「大日寺」
大日寺(だいにちじ)は、徳島県徳島市一宮町に位置する真言宗大覚寺派の寺院。大栗山(おおぐりざん)、花蔵院(けぞういん)と号す。宗派は、本尊は十一面観音菩薩。四国八十八箇所第十三番札所、四国三十三観音霊場第五番札所。
本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
ご詠歌:阿波の国一の宮とはゆうだすき かけて頼(たの)めやこの世のちの世
納経印:当寺本尊、新奥之院・國中寺、四国三十三観音霊場
歴史
寺伝によれば、815年(弘仁6年)に空海がこの付近にある「大師が森」で護摩修行をしていると大日如来が現れてこの地が霊地であるから一寺を建立せよと告げた。そこでその大日如来の姿を刻み、堂宇を建立して本尊として安置し「大日寺」と称したという。
元は國中寺の場所にあり、船盡社(船盡神社・船盡比賣神社)の別当寺であった。
その後、伝承では平安時代末期に、阿波一宮が神山町の上一宮大粟神社にあるのでは不便ということで当地に分詞され阿波一宮神社が造られると当寺はその別当寺となった。一宮神社の別当だった神宮寺が廃絶したため、現在の所に移り一宮神社の別当寺になったとされる。
南北朝時代に、一宮神社の東の144.3mの山の頂近くに一宮城が造られ、その城主であった一宮氏が当神社を深く崇敬し大宮司を兼ねる関係であったため、その後の天正年間(1573年 - 1592年)に長宗我部元親の兵火によって一帯がすべて焼失し一宮氏は没落したが、江戸時代初期、徳島藩3代藩主になった蜂須賀光隆も当神社を崇敬し、当神社と当寺を再建した。
また、いつの頃か、当神社が札所になると当寺は納経所として、「本尊大日如来 一宮大明神 大栗山大日寺」と記帳するようになり、一宮寺とも呼ばれるようになっていた。
明治初期の神仏分離によって、当神社の本地仏であった行基作[注釈 2]といわれる十一面観音を当寺の本堂に本尊として移され、それまでの本尊大日如来は向かって右の厨子に秘仏の脇仏とされ、当寺は神社の別当ではなくなった。
2008年(平成20年)には韓国の伝統舞踊家である金昴先が住職に就任し、四国八十八カ所で唯一の外国籍の住職となった。
境内
山門(薬医門):以前は石柱門だけであったが平成になって四脚門が新築された。
本堂:本尊十一面観音は秘仏であったが、2014年以降、拝顔できるようになった。向かって右脇陣に青面金剛、同左脇陣に阿弥陀如来立像。また、四国三十三観音の観音立像と大師像が同右側に置かれている。
大師堂:拝顔できる(不定期)
地蔵堂祠
しあわせ観音:合掌している手を模した中に観音像が入っている。
鐘楼
県道に面した山門を入ると向かいにしあわせ観音が見える。しあわせ観音を背にして右手に手水場があり、左に大師堂が建つ。右奥に入っていくと大師堂と向き合う形で本堂があり、その左手に地蔵堂がある。納経所はしあわせ観音の後にある。
宿坊:定員150名
駐車場:無料が遠くに15台。境内の近くに有料あり。
大日寺 徳島県徳島市一宮町西丁263
*Wikipedia より
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます