いいもの見ぃ~つけた!

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< 郷土料理 > 山形 玉こんにゃく

2024-04-03 09:40:25 | 郷土料理

 「玉こんにゃく」

主な伝承地域
県全域

 主な使用食材 玉こんにゃく、醤油、スルメの出汁

 歴史・由来・関連行事

 「玉こんにゃく」は”玉こん※”の愛称で親しまれている山形県民のソウルフードである。その名のとおり、3cm程度の球状のこんにゃくで、観光地や催事場などで串に刺した状態で販売されている。板こんにゃくや糸こんにゃくは全国的に普及しているが、「玉こんにゃく」は山形県ならではの食文化である。「玉こんにゃく」の発祥は、昭和元年(1926年)に創業した「千歳山」のふもとにあるこんにゃく専門店「千歳山こんにゃく」だといいわれている。
 こんにゃくと縁が深いのが、山形市にある「宝珠山立石寺(ほうじゅさん りっしゃくじ)」、通称「山寺」である。平安時代に創設された寺院で、開山した慈覚大師(円仁和尚)が中国から持ち帰ったこんにゃくを寺の精進料理に使いはじめ、それが周辺住民にも普及。やがて、県内一帯にこんにゃくが広がっていったと伝わる。
 現在、山寺の周辺の飲食店や出店では「玉こんにゃく」を販売。寺の本殿に行くためには、1015段ある階段を登らないといけないため、その前に食べる「力こんにゃく」として観光客から人気を集めている。
 ※「玉こん」は株式会社平野屋の登録商標となっている。

 食習の機会や時季
 基本的には祭りや観光地、花見、イベントなど販売されており、ファストフード感覚で食べることが多い。スーパーマーケットや商店には味付け前の「玉こんにゃく」が大袋入りや小袋サイズなどさまざま売られており、一般家庭でもつくられている。
 1年中食べられているが、寒い時期のほうが温かい「玉こんにゃく」をより美味しく感じることができる。

 飲食方法
 水を使わず醤油だけで煮るのが最もポピュラーである。練り辛子をつけて食べることが多い。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 全国的にこんにゃくの消費量が年々減少している一方で、山形県内には全国的にも珍しいこんにゃく料理専門店が存在しており、こんにゃく尽くしの懐石料理をはじめ、エビやイカなどのお造りを再現したこんにゃくやフカヒレを再現したこんにゃくなども提供している。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/tamakonnyaku_yamagata.html より

 「玉こん」

 弊社の足跡は1756年(宝暦6年)に絹糸業として創業、1877年(明治10年)に豆腐業に転じ、その後こんにゃく他、製造品目を増やし今日に至りました。

 おかげさまで、創業以来130年有余。この間、地域に密着した社業を推進し、お客様のニーズにできる限りお応えできるよう研鑽を重ねて参りました。それにもまして、この社歴を刻むことができましたのも関係各位の並々ならぬご支援の賜物と心から御礼申し上げます。

 社是が「感謝と創意工夫」 お客様への感謝の気持ちを忘れず、これまでの経験を活かしながら新しいことへも積極的に挑戦し続け、より良い食生活に貢献致す所存でおります。より一層のご支援、お引き立てを賜りますよう宜しくお願い申しあげます。

 昭和42年 「玉こん」商標登録

 株式会社 平野屋 山形県長井市成田字町屋川原1021-1

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<伝統野菜> 大分 ちょろぎ

2024-04-03 09:35:40 | 伝統野菜

 「ちょろぎ」

 【生産地】竹田市

 【特徴】シソ科の多年草。大きさが3㎝程度の巻貝に似た地下茎を食用にする。

 【食味】シャキシャキした独特な歯ごたえと食感がある。

 【料理】竹田では梅酢に漬けるのが一般的である。黒豆と合わせた縁起物として正月のお節料理を彩る。

 【来歴】竹田市ではでは300年前から栽培が続いている。

 【時期】11月下旬~12月。県内の道の駅やデパートなどの店頭に並ぶ。

*https://tradveggie.or.jp/44-ooita/#i-14 より

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<B級ご当地グルメ> 北海道 釧路ザンタレ

2024-04-03 09:30:16 | B級ご当地グルメ

 「釧路ザンタレ」

 釧路ザンタレとは

 「ザンギ」から派生した新メニュー「ザンタレ」。
 元々、釧路のお店がザンギに甘辛いタレをかけて提供していた「ザンタレ定食」が発祥と言われる。
 その旨さは、たちまち釧路に広がり市内の飲食店でもザンギの他ザンタレを提供するようになった。
 また、家庭でもザンギに甘辛いタレをかけたり、マヨネーズ風味のタレをかけたりと様々なアイデアで親しまれています。

