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<経産大臣指定伝統的工芸品> 愛媛 砥部焼

2021-08-22 18:26:28 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「砥部焼」

 Description / 特徴・産地

 砥部焼とは?
 砥部焼(とべやき)は、愛媛県伊予郡砥部町周辺で作られている陶磁器です。江戸時代中期に作られ始め、1976年(昭和51年)には経済産業省により伝統的工芸品として認定されました。
 砥部は四国一の焼き物の里としても知られている街で、磁器原料に恵まれる中央構造線に位置しています。山地から良質の陶石(とうせき)が採れたことで磁器文化が広がり、今も多くの窯元が残っています。
 砥部焼の特徴は、光を通すほどに際立った白く美しい磁肌です。有田焼と比べると白い磁肌にやや灰色味が感じられ、原料となる陶石に鉄分などの成分を含むので色味が変わります。その分、砥部の職人らは釉薬(ゆうやく)を改良したり、デザイン職人が手描きで絵を描いたり、様々な工夫を施してきました。
 砥部焼は手作り・手焼きで親しみのある焼き物として愛され続けています。

 History / 歴史
 砥部焼 - 歴史

 1777年(安永6年)伊予国大洲(おおず)の大洲藩が独自に磁器の研究を行い、砥部焼が生まれました。もともと伊予砥(いよと)という砥石(といし)が特産品としてありましたが、財政難に陥り、伊予砥の屑を原料に作る新たな特産品として発展していきました。
 江戸時代には他藩からの情報も少なかったため、独自の技術のみで生産されています。明治に入り廃藩置県が起こると、唐津や瀬戸など名産地から技術を入手できるようになり、急速に発展していきます。大量生産の技術が可能になったことで東南アジア向けに砥部焼を生産しました。
 大正から昭和の時代になると、瀬戸などの焼き物産地は機械ろくろを代表する近代技術を取り入れて生産量を伸ばしますが、手作りの砥部焼は落ち込んでいきます。
 しかし、戦後に民芸運動で有名な柳宗悦(やなぎむねよし)が手作り・手焼きの技術を高く評価したことで、現代にも砥部焼の魅力が受け継がれています。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/tobeyaki/ より

 地元の砥石のリサイクルから生まれた砥部焼
 愛媛県松山市郊外の砥部町は四国一の焼きものの里。江戸安永年間、今から220数年前に大洲藩が財政建て直しのために特産品の伊予砥(砥石)の屑を利用して磁器の開発を始めたことが砥部焼の始まりである。

 
 砥部焼の歴史
 砥部の焼きものの歴史は古い。6~7世紀の古墳時代には須恵器などの土器が作られ、江戸時代に磁器作りが始まるまでは陶器が作られていた。砥部一帯は有田、天草などと同様に中央構造線の上にあるため磁器原料の陶石に恵まれている。地元産の陶石と、山の傾斜を利用した登窯、豊富な松を燃料にして磁器作りが盛んになり、今でも約90軒の窯元が軒をつらねている。


 手造り、手描きと実用性が砥部焼の魅力
 砥部焼は、ややグレーがかった白地に、呉須(ごす)の藍色でシンプルに描かれた文様など、素朴なデザインが特徴的。手造り、手描きの味わいと民芸風のやや厚めで実用的なデザインが広く受け入れられ、生活に密着して愛用されてきた。昔の砥部焼作りは大人数での共同作業だったが、今では、機械化や電気・ガス窯の導入で家族的な生産が可能になり、職人の手作業で花器や食器などさまざまな日用雑器が作られている。


 弱点を生かす職人の創意と工夫
 「砥部焼は厚いといわれますが、薄いものも多いんです。」と語るのは砥部の陶芸家酒井芳人さん。砥部焼が厚い印象なのは、磁肌が白く、よく光を透す有田焼などに比べ、砥部焼は、原材料の陶石が鉄分などを多く含むため真白にならず、光をあまり透さないためだ。「白さでは他に太刀打ちできないが、弱点を与えられたものとして生かしたい」と考えた酒井さんは、独自の釉薬を研究して水みずしい淡い青白の磁器を作って30年になる。酒井さんに壷作りを見せていただいた。酒井さんのろくろは、熟練を要する独自の片手造り。わずか10分ほどの間に土の塊から壷を作り、まだ柔らかい素地の上に、陶画師だったお祖父さんの黄楊のへらを絵筆のように使い椿を彫る。凹んだ椿を膨らませると、磁肌に一輪の椿の花が咲いた。凹凸のある立体的な装飾も酒井さんがろくろによる手造りを生かしたいと長年考えて工夫したものだ。


 砥部の開かれた風土
 酒井さんがろくろを始めたのは30代になってからで、当時、若手職人たちと勉強会「陶和会」を作り、ろくろ技術を学んだ。無形の土から自分の思うように形が作れるようになると面白くて仕方がなかったという。生業としては十分な技術を持っていた酒井さんだが、20代は陶石に彫刻したり、前衛的なデザインの焼きものなど試行錯誤を繰り返していた。昭和50年、酒井さんは日本陶芸展で入賞、砥部焼の名を広く知らしめたが、当時残した言葉は「売るだけでは悔いが残る」というものだ。「砥部焼は土着的ですが、隠しごとをせず、互いに教えあい、よその人が来ても受け入れるのが砥部の風土です。」と酒井さん。砥部には誰でも窯元に立ち寄れ、気軽に覗かせてくれる雰囲気がある。

 砥部焼のこれから
 「焼物は使ってもらって楽しんでもらいたい」、「生活の中に自然に溶け込んでゆく砥部焼をつくりたい」と語る酒井さん。飽きがこなくて、愛らしい暖かみのある砥部焼が念願だ。今後の夢を尋ねると、「地場産業としてもっと振興していってほしい。そして若い人たちには先人たちの努力をもとにもっと砥部焼を発展させてほしい。」と語ってくれた。砥部では若い後継者が多く、今でも酒井さんたちが始めた陶和会の活動は続いている。若い人に期待していると語る酒井さんだが、今でも創作にかける若々しい情熱を感じた。


 職人プロフィール

 酒井芳人

 昭和6年砥部生まれ。
 陶画師であった祖父酒井如雲に師事して陶芸の道に入り50年。ろくろ技術で伝統工芸士に認定されている。


 こぼれ話

 砥部では自然の中に焼物の歴史が楽しめる

 障子山と砥部川の流れに抱かれた砥部は、自然と共に焼物の歴史が楽しめます。砥部は京都や有田と同じように、日本の中央構造線の上にあるため磁器の原料の陶石に恵まれています。その中央構造線は天然記念物・砥部衝上(つきあげ)断層公園の砥部川の両岸でみることができます。今では公園になり、人々のやすらぎの場所。自然が豊かな金毘羅山の水満田古墳公園では、7世紀の古墳群や須恵器などの土器が多数見つかり、再現された古墳や埴輪窯、竪穴式の住居などを見ることもできます。また、古代から全国的に有名だった伊予砥の採石跡が砥石山公園。その砥石屑の再利用から砥部焼の開発が始まりました。砥部焼は砥部の人と自然が作り出した私たちへの贈り物です。

*https://kougeihin.jp/craft/0421/ より


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