「丸亀うちわ」
Description / 特徴・産地
丸亀うちわとは?
丸亀うちわ(まるがめうちわ)は、香川県丸亀市周辺で作られているうちわです。江戸時代初期に四国の金毘羅参り(こんぴらまいり)の土産として考案されたもので、朱赤地に「丸金」印が入った、渋うちわが始まりと言われています。
天明年間(1781~1789年)には、丸亀藩の下級武士の内職として奨励され、丸亀の地場産業として定着しました。一本の竹で柄と骨が作られているものが多く、丸柄と平柄の両方があり、国内のうちわ生産量の多くを占めているのが丸亀うちわです。
機械で量産できる樹脂製のうちわが主流になっていますが、竹製のうちわには熟練した職人の手仕事が宿り、一本ずつ味わい深い温もりがあります。
丸亀うちわの特徴は仰ぐ時の軽い使い心地や手馴染みの良さなど、樹脂製のものにはない味わいがある点です。うちわは昭和30年前後が最盛期でしたが、電化製品の普及により扇風機やクーラーが各家庭に設置されると、需要が減少していきました。
丸亀うちわは、全国に誇る地場産業として、民芸品としての高級うちわの開発やインテリアとしてのデザインうちわの作成にも取り組んでいます。
History / 歴史
丸亀うちわ - 歴史
丸亀うちわは、江戸時代の1633年(寛永10年)に金毘羅大権現の別当である金光院住職が考案した「渋うちわ(男竹丸柄うちわ」と、1780年代(安永9~寛政1年)に丸亀藩が製作を奨励した「女竹丸柄うちわ」、そして明治時代に富屋町卸問屋が奈良うちわにならって提唱した「塩屋平柄うちわ」の要素を融合して出来上がっています。
1892年~1896年(明治25年~29年)に大久保瀧次郎が塩屋村に共同工場を開き、1894年(明治27年)にはうちわ業界で初の法人組織である「丸亀団扇株式合資会社」が設立されました。
1904年(明治37年)には、平柄うちわを生産工場から県外へ直接販売を行う「大矢商会」が設立され、インドとアメリカへ販路を拡大します。
大正時代初期には、脇竹次郎が切りこみ機と穴あけ機を発明し、うちわ生産を容易にしました。
これらの発明機械は、産地の業者は自由に使用が許可されたため、うちわの生産量が大きく増え、日本一のうちわどころとして丸亀うちわ産地の地位が確立しました。
1933年~1935年(昭和8~10年)には、名入れ印刷機が発明され、名前や企業名を入れた広告・販促物、記念品としても親しまれ丸亀うちわ生産の追い風となりました。
1938年(昭和13年)以降は、戦時中により生産が減少し、それまで主流だった「女竹丸柄うちわ」よりも「平柄うちわ」が中心となり、1955年~1964年(昭和30年代)が丸亀うちわの最盛期となります。現在でも、本物志向の方やエコライフを楽しむ方を中心に、人気を博しています。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/marugameuchiwa/ より
そよ風気分の城下町が育んだ、丸亀うちわ
江戸初期に盛んになった丸亀のうちわづくりは、代表的な地場産業として発展を続け、全国シェアの約90%を誇り、平成9年に国の伝統的工芸品に指定された。
うちわの需要は減少しているが、風情あふれるうちわは、日本の夏に欠かせない風物詩として、根強い人気がある。
金毘羅参りの土産として全国へ
