯」や「うこぎの天ぷら」、「うこぎのおひたし」などがつくられ、食卓に春の訪れを告げる食材である。

 食習の機会や時季
 うこぎが最も美味しい時期は、春の芽吹いた柔らかい時期(5月ごろ)だが、生長がはやく、刈り取るとまたそこから新芽が出てくるので秋まで食べることができる。地元では、隣近所の垣根から食べる分だけ、摘ませてもらうこともある。

 飲食方法
 うこぎが持つほろ苦く、清涼感のある独特の風味は、多くの人を魅了している。うこぎの味を地元の方言で「きどい」と表現している。
 うこぎはゆでて、水にさらしておくとアクがぬけて美味しく食べられる。ゆでたうこぎに焼き味噌をのせ、細かく刻んだものを食べる。ふりかけのようにごはんにかけたり、単品で小鉢に盛り、酒の肴としても食べられている。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 地元の郷土料理を取り扱う飲食店では、旬の時期にうこぎ料理が振る舞われる。米沢市では、うこぎは歴史と伝統を持つ植物であり、小学校では次世代継承のために、鷹山公の話とともに給食で「うこぎご飯」などのうこぎ料理が出されている。学校に垣根を植えて、子どもたちが自ら摘んで準備することもある。
 米沢市内では、うこぎを推奨する「うこぎかき根の会」を発会。「うこぎかき根の会」では、機能性食品としてうこぎを研究をしている大学の先生と一緒に、新たな価値を見出しながら、食文化をつなげていく取組みをおこなっている。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/ukoginokiriae_yamagata.html より

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<B級ご当地グルメ> 北海道 塩ホルモン

2024-04-13 08:44:15 | B級ご当地グルメ

 「塩ホルモン」

 都道府県 北海道
 地域 旭川市
 推進団体 
 概要 「塩ホルモン」は、北海道旭川市が発祥のホルモン焼き。
 塩ベースの調味液で塩漬けにされた豚のホルモンを炭火を七輪などで焼いて食べる。

*https://b9navi.com/%e5%a1%a9%e3%83%9b%e3%83%ab%e3%83%a2%e3%83%b3/ より

 

 塩ホルモン(しおホルモン)とは、北海道旭川市が発祥のホルモン焼きの一種。塩ベースの調味液で塩漬けにされた豚のホルモン(内臓肉・腸)である。

 概要
 特に旭川市周辺で食べられることが多く、市内には数多くのホルモン専門店がある。一般の焼肉店でも供され、ジンギスカンと一緒に食べられることも多い。

 特徴
 塩味の調味料に漬け込んだ豚のホルモン(牛を用いることはない)。炭火を使い七輪などで焼いて食べることが一般的。店舗によっては、焼く時にガーリックパウダーをふりかけて味付けをすることもある。

 歴史・その他
 旭川市は昔から養豚業が盛んな地域であり、嵐山地区には養豚団地も存在する。塩ホルモン・豚トロの発祥地であるのも、養豚の歴史があったことが大きい。
 旭川市には、ホルモンをラーメンの上にトッピングした「モルメン」と呼ばれるラーメンを提供する外食店もある。また、塩ホルモンの他に、味噌ベースの調味液に漬け込んだ味噌ホルモンもある。
 ホルモンはそのまま焼いて食べる方法が一般的だが、野菜炒め・焼きそばの具材として利用する場合もある。
 近隣の上富良野町は、豚サガリの発祥地である。
 日本テレビ系列制作『秘密のケンミンSHOW』でも塩ホルモンが取り上げられ、全国放送された。

*Wikipedia より

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うまいッ! NHK「あまく肉厚!寒締めホウレン草~北海道・平取町~」

2024-04-13 08:27:15 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「あまく肉厚!寒締めホウレン草~北海道・平取町~」 2015年01月18日

 番組内容
 夏のホウレンソウの2倍以上、メロンに匹敵する10度以上の糖度を誇るのが、北海道平取町で冬場に収穫される寒締めホウレン草。寒さにさらされると凍結から身を守るために糖分を増す性質を利用し、根が凍る手前のギリギリの温度におくことであまさを際立たせている。寒さを感じると葉が肉厚になる性質もあるので、甘いだけでなくスポンジのような独特の食感も得られるのだ。そのおいしさのヒミツに迫っていく。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201501180615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 「寒締めホウレン草」

 冬限定の「寒締めホウレンソウ」-技術開発で創り出された新しい旬- 情報公開日:2013年11月28日 (木曜日)

