いいもの見ぃ~つけた!

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< 郷土料理 > 山形 塩引きずし

2024-04-01 08:48:21 | 郷土料理

 「塩引きずし」

 主な伝承地域 米沢市

 主な使用食材 サケ、すし飯

 歴史・由来・関連行事
 ハレの日の郷土料理として伝承されている「塩引きずし」は米沢市の発祥。サケを塩漬けにしたものを使った押しずしで、昔は鮮魚が手に入らなかった内陸の米沢市でもつくることができたたすし。サケの赤色とすし飯の白色が紅白の彩りになることから、結婚式など祝いの席に出される料理としてつくられた。
 米沢市周辺は、山に囲まれた盆地ということもあり、輸送機関が発達していない時代は、鮮度の良い海産物を食べる機会がめったになっかた。魚といえばコイや川魚などの淡水魚か、棒ダラや身欠きニシン、そして塩引きザケなどの加工品がほとんどであったが、ごちそうには変わりなかった。
 一般的には魚を塩漬けしたものを塩引きというが、米沢市で塩引きというと、サケの塩漬けを指す。塩引きザケは昔から馴染みのある食材であり、年末年始には魚屋の店先に1尾の「新巻鮭(白サケの塩引き)」が何本もつるされ贈答に使われたものだが、最近は減っている。昭和初期のころはこの「新巻鮭」と色のきれいな「本紅鮭」をすし用に使っていたが、「本紅鮭」は非常に高価だったため、一般的には「新巻鮭」を用いていた。近年でも油と塩気の丁度良い国産の「本紅鮭」が手に入りにくくなり、油分の多い外国産のものも用いるようになっている。
 昔は一個ずつ押しずしにする木枠を使っていたが、現在は大きな型を使って押し抜いたものを切ることもある。昔ながらの木枠は、地元でもほとんど残っていないという。

 食習の機会や時季
 「塩引きずし」は、紅白の色合いがおめでたいということで祝いの席には必ず準備した料理であり、現在でも、ハレの席には出されることが多い。また、すし屋や郷土料理を出す店などでも注文するとつくってくれるところがあり、いつでも食べられる。

 飲食方法
 塩引きザケは塩辛いので2mm程度に薄くスライスし、すし飯(酢飯)と一緒に木枠に入れて押しずしにして仕上げる。サケに塩が効いているので、醤油などは付けずにそのまま食べる。日本酒との相性も良い。
 家庭でつくるときは塩ザケを薄く切る工程が大変なので、一旦凍らせたあと、半解凍状態のときに切ると良い。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 戦後、一時期衰退したが、近年は再び食べられるようになったという。祝い膳に限らず、料亭や郷土料理店などでも取り扱われており、接待の席や会食などでも登場する。家庭でつくることもあるが、すし屋やスーパーマーケットなどで販売されている。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/shiobikisushi_yamagata.html より

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<伝統野菜> 大分 椎茸

2024-04-01 08:44:12 | 伝統野菜

 「椎茸」

 【生産地】国東半島宇佐地域(豊後高田市、杵築市、宇佐市、国東市、姫島村、日出町)

 【特徴】大分県では現在も原木椎茸の栽培が盛んに行われている。干し椎茸は国内生産の48%を大分県が占めている。

 【食味】肉厚で濃厚な香りが特徴。

 【料理】焼き物、煮物、炒め物。揚げ物など幅広い料理に利用。

 【来歴】椎茸の日本での人工栽培が始まったのは、1600年代中頃(17世紀)頃、現在の大分県津久見市である豊後国の千恕(ちぬ)の浦の炭焼き源兵衛(げんべえ)が、切り捨てた楢(なら)の朽ちた木に、多数の椎茸が発生しているのを発見したのが最初だという説がある。現在、原木椎茸を栽培している国東半島宇佐地域は、豊かな農林産物と生態系をもたらすクヌギ林とため池による循環型農林業が認められ、世界農業遺産に認定された。

 【時期】10月中旬頃~4月

*https://tradveggie.or.jp/44-ooita/#i-11 より

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<B級ご当地グルメ> 北海道 室蘭ラーメン

2024-04-01 08:40:06 | B級ご当地グルメ

 「室蘭ラーメン」

 都道府県 北海道
 地域 室蘭市
 推進団体 
 概要 
 室蘭ラーメンは北海道室蘭市のご当地ラーメン

 従来からの醤油ラーメンと近年のカレーラーメンがあります。

 醤油ラーメンは地元特産の根昆布と鰹節をベースにした醤油味に、太めの縮れ麺を用いたもので、味は淡泊。

 カレーラーメンは、縮れ麺にチャーシュー野菜やワカメなどたくさんの具材が特徴となっています。

*https://b9navi.com/%e5%ae%a4%e8%98%ad%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a1%e3%83%b3%ef%bc%88%e5%ae%a4%e8%98%ad%e5%b8%82%ef%bc%89-2/ より