「『お城とうちわの町丸亀』へようこそ」と香川県うちわ協同組合連合会の矢野会長は明るく、丸亀うちわの伝統と歴史、今後の展望を語ってくれた。「材料がすべて近くで間に合ったことが、ここまで丸亀でうちわが発展した理由ですよ。それと昔は金毘羅参りのお土産として、全国の参拝客がこぞってここのうちわを買ってくれたということで、大きく発展させてもらったということです。」現実問題として、実用品としての”うちわ”はどうなのであろうか。「そりゃ全国シェア90%を誇る伝統地場産業だけれど、急激な生活様式の変化で需要が減り、苦しい時期を迎えています。しかし、うちわ産業を守るためにインテリアにも使えるデザインうちわや、民芸品としての高級うちわの開発など業界としての努力も続けています。」「幸い、ゆとりと豊かさを求める生活ニーズの高まりとともに伝統文化を再認識する風潮も芽生えてきてまして、うちわ業界にとっても明るい兆しも見えてきています。」と矢野さんは熱く語ってくれた。
「また何よりエコロジーでしょうから。」とも。「丸亀うちわは歴史が育んでくれた”本物の実用品”なのですよ。本物は、できた時にもすばらしい。そして使えば使うほどにそのすばらしさが味わいとしてでてくるのです。作り手が自然の素材に話しかけながら、道具を入れていくのです。丸亀うちわの手ざわり、あおぎやすさなど本物だけが持つ価値観があります。」と最後まで力強く語ってくれた。
竹一筋50数年の技
伝統工芸士の高出雅之(たかいでまさゆき)さんは、昭和3年生まれ。今でも現役で、伝統工芸のうちわを作っている。
「うちわは何といってもまず材料。そう、竹やな。真竹の3~5年生が一番やな。一番弾力がある。いい竹を見たら嬉しくなるのう。あんまり肥えた土地の竹はあかんぞ。水分が多いし、艶のありすぎる竹もうちわには不向きじゃ。」と切り込み機で竹を割きながら、いかにも竹がいとおしいというような表情で、高出さんは語った。
「その次は刃物やな。見てみ、この刀はこないなっとるけど、まだ現役やぞ。」と刃の真ん中がすりへった刀を見せてくれた。「その刀は何年くらい使っているんですか?」と聞くと、「そんなん、わからんわ。わしが仕事を始めたころからかもしれんな。職人は道具が恋人やろ、大切に使わな、いい仕事はできんよ。」と高出さん。日本人が忘れてしまった精神を高出さんは間違いなく持ち続けている。
竹を割り続け、見て覚えた修行時代
「昔の職人さんの修行はどんな感じだったのですか?」という問いかけに対して、高出さんは「最初の2カ月目で、いやになったわ。毎日竹を割ってばかりで、手が痛んでな。でも他に取柄はないし、じっと辛抱して、ただひたすら竹を割り続けた数年やったな。親方は何にも教えてくれんかった。昔はみな、そうよ。”無口”と言えばそれまでやけど、教えてできるもんでもないんやね。親方の手の動かし方、刃物の持ち方、角度、みんな見て覚えたんじゃ。昔は何でもそうじゃった。で、実際できたやつを見て『やり直し』と一言だけ。それの繰り返しやったの。つらいけど、やるしかなかったの。そのうち、竹と息が合うようになって、何とかまあまあ思うように竹が割れるようになったんや。その頃やな、親方に『やりなおし』と言われんようになったんわ。やけど(だけど)、もう50年近くも竹をいじっとるけど、手抜きはできんの。できたうちわがすべてじゃ。本物は柄の握りが違うし、風を送るのに力もいらんわ。」と魔術師のような早業で竹を割く”職人”高出さんの人生を知った笑顔が羨ましかった。
こぼれ話
高出さんご自慢の機械は切り込み機
「この切り込み機は大正2年に丸亀の人が発明した機械なんじゃ。この1cm5mm幅の竹の柄に36回も切り込みをいれるんじゃぞ。」
刃を動かす部分にほんの少し「あそび」があってその微妙な間隔がこの神業とも見える0.5mm幅の”割き”を可能にした機械ということである。
何回も何回も切り込み機について説明をされる高出さんがとても印象的だった。そして何回見ても、「おー!すごい。」と感動してしまうほどの職人技には、思わず尊敬の念を感じずにはいられなかった。
*https://kougeihin.jp/craft/1416/ より
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