 緑黄色野菜の代表格であるホウレンソウ。一年を通して供給されるようになりましたが旬は冬。今回は、真冬にスーパーなどの店頭で良く見かけるようになった「寒締め(かんじめ)ホウレンソウ」をご紹介します。

  冬の寒さに当たると、野菜の甘みが増すことは古くから知られています。農研機構東北農業研究センター(当時は東北農業試験場)は、北国の冬の寒さを利用してハウス内で糖度やビタミン含量の高い野菜を作る技術(寒締め)を開発しました。この技術はホウレンソウ栽培で最も広がっています。

 栽培方法は次のとおりです。寒さで生長が止まる初冬前に、ハウス内で出荷サイズまで生長させます。外気温が5°C程度を割るようになったらハウスの側窓を開放し、冷気にあてます。こうすると、ホウレンソウの場合2週間程度で糖度やビタミン含量が高くなります。また、冷気にさらすと生長が止まるので、長期にわたって出荷できるメリットもあります。東北で生まれた寒締め栽培は、北海道、北陸、関東、高冷地などに広がり、今では全国各地に産地がみられるようになりましたが、本来は寒さのとりわけ厳しい地域に適した栽培方法です。

 ビタミンC、カロテン、鉄、葉酸、ルテインなど体が必要とする多様な成分を含むホウレンソウ。「寒締めホウレンソウ」では、通常の栽培方法とくらべ、栄養価が高まり、食味も向上すると言われています。一見、ごつごつした感じの厚みのある葉は不格好に見えます。しかし、調理すると、甘く、えぐみが少ないのが特徴です。冬しか食べられない「寒締めホウレンソウ」。出回りは12月~2月頃です。技術開発で創り出された新しい旬を、是非ご賞味あれ。

*農研機構HP より


 「びらとり寒締めほうれん草」 2013.01.28

 日高振興局地域政策課です。

 日高管内平取町(びらとりちょう)の『寒締め(かんじめ)ほうれん草』をご紹介します♪

 『寒締めほうれん草』は、もともと東北地方で栽培が始まった冬の野菜。

 秋に種を撒き、ビニールハウスで大きくなるまで育てます。
 ある程度成長すると、ビニールハウスのドアを開けて寒気にさらして成長を止めます。

 寒さで葉が凍らないように縮みながら糖分を蓄えるので、甘くておいしいホウレン草になります。

 ほうれん草が寒さに耐えるために葉に糖などを蓄える性質を利用して、冬の冷たい空気に触れさせることで、通常のほうれん草よりも甘いのが特徴。
 糖度8度以上にならないと出荷ができません。

 しゃぶしゃぶにすると甘さが良く引き立って旨いっ♪

 ダシ汁に数回くぐらせていただきま~すぺろり

 平取町内のAコープで購入できるほか、札幌にも出荷されていますよ~。

*https://plaza.rakuten.co.jp/machi01hokkaido/diary/201301280005/ より

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<伝統野菜> 宮崎 黒皮かぼちゃ

2024-04-13 08:17:15 | 伝統野菜

 「黒皮かぼちゃ」

 伝統野菜「黒皮かぼちゃ」は他と何が違うのか
 このかぼちゃは普通のかぼちゃではない SHUN GATE編集部-当記事は「SHUN GATE(運営:凸版印刷)」からの転載記事です 2017/05/31 17:00

 温暖な気候に恵まれ、日照時間が全国トップクラスの宮崎県で、日光をたっぷり浴びて育つ特産物、「黒皮かぼちゃ」。別名「日向かぼちゃ」とも呼ばれており、黒く艶やかな皮が印象的な、日本かぼちゃを象徴する品種だ。西洋かぼちゃとは違った独特の食感と味わいから、京都を中心に日本料理の最高級食材として重宝されてきた。

 10人の生産者でつなぐ伝統と技

 日照時間の長い宮崎県で、古くから盛んに行われていたかぼちゃの栽培。1542年にポルトガルから持ち込まれたのが、その始まりとされている。現在では西洋かぼちゃが主流になったことで、日本かぼちゃの生産地は国内でも数えるほどまでに減少。地元に伝わる民謡にも登場するほど歴史ある伝統野菜の「黒皮かぼちゃ」も、宮崎県内で生産する農家はいまでは25人(2017年3月現在)のみとなり、川南町、宮崎市・生目(いきめ)を中心に生産されている。そのなかでも立体栽培をてがけているのは、生目地区の10名(2017年3月現在)となっている。

