「ハゲの女たらし カエサル」
(前101〜前44)ローマ
ローマの名家生まれであったが、一時は亡命していた。戻ってきたあとは弁護士などの職についていたので、歴史の表舞台に登場するのは、政治に関わるようになる30歳過ぎだ。カエサルは自身をアレクサンドロス大王と比べて「何もなし得ていない」と悲観していたが、40歳には執政官なり、ガリア戦争でヨーロッパ進出とローマを強化した。クーデターを起こして独裁官になったが、暗殺された。
*https://www.chickennoneta.com/entry/%E7%95%B0%E5%90%8D%E3%81%A8%E8%8B%B1%E9%9B%84#%E3%83%8F%E3%82%B2%E3%81%AE%E5%A5%B3%E3%81%9F%E3%82%89%E3%81%97%E3%82%AB%E3%82%A8%E3%82%B5%E3%83%AB より
「ガイウス・ユリウス・カエサル」
ガイウス・ユリウス・カエサル(ラテン語: Gaius Iulius Caesar、Juliusとも、紀元前100年 - 紀元前44年3月15日)は、共和政ローマ末期の政務官であり、文筆家。「賽は投げられた」(alea jacta est)、「来た、見た、勝った」(veni, vidi, vici) 、「ブルータス、お前もか」(et tu, Brute?) などの特徴的な引用句でも知られる。また彼が布告し彼の名が冠された暦(ユリウス暦)は、紀元前45年から1582年まで1600年間以上に渡り欧州のほぼ全域で使用され続けた。
古代ローマで最大の野心家と言われ、マルクス・リキニウス・クラッスス及びグナエウス・ポンペイウスとの第一回三頭政治と内戦を経て、永久独裁官(ディクタトル・ペルペトゥオ)となった。「カエサル」の名は、帝政初期にローマ皇帝が帯びる称号の一つ、帝政後期には副帝の称号となった。ドイツ語のKaiser(カイザー)やロシア語のцарь(ツァーリ)など、皇帝を表す言葉の語源でもある。
カエサルには多くの愛人がいた。やや誇張と思われるが、一説によれば元老院議員の3分の1が妻をカエサルに寝取られたと伝えられている。このためカエサルは「ハゲの女たらし」と渾名された。古代ローマでは凱旋式の際に、軍団兵たちが将軍をからかう野次を飛ばす習慣があったが、カエサルの凱旋式においての軍団兵たちは「夫たちよ、妻を隠せ。薬缶頭(ハゲ)の女たらしのお通りだ」と叫んだ。「ハゲの女たらし」(羅: moechus calvus)と言われることを受け入れていたことは、カエサルの寛容さを説明する際に引き合いに出される。
*Wikipedia より
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