 「ザンギ」は分かりやすく言えば「鶏の唐揚げ」です。
 これは中国料理の「炸鶏(ザーチー、ザーギー、ジャージー等と発音)」と同じもの。
 では、なぜ釧路ではこれを「ザンギ」と呼ぶのでしょう。

 昭和35年、釧路市の末広歓楽街にある鶏料理店で「ザンギ」は誕生しました。
 鶏の骨付き肉を唐揚げにして、ソースをつけて提供されていたメニューは、炸鶏(ザーギー)に『運(ン)』がつくようにと「ザンギ」と名付けられたのだそう。ちなみに、この鶏料理店は今もザンギ発祥の店として昔ながらの骨付きザンギを作り続けています。

 今や「ザンギ」は道内各地で見られるようになりましたが、『くしろザンギ』は釧路だけのもの。
 独自のタレをかけて提供される「ザンタレ」や、地元産の食材を使った「鮭ザンギ」「くじらザンギ」「鹿ザンギ」「たこザンギ」のように鶏ではないもの、さらに蕎麦粉を使った「そばザンギ」等々、そのレパートリーはまさに無限大です。

 つまり、釧路では「ザンギ」は料理の名前であると同時に「唐揚げにしたもの」という意味を持っており、今も進化し続けているのです。

*https://946zantare.com/zantare より

 

 都道府県 北海道
 地域 釧路
 推進団体 
 概要 釧路ザンタレ(ザンギ)は、北海道釧路のご当地B級グルメ。
 北海道では唐揚げのことをザンギと呼びます。鶏が一般的ですが、
 イカザンギ、たこザンギ、鮭ザンギ、鯨ザンギ、鹿ザンギ、蕎麦ザンギなど「唐揚げにした料理」という意味で使われます。

 発祥店の「鳥松」(北海道釧路市栄町3-1)によると、中国語で鶏の唐揚げを炸鶏(ザーチー)と言い、「運」をつけるために中に「ン」を入れてザンチー→ザンギと変化したようです。

 作り方もほぼ唐揚げと同じですが、釧路では、素材を、醤油・しょうが・ニンニクなどを使った独自の「ザンタレ」に漬け込んでから揚げ、さらにタレにつけて食す濃厚な味が好まれます。

*https://b9navi.com/%e3%82%b6%e3%83%b3%e3%82%ae/ より

 

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うまいッ! NHK「甘くてプリップリ!的矢かき~三重・的矢湾~」

2024-04-03 09:22:18 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「甘くてプリップリ!的矢かき~三重・的矢湾~」 2014年11月02日

 番組概要
 さわやかな甘味が自慢の、三重県志摩半島の「的矢(まとや)かき」。養殖かきの中で高級品とされるこのかきのうまさの秘密とこだわりの技を、タレントのグローバーが探る。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201411020615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 「的矢かき」

 認定品について ~三重ブランド「的矢かき」とは~
 1925年(大正14年)に佐藤忠勇氏[1887年~1984年]は、志摩半島の入り江のひとつ、的矢湾に佐藤養殖場を設立、牡蠣の養殖に着手しました。
 志摩半島の山を水源とする3本の川が流れ込み、プランクトンが豊富で栄養豊かな海水と、波の静かな湾内が牡蠣の養殖に最適であることを見抜いた佐藤氏は、1927年(昭和2年)に現在の養殖形態のもとになる筏(竹)を使用して1年カキを養殖し、翌1928年(昭和3年)に本格的な経営に着手するとともに、1930年(昭和5年)に貝類の研究及び湾内の観測のため、的矢湾養蛎研究所を設立しました。
 1953年(昭和28年)には紫外線利用によるカキ浄化法を開発、1955年(昭和30年)に特許を取得し、「清浄的矢かき」として販売を開始しました。以来、的矢湾の自然環境に調和した養殖法と浄化技術により、高品質なカキを生産しつづけています。
 佐藤養殖場では、プランクトンが豊富な漁場環境を生かして、他県では2~3年間養殖するカキを1年で出荷するため、1年貝特有の渋みが少なく甘味が強いカキが生産されています。また、垂下しているカキを出荷の1ヶ月ほど前に一度海から引き上げ、一粒づつ籠に入れて再び約1ヶ月養成するため、身入りがよく、むらのないカキが生産されています。
 東京、関西など全国の約700のレストラン、ホテル等に直接出荷されており、その品質への高い評価から、他所で生産されるカキよりも高値で取り引きされています。