 「黒皮かぼちゃ」を食べると、驚くのがその味わいだ。我々が慣れ親しんでいる西洋かぼちゃといえば、お菓子作りに使えるほどまったりと甘く、ホロホロと柔らかいのが特徴。一方「黒皮かぼちゃ」はさっぱりとした味わいで、粘質な果肉は煮物にしても煮崩れないほど。それでいて、いざ食べてみると舌触りはとろけるようになめらかで、皮の部分まで美味しく食べることができるのだ。

 どんな味付けや調理法にも合うということで、様々な料理に活用できるのが「黒皮かぼちゃ」の魅力。また、ごつごつと盛り上がった表皮にくっきりと縦線が刻まれていて、小ぶりでコロンとした形も愛らしい。見た目にも味わいにも、どこか“和”の奥ゆかしさを感じさせる上品なかぼちゃなのだ。

 白い粉ふきが“完熟”の証拠

 生目で20年間「黒皮かぼちゃ」を生産している富永信行さんは、冬でも日照時間の長い宮崎県の気候を活かし、冬から春にかけて「黒皮かぼちゃ」をハウス栽培している。気温30℃にもなるハウスの中に整列した約1800本もあるというツルを見渡すと、黒くてまん丸な「黒皮かぼちゃ」が枝もたわわに実っていた。

 葉は日の光をたっぷり浴びようと、天に向かって大きく広がっている。富永さんの一日は、毎朝一番に開く元気な状態の雌花に、雄花の花粉を付けて交配させて回ることから始まる。一つひとつ手作業なので、なかなか骨の折れる作業だ。富永さんが20年かけて作り上げた土は粘土質で、「固相」・「液相」・「気相」のベストなバランスを保っている。粘り気のある土のほうが、かぼちゃがよく根を張るのだという。

 かぼちゃは“地這い栽培”という地面にツルを這わせる栽培方法が一般的だが、ハウスで育てる「黒皮かぼちゃ」は支柱を立ててツルを縦に伸ばしていく“立体栽培”が主流。こうすることでより効率的に、より美しい見た目のかぼちゃに育てることができる。

 「10月に苗を定植してじっくり育て、ちょうど12月の冬至の頃にできる一番果から始まって、6月ごろの六番果まで収穫します。だから一つの苗から1シーズンに穫れるかぼちゃは6個くらい。宮崎は日照時間が長いので、葉がたくさん光合成をして栄養をたっぷり含んだ『黒皮かぼちゃ』をつくることができるんです」と富永さん。

 美味しい「黒皮かぼちゃ」を作るために一番大切なのが、収穫の時期をしっかりと見極めること。完熟具合を示すのは、果実を保護するために生じる「ブルーム」と呼ばれる白い粉だ。

 「収穫時期の目安はこれ、皮の表面に白い粉がついているでしょう? 真っ黒ではなく、少し白っぽく粉をふいているのが完熟の証なんです。それから、ツルと実をつなぐ境目の果梗(かこう)という部分の色が黄色くなっていること。緑色のものは収穫するにはまだ早い。あとは、完熟したかぼちゃは触ると皮がツルッとするんです。長年つくっていると、触っただけでわかるようになってきます」。

 実際に一つ収穫してもらうと、切り口からじわっと玉のような水が染み出してきた。

 富永さんが「生命力やね」と言うとおり、かぼちゃがツルを通して土からしっかりと水分を吸収して、大きく実っているなによりの証拠だ。

 地元の伝統野菜を守り続けたい

 富永さんの奥さんが手製の「黒皮かぼちゃ」のオリーブオイル焼きと煮物を用意してくれた。食べた瞬間はしっかりしているのに、噛むほどにきめ細かい果肉が絹のようにほどけていく。シンプルな味付けがよく染み込んで、「黒皮かぼちゃ」の上品な甘みと味わいを引き立たせてくれている。

 「黒皮かぼちゃの味わいが一番よくわかるのは、やっぱり煮物。これからの時期はタケノコが美味しいから、一緒に煮付けるのもいいよ。うちでは味噌汁の具にもするし、冬はおでんに入れたりね。煮崩れないから、おでんに入れても大丈夫なんです」と富永さんは自慢のかぼちゃの食べ方を教えてくれた。