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うまいッ! NHK「甘さにコクあり!黒枝豆~兵庫・篠山市~」

2024-04-01 08:28:54 | うまいッ!NHK

うまいッ!「甘さにコクあり!黒枝豆~兵庫・篠山市~」 2014年10月19日

 番組内容
 地域限定の“ブランド枝豆”が売り上げを伸ばしている。代表格が兵庫県篠山市などで作られる「黒枝豆」。通常の枝豆の2倍以上の大きさ、甘味が強く、うまみもたっぷり。実は黒枝豆、江戸時代から「丹波の黒豆」として珍重されてきた黒豆を、未成熟の段階で収穫したもの。ゆでてビールのつまみにだけでなく、黒枝豆ご飯、お汁粉にしても絶品。さらにはイタリア料理にも。生産者の愛情と独特な風土が作るおいしさの秘密に迫る。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201410190615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 「黒枝豆」

 黒豆(くろまめ)は、ダイズの品種のひとつ。黒大豆(くろだいず)、ぶどう豆とも呼ぶ。

 概要

 種皮にアントシアニン系の色素を含むため、完熟した豆の外見は黒色を呈する。栄養成分的には通常のダイズと同等である。

 概ね7月初旬に種を植え付け8月ごろに品種により異なる薄桃色・薄紫色・白色の花を咲かせ、9月~10月頃に莢に実をつける。だんだんと実が黒く色づき、中生種では10月上旬から11月上旬、晩生種では11月中旬から12月上旬に収穫される。最近では、実が黒く色づく手前の10月ごろに収穫される枝豆に人気がある。

 豆の大きい丹波産の場合、10月1週目から4週目が一般的な収穫時期となる。生産地域は兵庫県丹波篠山市周辺、または京都府京丹波町周辺の山間にあり、成長時期の夏場は日中は大変に蒸し暑く、夜は大変冷え込むという昼夜の寒暖差が大きく霧も多く発生する地域で夕立などでの雨量も適度にあることから、その風土と肥えた土壌により良質の黒豆ができる環境にあるとされる。但し、同じ畑での連作は土壌の栄養分が乏しくなり黒豆の生育に影響を与えてしまうことから黒豆を生産した畑の翌年は米の生産を行うなどして輪作する農家が多い。

*Wikipedia より

 里を代表する秋の風味 丹波篠山黒枝豆

 丹波黒大豆が成熟して黒豆になる前の青く若い枝豆が丹波黒枝豆です。一般に出回っている枝豆とは一味違い、特有の深い甘味とコクがあります。ご賞味いただける期間がごく短く限られており、丹波篠山の秋の味覚として珍重されています。

*https://www.ja-tanbasasayama.or.jp/brand/ より

 

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<異名-人物> 鈴屋大人

2024-04-01 08:10:58 | 異名

 「鈴屋大人 本居宣長」

 本居 宣長(もとおり のりなが、享保15年5月7日(1730年6月21日) - 享和元年9月29日(1801年11月5日))は、江戸時代の国学者(文献学・言語学)、医師。名は栄貞。本姓は平氏。通称は、はじめ弥四郎、のち健蔵。号は芝蘭、瞬庵、春庵。自宅の鈴屋(すずのや)にて門人を集め講義をしたことから鈴屋大人(すずのやのうし)と呼ばれた。また、荷田春満、賀茂真淵、平田篤胤とともに「国学の四大人(しうし)」の一人とされる。伊勢松坂の豪商・小津家の出身である。

*Wikipedia より

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<料理用語-和食> 銀簾

2024-04-01 07:53:14 | 料理用語

 「銀簾-ぎんす」

 ガラス製の棒を天蚕糸(てぐす)で編んだスダレ。
 「ぎんすだれ」とも言う。

 夏場のお造りである「洗い」などに使う。
 器の中敷きにし、その上に氷をのせて刺身を盛り、けんやつまをあしらう。

 また、氷鉢や、深い向付などの中敷きすることもある。

*https://temaeitamae.jp/top/t2/kj/6_G/059.html より

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<難読漢字-魚> 馬鹿貝

2024-04-01 07:50:31 | 難読漢字

 「馬鹿貝 ばかがい」

 バカガイ(破家蛤、馬珂蛤、バカ貝、馬鹿貝、学名:Mactra chinensis)は、異歯亜綱- バカガイ上科- バカガイ科- バカガイ属(学名:Mactra)に分類される二枚貝の一種(1種)。東南アジアから東アジア南部にかけての浅海に分布する。ミナトガイ、シオフキガイ、また地方によってはウバガイとも呼ばれる。

