「山形仏壇」
山形仏壇の歴史
山形仏壇の起源は江戸時代中期。1724~1777年(享保年間)頃に、江戸で木彫りを学んだ星野吉兵衛によって始まったと言われています。
星野吉兵衛は欄間や仏具の彫刻の仕事を手掛け、漆塗師や蒔絵師、金具飾職人などを結集し、多くの職人を養成しました。その後、仏壇製造が創業され、仏壇製造は山形の重要産業として発展しました。300年以上の伝統を誇る山形仏壇発展の背景には、以下の理由があったと考えられています。
紅花を中心とした特産品の交易によって京都方面への往来が増え、仏壇・仏具の製造技術、文化が伝わった。
豊富な森林資源に恵まれ、すでに木工、漆工業が成熟していた。
明治以降、分業制で仏壇を製造することによって伝統技術が保持され、より高度な技術を持つ職人が育っていった。
山形仏壇の特徴
木や漆といった天然素材の温かみと荘厳さが漂い、堅牢な作りが特徴の山形仏壇の製造は木地・宮殿・彫刻・金具・塗・蒔絵・箔押しと仕組の7工程に分かれており、明治以降は各工程を専門の職人が分業して仏壇を作り上げています。
「伝統的工芸品」基準をクリア
山形仏壇は、1980年(昭和55年)3月3日に経済産業大臣より「伝統的工芸品」の指定を受けました。厳選の良質素材に伝統的技法を用いて手作りで製造される同仏壇には、経済産業大臣指定の「伝統証紙」と組合独自の「組合指定証紙」が貼られ、その品質が保証されています。
伝統的工芸品とは優れた日本の伝統産業を後世へ継承するための基準。経済産業大臣が指定した条件を満たし、産地検査に合格した製品には伝統マーク入りの伝統証紙が貼られます。
山形仏壇に定められた基準
木地前面には木目板をはり、木目を生かした塗りを施す。
「肘木組物」による宮殿(くうでん)造り。
欄間・柱を飾る唐草模様をはじめ、菊、花、鳥、天女などの華やかな飾り柄。
地金に特殊な加工を施し、黒色、唐草模様を表した「黒金具」
資料提供:山形仏壇商工業協同組合
*https://www.e-butsudan.com/guide/2328/ より
*https://kougeihin.jp/craft/0801/ より
Description / 特徴・産地
山形仏壇とは?
山形仏壇(やまがたぶつだん)は、主に山形市、天童市、尾花沢市、酒田市で製造され、東北一の仏壇生産地として知られています。江戸時代に、江戸で彫刻技術を習得した星野吉兵衛が山形に戻り、仏具や欄間(らんま)の製作を始めたことが山形仏壇誕生のきっかけになりました。盆地の気候で、漆(うるし)工業が盛んであった山形で育まれた、漆塗師、蒔絵(まきえ)師、金工錺(かざり)職人と共に、2代目吉兵衛広高が仏壇づくりに着手します。
山形仏壇の特徴は、天然素材である木や漆(うるし)の温もりと堅牢な作りです。木地の前面に欅(けやき)、センなどの木目板を貼るため、木目を生かした塗りがなされ、美しく荘厳な雰囲気になります。唐草模様で装飾された欄間や柱の装飾は、天女や菊、鳥などの華やかな飾り柄で、地金にも特殊な加工を施した黒金具が使用されます。肘木桝組みによって制作された宮殿(くうでん)は、落ち着きの中にも心を打たれる美が感じられる豪華な作りです。
現在では、山形仏壇の産地を挙げて、モダンな住居や空間に配慮した新しい山形仏壇を研究し需要開拓に励んでいます。
History / 歴史
山形仏壇 - 歴史
山形は、森林資源に恵まれ木工が地域に根付き、さらに周囲の山々から良質な漆(うるし)液が豊富に採取できました。そのため早くから漆(うるし)産業が発展します。
江戸時代にはいると、最上川の水運の発達で紅花(べにばな)の取引が行われるようになり、遠く京都や大阪から文化や技術が伝来しました。その結果ますます山形の職人技術は高まっていきます。
出羽三山を仰ぐ山形は、信仰深い地域なので江戸で彫刻技術を習得した星野吉兵衛が山形へ仏具や欄間の技術をもたらしたことをきっかけに、仏壇製作が盛んになりました。明治時代には、仏壇が山形の重要な地場産業に発展し、7つの工程を分業して量産可能な体制をとります。時代の流れが変わっても、山形仏壇は金仏壇の製造を固守し続け、分業制により各工程の職人の技術が高まり伝統が受け継がれることで、山形仏壇は品質と独自性を維持しています。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/yamagatabutsudan/ より
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