 生目で生まれ育った富永さんは、20年前にサラリーマンを辞めて「黒皮かぼちゃ」を作り始めた。そこには伝統野菜を、残していきたいという想いがあったという。

 「宮崎にしかない野菜だもんね。収量が多くないのでつくるのは大変ですが、守っていきたいなと思っています。いまは関西への出荷が多いですが、今後は関東の人にもこの味わいを知ってもらえたら。大事に育てて、収穫する瞬間が一番楽しいです」と笑う富永さん。

 宮崎が誇る伝統野菜「黒皮かぼちゃ」。これまで知っていたかぼちゃとはまったく違う味わいを、一度体験してみてほしい。

 (Writer : ASAKO INOUE / Photographer : YUTA SUZUKI)

*https://toyokeizai.net/articles/-/173549 より

 

 「日向黒皮南瓜-ひゅうがくろかわかぼちゃ」

 【生産地】宮崎市生目地区 他

 【特徴】日本かぼちゃの一種。果皮は黒緑色で縦溝があり、果面にこぶがあるのが特徴である。この深い溝のあるゴツゴツとした形を菊の花に見立てて、「菊かぼちゃ」とも呼ばれる。

 【食味】ホクホクとした食感。甘みの強い西洋かぼちゃとは違い、肉質は粘質でねっとりとしており、煮くずれしにくいのが特徴。完熟したものはきめの細かい粘質がかった味が良い。

 【料理】日本料理の煮物に適している。高級料理に用いられる。

 【来歴】来歴は、1895(明治28)年頃に、宮崎市で傾斜地利用のキュウリ栽培を行った記録があり、「その当時、わずかながらカボチャが栽培されていた模様である」と記されているが定かではない。1907(明治40)年に徳島県から移住した人々がキュウリやナス、カボチャの育苗、早出し栽培を行うようになったと言われている。当初、品種は「大ちりめん種」が主体であった。1924(大正13)年に千葉から黒皮種を導入し、現在の日向かぼちゃの基礎をつくる。1924(昭和2)年には日向名物のカボチャを阪神方面で大宣伝を行い、以後「日向名物のカボチャ」として全国に知られるようになった。昭和初期から黄金時代を築いてきた日向カボチャだが、生産量は年々減少している。

 【時期】12月~6月頃

*https://tradveggie.or.jp/45-miyazaki/#i-14 より

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<料理用語-和食> 串打ち

2024-04-13 08:12:46 | 料理用語

 「串打ち」

 主に焼き物にする材料に金串を刺すこと。

 串揚げや焼き鳥、田楽、団子など木串を打つ場合は「串刺し」「串打ち」兼用に使うが、金串は必ず「打つ」と言う。

 串を打って材料を焼くと、手元で動かせるため取り扱いが便利であり、熱の回り方も丁度良く、なにより材料が崩れることがないので美しく焼きあげる事ができる。

 串の打ち方は、おどり串、扇打ち、波打ち、並べ打ち、たすき打ち、一本打ち、つま折、わらび串、格子打ち、反り打ちなど10種類以上もあり、家庭の料理と料理屋が作る料理を大きく隔てているのは「串を打って焼く焼物」なので、きちんと串を打って焼くべきであろう。

*https://temaeita.net/top/t2/kj/7_E/010.html より

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<異名-人物> 和製チャーチル/ワンマン宰相

2024-04-13 08:09:49 | 異名

 「和製チャーチル/ワンマン宰相 吉田茂」

 吉田 茂(よしだ しげる、1878年〈明治11年〉9月22日 - 1967年〈昭和42年〉10月20日)は、日本の外交官、政治家。位階は従一位。勲等は大勲位。旧姓・竹内。

 内閣総理大臣(ないかくそうりだいじん)(第45・48・49・50・51代)、外務大臣(第73・74・75・78・79代)、農林大臣(第5代)、第一復員大臣(第2代)、第二復員大臣(第2代)、衆議院議員(7期)、貴族院議員(勅選議員)、皇學館大学総長(初代)、二松学舎大学舎長(第5代)を歴任した。

 東久邇宮内閣や幣原内閣で外務大臣を務めたのち、内閣総理大臣に就任し、1946年5月22日から1947年5月24日、及び1948年10月15日から1954年12月10日まで在任した。

 優れた政治感覚と強いリーダーシップで戦後の混乱期にあった日本を盛り立て、戦後日本の礎を築いた。ふくよかな風貌と、葉巻をこよなく愛したことから「和製チャーチル」とも呼ばれた。戦後に内閣総理大臣を一旦退任した後で再登板した例は、吉田と安倍晋三の2人のみである。