 関東地方では、アサリやハマグリなどと並んで食用としてなじみ深い貝であり、日本語では、「食用加工品となった状態の軟体部位全体」を指して、『青柳(あおやぎ、アオヤギ)』とも呼ぶ(生物の名前ではない)。季語、三春。

 和名の「バカガイ」の名の由来については諸説ある。

 外見はハマグリに似ているものの、貝殻が薄く壊れやすいことから「破家貝」として名付けられたとする説
 いつも貝の口をあけてオレンジ色をした斧足(ふそく、筋肉による足)を出している姿が、あたかも口を開けて舌を出している「馬鹿」な者のように見えたとする説
 一度に大量に漁獲されることがあるので、「『バカ』に(「非常に、凄く」の意)多く獲れる貝」の意でその名が付いたとの説
 たくさん獲れた地域の名「馬加(まくわり)」(現在の幕張)を「バカ」と音読みし、「バカ貝」と呼ばれるようになったとする説
 馬鹿がハマグリと勘違いして喜ぶ様から馬鹿が喜ぶ貝という意味であるとする説
 蓋を閉じずに陸に打ち上げられて鳥に食べられてしまうことなどの行動から「バカ貝」と呼ばれるようになったとする説。

 頻繁に場所を変える「場替え貝」から来ているとする説

*Wikipedia より

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<慣用句・諺> 大恩は報ぜず など

2024-04-01 07:44:43 | 慣用句・諺

 「大恩は報ぜず-だいおんはほうぜず」

 小さな恩義は負い目に感じるが、あまりに大きすぎる恩義はかえって気づかず、それに報いようともしないものだ。

 

 「大吉は凶に還る」

 それ以上の吉がないところから、かえって凶に近づくということ。

 

 「大工の掘っ建て」

 人のために立派な家を建てる大工が、粗末な掘っ建て小屋に住んでいる。他人の世話ばかりしていて、自分のことに無関心であったり、手が回らなかったりすることのたとえ。

 

 「乃公出でずんば-だいこういでずんば」

 他の者に何ができるのか、我が輩が出なければならないの意。自信を表す言葉。

 

 「台座後光を仕舞う-だいざごこうをしまう」 

 《仏像から台座と後光とを取り去ると威厳がなくなってしまうところから》面目・地位などを失う。また、生命を失う。

 

*goo辞書 より

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<四国八十八箇所> 第1番札所 霊山寺

2024-04-01 07:16:16 | 巡礼

 「霊山寺」

 霊山寺(りょうぜんじ)は徳島県鳴門市にある高野山真言宗の寺院。山号は竺和山(じくわさん)、院号は一乗院(いちじょういん)と号す。本尊は釈迦如来。四国八十八箇所第一番札所。とくしま88景に選定されている。2015年4月24日、当寺は「四国遍路」-回遊型巡礼路と独自の巡礼文化- の構成文化財として、日本遺産に認定されており、四国八十八箇所の88の寺院と阿波遍路道・土佐遍路道・伊予遍路道・讃岐遍路道で構成された文化財の一つである。

 本尊真言:のうまくさんまんだ ぼだなん ばく
 ご詠歌:霊山(りょうぜん)の 釈迦のみ前にめぐりきて よろずの罪も 消えうせにけり
 歴史
 寺伝によれば奈良時代、天平年間(729年 – 749年)に聖武天皇の勅願により、行基によって開創された。

 弘仁6年(815年)に空海(弘法大師)がここを訪れ、21日間(三七日)留まって修行したという。その際、天竺(インド)の霊鷲山で釈迦が仏法を説いている姿に似た様子を感得し天竺の霊山である霊鷲山を日本、すなわち和の国に移すとの意味から竺和山霊山寺と名付け、持仏の釈迦如来を納め霊場開創祈願をしたという。その白鳳時代の身丈三寸の釈迦誕生仏が残っている。また、本堂の奥殿に鎮座する秘仏の釈迦如来は空海作の伝承を有し、左手に玉を持った坐像であり、2014年(平成26年)に4か月間開帳された。

 室町時代には三好氏の庇護を受けており、七堂伽藍の並ぶ大寺院として阿波三大坊の一つとして栄えたが、天正10年(1582年)に長宗我部元親の兵火に焼かれた。その後徳島藩主蜂須賀光隆によってようやく再興されたが1891年(明治24年)の出火で、本堂と多宝塔以外を再び焼失したが、その後の努力で往時の姿を取り戻し第1番札所としてふさわしい景観になっている。

 札所番号
 寺伝その他の言い伝えでは空海が弘仁6年(815年)に四国霊場を開き、札所と札所番号を定めたことになっているが、これは史実ではない。四国は奈良時代から山岳信仰(後の修験道)の修行地で、空海も唐に渡る前には私度僧として修行のために故郷でもある四国で修行をしたが、唐から戻って後、特定の八十八箇寺を札所として定めたことはなく、後の人々が空海ゆかりの寺々を霊場に定めたものと推定される。実在の人物としての空海は、弘仁年間には都で密教の普及に努めていた。