 知っていますか?カキの浄化技術
 「海のミルク」と呼ばれるカキは、ほとんどすべての栄養素をバランスよく含み、必須アミノ酸をすべて含有し、糖質のグリコーゲンが豊富で、ミネラルやビタミンも均等に含んでいます。「生ガキにあたる」というのは、実はこの栄養価の高さも一因で、それだけ菌が増殖しやすいからなのです。
 カキは、1時間あたり、17リットルから20リットルの海水を体内に通過させ、餌をとり排泄します。佐藤忠勇氏は、この時にカキ自身が、餌と一緒に体内に取り込んだ細菌を排出することに着目、カキを紫外線灯によって滅菌させた海水で18時間以上飼育することで体内が浄化され、ほぼ無菌状態のカキができることを発見しました。以来、佐藤養殖場の「清浄的矢かき」は、生で安心して食べられる高品質なかきとして、広く市場に認められています。

 認定事業者について
 有限会社佐藤養殖場 認定番号1604017 志摩市磯部町的矢889

*https://www.miebrand.jp/certified_product/17 より

 認定制度
 三重ブランドとは
 三重県では、豊かな自然や伝統など、三重の地域特性をいかした生産品・加工品の中から、全国的な知名度を有し、特に優れていると認められる県産品と生産者をセットでブランド認定し、情報発信する制度として「三重ブランド制度」を運営しています。
 これにより、三重県のイメージアップとともに、観光誘客の促進、そして農林水産業等の生産者の意欲を高めることによる地域経済の活性化に資することを目的としています。

 三重ブランド認定品
 三重ブランド認定委員会条例、三重ブランド認定要綱
 三重ブランド制度の運用に関して、ブランド認定等を審議する知事の附属機関である「三重ブランド認定委員会」の設置を定める「三重ブランド認定委員会条例(平成19年条例第39条)が定められています。また、三重ブランドの認定手続き等については、「三重ブランド認定要綱」が定められています。

 三重ブランド条例
 三重ブランド認定要綱
 認定対象・認定申請資格
 三重ブランド認定品に対する責任の所在を明確化し、消費者に対するブランドの信頼性を確保するため、「品目(もの)と生産者(ひと)」をセットで認定しています。

 〔対象品目〕
 原則として三重県内で生産又は製造されたもの

 〔対象事業者〕
 農林漁業もしくは製造業を営む個人、法人又はこれらを営む者で組織される法人もしくは団体で、原則として県内に主たる事業所を有し、三重県が賦課徴収する全ての税と消費税及び地方消費税に未納がないもの。

 認定手順
 生産者からの申請に基づき、外部有識者で構成される「三重ブランド認定委員会」による審査を経て、知事が認定します。認定申請は隔年で受け付けています。
 なお、ブランドの信頼性確保の観点から、認定の有効期間(認定した日から、認定した日が属する年度から3年目の3月31日まで)を設けていて、引続き認定を受けるためには更新が必要となっています。

 認定委員会とは
 三重ブランド認定委員会条例(平成19年条例第39号)に基づき設置された、知事の附属機関です。委員には、マーケティングやブランディング、流通、集客交流、情報発信といった各分野に精通した県内外の有識者が就任しています。
 知事の諮問に応じ、三重ブランドの認定に関する事項等を調査審議します。

*https://www.miebrand.jp/certified_system より

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<異名-人物> 南洲翁/ 新政大総督 征伐大元帥

2024-04-03 08:58:17 | 異名

 「南洲翁/新政大総督 征伐大元帥 西郷隆盛」

 西郷 隆盛(さいごう たかもり、旧字体:西鄕 隆󠄁盛󠄁、1828年1月23日(文政10年12月7日)- 1877年(明治10年)9月24日)は、幕末から明治初期の日本の政治家、軍人。

 薩摩国薩摩藩の下級藩士・西郷吉兵衛隆盛の長男。諱は元服時に隆永(たかなが)のちに武雄・隆盛(たかもり)と名を改めた。幼名は小吉、通称は吉之介、善兵衛、吉兵衛、吉之助と順次変更。号は南洲(なんしゅう)。

*Wikipedia より

 西南戦争において、盟主 西郷隆盛を「 新政大総督 征伐大元帥」と呼んだ。

 

 「西郷どん」や「大西郷」と呼ばれたのは周知の事実である。

 

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<料理用語-和食> 巾着

2024-04-03 08:50:53 | 料理用語

 「巾着」

 巾着とは昔の財布で、布や皮で作った袋のこと。
 この袋に見立てて作る料理を巾着と呼ぶ。

 油揚げの中に具を詰めて、口をかんぴょうで結ぶ「巾着袋」がよく知られるところ。巾着袋は祝膳のときは「延命袋」という名前になり、「宝煮」「福袋煮」の別名もある。

 他の献立としては、茄子に豆腐を詰める「巾着豆腐」や、特殊な麸に具を詰める「巾着麸」などもある。

*https://temaeita.net/top/t2/kj/6_G/061.html より

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<難読漢字-魚> 海星、人手、海盤車

2024-04-03 08:47:23 | 難読漢字

 「海星、人手、海盤車 ひとで」

 ヒトデ(海星、人手、英: starfish)は、棘皮動物門ヒトデ綱(海星綱、Asteroidea)に所属する動物の総称。

 ヒトデ(人手)という和名は、5本の腕をもつ姿を5本の指をもつ人の手になぞらえたものである。また、海星はその姿を星形に見立てた事に由来する。江戸時代までは、モミジガイ(紅葉貝)とも呼ばれたが、この呼称は現在はモミジガイ目などに留まる。

 英語では「starfish」(「fish」は魚ではなく海の動物の意味)あるいは「sea star」(海の星)、フランス語では「étoile de mer」(海の星)、ドイツ語では「Seestern」(海の星)など、多くの言語で星にちなんだ名で呼ばれている。

*Wikipedia より

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<慣用句・諺> 大蛇を見るとも女を見るな など

2024-04-03 08:40:50 | 慣用句・諺

 「大蛇を見るとも女を見るな」

 女性は人を惑わして修行の妨げとなるから、大蛇よりもおそるべきものであるという戒め。

 

 「大事を取る」

 軽々しく物事をしない。用心し、自重する。

 

 「大地に槌」

 《大地を槌で打つということから》確実で絶対に失敗しないことのたとえ。

 

 「大知は愚の如し」

 《蘇軾「賀歌欧陽少司致仕啓」から》真の知者は、知識や知恵をむやみにひけらかすようなことはしないので、一見愚者のようにみえる。大賢 (たいけん) は愚なるがごとし。

 

 「大徳は小怨を滅す-だいとくはしょうえんをめっす」

 《「春秋左伝」定公五年から》大きな徳は小さなうらみを消してしまう。恩恵が大きければ、わずかの怨恨など気にならなくなる。

 

*goo辞書 より

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<日本酒メーカー> 秋田 秋田誉酒造

2024-04-03 08:39:14 | 日本酒

 「秋田誉酒造」

 秋田誉酒造株式会社[秋田誉]

 蔵元紹介

 ●蔵元(代表者)の紹介
 蔵元の経歴について
 代表者 猪股春夫
 昭和26年2月12日生まれ、昭和48年慶応大学工学部卒業、昭和63年代表取締役社長に就任現在に至る。 趣味:テニス・電子電気回路 特に電気については、趣味を越え、自社開発の機械装置が工場内で多数稼働しています。
 ●蔵の沿革・歴史について
 子吉川の左岸、本荘港の近くに所在する当蔵は戦時中郡内十数社の企業合同によって成立する。合同各蔵の創業は江戸末期から明治初期である。昭和三十年代以降販路の拡大に努め、特に北海道では石炭景気にささえられ、広く愛飲された。現在も北海道市場を主力に県外に幅広く販路を持っています。 

 ●銘柄の由来について
 銘醸の地、秋田の誉となるようなブランドに育ってほしいと念願して名付けました。

*https://www.osake.or.jp/kuramoto/13akitahomare.html より

 秋田誉酒造株式会社 秋田県由利本荘市砂子下3

 代表銘柄

秋田誉 純米吟醸 亀の尾造り

分類/純米吟醸酒
原料米/亀の尾
精米歩合/55%
アルコール度数/+3.5
日本酒度/+3.5
酸度/1.5
酵母/AK-1

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<四国八十八箇所> 第3番札所 金泉寺

2024-04-03 08:37:57 | 巡礼

 「金泉寺」

 金泉寺(こんせんじ)は、徳島県板野郡板野町にある高野山真言宗の寺院。亀光山(きこうざん)釈迦院(しゃかいん)と号す。本尊は釈迦如来で、脇侍に薬師如来・阿弥陀如来を安置する。四国八十八箇所第三番札所、阿波西国三十三観音霊場(東部)第23番札所、阿波北嶺薬師霊場9番札所。

 本尊真言:のうまくさんまんだ ぼだなん ばく
 ご詠歌:極楽の宝の池を思えただ 黄金(こがね)の泉すみたたえたる
 概要
 寺名が金(きん)の泉(いづみ)の寺ということで金運上昇の御利益があるとされる。なお、所在地である大寺の村名は、当寺に由来する。板野郡は、板東と板西に分かれていたが、その境は当寺の堂の扉板をもって境としていたとされる。

 歴史
 寺伝によれば天平年間(729年 – 749年)に聖武天皇の勅願により行基が本尊を刻み、金光明寺と称したという。弘仁年間(810年 – 824年)に、空海(弘法大師)が訪れた際に、水不足解消のため井戸を掘り、黄金井の霊水が湧出したことから寺号を金泉寺としたという。

 亀山法皇(天皇在位1259年 – 1274年)の信仰が厚く、京都の三十三間堂をまねた堂を建立、千躯の千手観音を祀った。また、背後の山を亀山と名付け山号を亀光山と改めた。また、『源平盛衰記』には、元暦2年(1185年)に源義経が屋島に向かう途中本寺に立ち寄ったとの記載がある。

 1582年(天正10年)には長宗我部元親による兵火にて大師堂以外の大半の建物を焼失したが、建物はその後再建され現在に至る。境内からは奈良時代の瓦が出土しており、創建は寺伝のとおり奈良時代にさかのぼると推定される。

 境内

 山門
 朱塗りの山門を入り小さい橋(ごくらくばし)を渡ると左手に手水鉢がありその後に鐘楼・慈母観音がある。向かいに観音堂がありその前に修行大師像が立つ。正面に本堂が建ちその左に護摩堂が、手前右手に大師堂がある。大師堂の右奥に黄金の井戸と閻魔堂がある。手水鉢の場所から奥へ入ると納経所があり、その手前に弁慶の力石が置かれている。なお、熊蜂(クマバチ)が季節になると飛びまわるので要注意。

 主な堂宇
 山門(仁王門) - 三間一戸楼門、入母屋造。
 本堂 - 本尊は両脇仏とともに2014年(平成26年)以降、開帳されている。
 大師堂 - 2008年(平成20年)11月改築。堂内で参拝し大師像を拝観できる。
 護摩堂 - 不動明王立像と二童子。格天井に花鳥画が描かれている。
 観音堂 - 本尊は聖観世音菩薩像で、阿波西国三十三観音霊場札所。
 閻魔堂
 黄金の井戸 - この井戸に自分の顔が映れば長寿であると伝えられている。
 満願弁財天像・倶利伽羅龍王像・慈母観音像 - ブロンズ像。
 天満宮(祠)
 長慶天皇の御陵
 多宝塔(阿弥陀堂)
 鐘楼
 弁慶の力石 - 力試しに弁慶が持ち上げて見せたと伝えられている。
 沙羅の木(ナツツバキ) - 大師堂の左側にあり、6月頃花をつける。
 句碑 - 「宇免柳みずもふた手に王可連介理(梅柳水も二手に分かれけり) 菖渓」「西耳悲がし丹鶯のこゑ八十?(西に東に鶯の声八十歳) 菖宇」が本堂の東にある。
 宿坊 - なし。
 駐車場:14台・バス4台 - 無料。

 文化財
 板野町指定史跡
 金泉寺

 金泉寺 徳島県板野郡板野町大寺66

*Wikipedia より

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