 政治活動以外の公的活動としては、廃止された神宮皇學館大學の復興運動に取り組み、新制大学として新たに設置された皇學館大学において総長に就任した。また、二松学舎では、金子堅太郎の後任として学校法人の理事長にあたる舎長に就任した。

 なお、内務官僚を経て貴族院議員となり、米内内閣の厚生大臣や小磯内閣の軍需大臣を務めた吉田茂は、同時代の同姓同名の別人で、当時からよく間違えられた。

*Wikipedia より

 吉田学校・ワンマン体制
 自由党入党・総裁就任後の吉田は、政党政治家の多い自由党内で自らの地歩を築く必要があった。そこで、官僚出身者を中心とした吉田学校と呼ばれる集団を形成した。1949年(昭和24年)の第24回総選挙で当選した議員が吉田学校の主要メンバーとなり、広川弘禅や大野伴睦らのベテラン政党政治家を組み合わせて党内を掌握し「ワンマン体制」を確立した。吉田学校の主な人物として、佐藤栄作・池田勇人・田中角栄・大平正芳がいる。彼らは戦後保守政権の中核を担うこととなり、保守本流を形成することになる。

*Wikipedia より

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<難読漢字-魚> 真魚鰹

2024-04-13 07:56:17 | 難読漢字

 「真魚鰹 まながつお」

 マナガツオ(真魚鰹、真名鰹、鯧、学名:Pampus punctatissimus)は、マナガツオ科の海水魚の一種である。

*Wikipedia より

 由来・語源 関東ではほとんど水揚げがなく、当然呼び名はなく、当時(明治期)、東京市場には西日本から入荷してきたものを、西日本で広く使われていた呼び名のまま「まながつほ」と呼んでいた。「まな」という地域も多いが、これは明らかに「真魚」であり、非常にうまい魚という意味だと思う。ここになぜ「かつお」がついたのか? 謎である。
〈まながつほ 東京市場〉『帝国博物館天産部魚類標本目録.帝国博物館』(石川千代松・松浦歓一郎 1897/明治30年)
〈マナガツオは何處でもマナガツオと言ってゐるが〉。『魚』(田中茂穂 創元社 1945)
 真似鰹 カツオのいない瀬戸内海などでカツオがとれないので、初夏にとれる本種を「カツオに見立てた」ところから。「真似鰹(まねがつお)」から転訛したもの。
 鯧魚 〈マナガツヲ マナガタ〉。「マナガタ」は真菜刀(まながたな/幅広の包丁)ともとれなくはないが、よくはわからない。『本朝食鑑』(人見必大 島田勇雄 訳注 1697)・『本草綱目啓蒙』(小野蘭山 東洋文庫 平凡社 文政12 1829)
 真魚(まな)と鰹 「真魚」はとりわけ味のいい魚という意味。「鰹」は近畿地方の、魚貝類の供給地である瀬戸内海にカツオがいなかったために、本種をカツオと呼んでいたため。

*https://www.zukan-bouz.com/syu/%E3%83%9E%E3%83%8A%E3%82%AC%E3%83%84%E3%82%AA より

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<慣用句・諺> 力に余る など

2024-04-13 07:49:44 | 慣用句・諺

 「力に余る」

 自分の力以上のことである。手に負えない。力が及ばない。

 

 「力にする」

 頼りとする。よりどころにする。

 

 「力になる」

 1 人のために骨を折る。助力する。

 2 頼りになる。

 

 「力山を抜き気は世を蓋う-ちからやまをぬききはよをおおう」

 《「史記」項羽本紀から。漢の劉邦に垓下で包囲されたとき、絶望した楚の項羽がうたった詩の一節》山を抜き取るほど力が強く、世を圧倒するほど気力が盛んである。抜山蓋世 (ばつざんがいせい) 。

 

 「地から湧く」

 今まで影も形もなかったものが突然現れる。

 

*goo辞書 より

 

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<日本酒メーカー> 秋田 金紋秋田酒造

2024-04-13 07:39:09 | 日本酒

 「金紋秋田酒造」

 金紋秋田酒造株式会社 (きんもんあきたしゅぞう) は、秋田県の清酒製造業を行う日本の酒蔵である。日本酒の長期熟成酒を使った商品開発に特徴がある。

 沿革
 1936年 - 秋田富士酒造店として創業。
 1973年 - 金紋秋田酒造株式会社設立。
 2009年 - IWC(インターナショナルワインチャレンジ)2009にて「山吹1995」が日本酒部門の最高賞であるチャンピオンサケを受賞。
 2010年 - IWC2010にて「山吹ゴールド」、「山吹プレミアム」がブロンズメダルを受賞。
 2011年 - IWC2011にて「山吹ゴールド」がゴールドメダル、「山吹1994」がシルバーメダルを受賞(いずれも古酒部門)。