 江戸時代に入り庶民による霊場巡礼が盛んになると、四国を修行した僧などが案内書を出版するようになる。そのうちの一人である真念が「四国遍路道指南(しこくへんろみちしるべ)」を貞享4年(1687年)に出版した。現存する書物の中で、各寺に札所番号を記したのはこの本が最も古いとされている。当時大坂から四国へ渡るには淡路島を経由し鳴門から四国入りするルートがあり、鳴門の撫養(むや)の港に最も近い霊山寺を第1番札所としたと推測される。なお、その本の出版より34年前に巡拝した澄禅は「四国遍路日記」に、すでに当時の阿波国の中心は吉野川の北岸から南岸に移っていて、和歌山から徳島城の近くに上陸すると井戸寺がいちばん近い札所寺になっていたにもかかわらず、霊山寺から始めるのが通例であると書かれていることから、真念より以前すでに番号が付いていた可能性も否定できない。だが、真念の出版の2年後に出された真念と親交のあった寂本の「四國徧禮霊場記」には番号は記されて無くしかも善通寺から始まっている。また真念より約10年後に出された「奉納四国中遍路之日記」は霊山寺から始まりほぼ同じ順番であるが、この日記で現在と順番が違っている部分は、59国分寺 → 62一の宮 → 61香園寺 → 60横峰寺 → 64石づち山 → 63吉祥寺 → 65三角寺と記されているが、番号は記されてない。

 境内

 本堂 - 拝殿に奥殿が増築された構造で、拝殿の中央天井には龍が描かれ多くの吊り灯篭が下がっている。拝殿右隅上には地蔵菩薩三尊像が、左隅には釈迦像、その上には赤い賓頭盧尊者坐像(向かって左)とその右に修行大師姿の納札大師(のうさつだいし)[3]がいる。拝殿と奥殿の繋ぎ部分は団体専用予約席になっていて、その天井には星座が光る。秘仏本尊の厨子の前には仏舎利を納めた小厨子がある。
 大師堂 - 全身漆黒の大師像が拝顔できる。
 多宝塔 - 五智如来像を安置している。応永年間(1394年 – 1428年)の建造。
 十三仏堂 - 不動明王堂に続く十二仏堂。
 紀州接待所 - 紀州有田接待講が文政元年(1828年)より衰退期もあったが現在まで行われている。今は春の4日間のみ。山門を入ってすぐ右にある。
 縁結び観音立像(石像):山門を入って左の手水舎の背後に立ち、水かけ観音として様々な縁にご利益がある。
 鐘楼堂
 大池 - 鯉が泳ぐ極楽を象った放生池(ほうじょうち)で大師堂の前にあり橋がかかっていて、池の中の6体の童子が地蔵菩薩を祈る。
 小池 - 小さい滝がある泉水(しみず)池で大師堂に向かって左にあり、小さい阿弥陀如来が中に坐する。明治の庭の要素をなす。
 明治の庭 - 本堂に向かって右前にある小さい庭。
 庭園 - 境内の北東にある大きな庭、居上真人[注釈 2]製作による孫悟空のモニュメント作品10点が点在。
 句碑歌碑 - 仁王門の右前に木村閑流の「うたた寝のときも手に持つ遍路杖」の句碑があり、多宝塔の右前に木村閑流の「南無大師遍照金剛田のみま寸 〇手乃山の心さ〇花」の歌碑がある。
 (参照)献灯 - 原爆の火 。1990年8月6日より当境内にあったあったが、近年、東林院へ移設された。
売店および納経所 - 境内の東側の駐車場横にあり、個人・団体全ての納経を扱う。また、賞状式の満願之証を授けてもらえる(小は1000円2名連名は1500円、大は1名も2名連名も2000円)。
 境内の東側の駐車場から「発心の門」をくぐると山門前に出る。山門を入り、先に進むと左手に多宝塔、右手の池の先に大師堂があり、正面の奥に本堂がある。本堂に向かって左に十三仏の最初の不動明王坐像が祀られ、その左に続く十二仏が立姿で並んでいる。足が不自由な場合など本堂への石段を登るのが困難な場合は、本堂西側(料理旅館の前)の入り口から本堂へ直接行くことができる。

 行事
 正月三が日:正月護摩祈祷。
 2月節分:星祭り、厄除け祈祷。
 2月21日 - 末日:接待講、お遍路を菓子などで接待する。
 4月第1日曜:釈迦誕生会、青葉祭り、花祭り。
 6月15日:大師誕生会、青葉祭り。
 ほか、毎月1日には護摩供養が行われる。

 霊山寺 徳島県鳴門市大麻町板東塚鼻126番地

*Wikipedia より

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