 金紋秋田酒造 株式会社 秋田県大仙市藤木字西八圭34-2

*Wikipedia より

 代表銘柄

熟成酒 山吹ゴールド / VINTAGE SAKE YAMABUKI GOLD

「山吹ゴールド」10年の熟成日本酒をベースに最長18年ものをブレンドして製造された熟成日本酒。癖がなく、柔らかな旨みの中に香辛料系のスパイシーさを感じられる、余韻の長いお酒。 毎年ロンドンで開催される世界最高峰のお酒の大会、インターナショナルワインチャレンジ(IWC)で金賞6度受賞を誇る、金紋秋田酒造を代表するお酒です。

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<四国八十八箇所> 第13番札所 大日寺

2024-04-13 07:30:04 | 巡礼

 「大日寺」

 大日寺(だいにちじ)は、徳島県徳島市一宮町に位置する真言宗大覚寺派の寺院。大栗山(おおぐりざん)、花蔵院(けぞういん)と号す。宗派は、本尊は十一面観音菩薩。四国八十八箇所第十三番札所、四国三十三観音霊場第五番札所。

 本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
 ご詠歌:阿波の国一の宮とはゆうだすき かけて頼(たの)めやこの世のちの世
 納経印:当寺本尊、新奥之院・國中寺、四国三十三観音霊場
 歴史
 寺伝によれば、815年(弘仁6年)に空海がこの付近にある「大師が森」で護摩修行をしていると大日如来が現れてこの地が霊地であるから一寺を建立せよと告げた。そこでその大日如来の姿を刻み、堂宇を建立して本尊として安置し「大日寺」と称したという。

 元は國中寺の場所にあり、船盡社(船盡神社・船盡比賣神社)の別当寺であった。

 その後、伝承では平安時代末期に、阿波一宮が神山町の上一宮大粟神社にあるのでは不便ということで当地に分詞され阿波一宮神社が造られると当寺はその別当寺となった。一宮神社の別当だった神宮寺が廃絶したため、現在の所に移り一宮神社の別当寺になったとされる。

 南北朝時代に、一宮神社の東の144.3mの山の頂近くに一宮城が造られ、その城主であった一宮氏が当神社を深く崇敬し大宮司を兼ねる関係であったため、その後の天正年間(1573年 - 1592年)に長宗我部元親の兵火によって一帯がすべて焼失し一宮氏は没落したが、江戸時代初期、徳島藩3代藩主になった蜂須賀光隆も当神社を崇敬し、当神社と当寺を再建した。

 また、いつの頃か、当神社が札所になると当寺は納経所として、「本尊大日如来 一宮大明神 大栗山大日寺」と記帳するようになり、一宮寺とも呼ばれるようになっていた。

 明治初期の神仏分離によって、当神社の本地仏であった行基作[注釈 2]といわれる十一面観音を当寺の本堂に本尊として移され、それまでの本尊大日如来は向かって右の厨子に秘仏の脇仏とされ、当寺は神社の別当ではなくなった。

 2008年(平成20年)には韓国の伝統舞踊家である金昴先が住職に就任し、四国八十八カ所で唯一の外国籍の住職となった。

 境内
 山門(薬医門):以前は石柱門だけであったが平成になって四脚門が新築された。
 本堂:本尊十一面観音は秘仏であったが、2014年以降、拝顔できるようになった。向かって右脇陣に青面金剛、同左脇陣に阿弥陀如来立像。また、四国三十三観音の観音立像と大師像が同右側に置かれている。
 大師堂:拝顔できる(不定期)
 地蔵堂祠
 しあわせ観音:合掌している手を模した中に観音像が入っている。
 鐘楼
 県道に面した山門を入ると向かいにしあわせ観音が見える。しあわせ観音を背にして右手に手水場があり、左に大師堂が建つ。右奥に入っていくと大師堂と向き合う形で本堂があり、その左手に地蔵堂がある。納経所はしあわせ観音の後にある。

 宿坊:定員150名
 駐車場:無料が遠くに15台。境内の近くに有料あり。

 大日寺 徳島県徳島市一宮町西丁263

*Wikipedia より

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