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イッピンNHK 「大きな器が軽やかに変身!~島根 石見焼(いわみやき)~」

2023-10-28 07:54:33 | イッピンNHK

 第188回 2018年3月27日 「大きな器が軽やかに変身!~島根 石見焼(いわみやき)~」リサーチャー: 中山エミリ

 番組内容
 カリスマスタイリストが愛用中という陶器製のサイドテーブル。落ち着いた質感と独特のくびれたフォルムがオシャレといま話題に。これは島根の石見焼。古くから、水がめなど大物の産地として知られてきた。高温で焼き締めるため、とても丈夫。近年はその特長をいかし、デザイン性が高くて身近に使える製品が続々誕生。驚きの使い心地が評判のすり鉢や手のひらサイズの塩壺など、ヒット製品を生む職人技を、中山エミリがリサーチ!

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201803271930001301000 より

 

 1.「石見焼」について

 「石見焼」(いわみやき)は、江戸時代の宝暦年間(1751~1764)から島根県の西部に位置する江津市(ごうつし)を中心とした石見地方で本格的に生産が始まったと言われている陶器のことです。

 「石見焼」は、通常の焼成温度よりも高い、1300℃以上の高温で焼き上げることにより、まるで磁器のように硬く、軽くて丈夫に仕上がります。
 その耐久性の高さから、「漬物用の甕」や特に大型の水かめ「大半胴」(はんどう)の製造を中心に栄えてきました。
 この「大半胴」は明治時代に量産され、最盛期には100軒を超える窯元があったと言います。

 こうした大型の焼き物は一気には轆轤で挽くことが出来ません。
 そこで生まれたのが、「しのづくり」と呼ばれる石見焼伝統の技法でした。

 「しのづくり」は、太い紐状の粘土「しの」を轆轤の上に円を描くように積み上げた後、轆轤を回して平らにならしていきます。
 半乾きになったところで粘土を積み上げることを何度か繰り返し、目指す大きさまでもっていきます。
 粘土の収縮具合を考えながら、継ぎ目なく作り上げていくには、腕力とともに、熟練の技をも要します。
 大物の製作にも耐えうる良質な陶土と、大物をつくる職人の高い技術力とに支えられ、「石見焼」の名は全国に知れ渡ることになりました。

 「石見焼」は、平成6(1994)年に国の伝統工芸品に指定されています。
 現在、江津市(ごうつし)を中心に7件の窯元があり、今も日用品を始め、様々な石見焼を作り続けています。
 
 
 2.彫刻のような陶器のサイドテーブル(「石州嶋田窯」3代目・嶋田孝之さん)

 昭和10(1935)年に開窯された「石州嶋田窯」(せきしゅうしまだがま)では、伝統工芸士の3代目・嶋田孝之さんが石見焼の窯元では今でも唯一「登り窯」を使用して、石見焼独特の「しの作り」という伝統的技法による大型陶器を得意としています。

 大物陶器づくりを得意とする嶋田孝之さんは、「TIME&STYLE」と協働で、高さ40cm程のサイドテーブルを作り始めました。
 落ち着いた質感と独特のくびれたフォルムがオシャレだということで今、話題だそうです。
 カリスマスタイリストの大草直子さんも愛用されているそうです。

 作業に欠かせないのが、地元で採れた粘土を伸ばして紐状にした「しの」です。
 その「しの」をろくろにセットし、左手で壁を作りながら、右手で強く押し当てるようにして底面となる素地につけていきます。
 繋ぎ目が分からないように表面を滑らかにし、凸凹を均一にならしたら、次に指を巧みに使って、厚さが均一になるように粘土を引き伸ばします。
 これがサイドテーブルの一段目になります。
 粘土が乾燥したら、別の「しの」を積み上げて二段目を、最後にテーブルの足に当たる三段目を作っていきます。

 釉薬を塗布したら、窯で焼成します。
 石見の土には、シリカ、アルミナといった熱に強い成分が含まれているため、高温にも耐えることが出来ます。
 陶器は高温で焼くほど、焼き締まるので丈夫な陶器になります。

 毎年5月3日から5日にかけて、「石州嶋田窯」で「登り窯まつり」を行っています。
 お客さんが見守る中、3日間焚き続けた窯出しをします。
 
 石州嶋田窯 島根県江津市後地町1315

 

 3.石見焼宮内窯

 昭和中頃までは水瓶(みずがめ)の需要は多かったですが、戦後は水道網が整備された他、プラスチック容器が普及したことで、水瓶の需要は落ち込みました。
 
 そんな時、日本各地の優れた手仕事を守り、育てる活動をしていた久野恵一さんは「石見焼」の職人とタッグを組んで、「石見焼」らしさを残した可愛らしい食器を製作しました。
 
 久野 恵一(くの けいいち)

 武蔵野美術大学在学中に、民俗学者・宮本常一に出会い、日本の民衆文化の深さ、おもしろさとともに、いかに有意義な旅をして生きていけるかを伝授される。
 その後、柳宗悦の民藝運動より、民衆のくらしの道具の中にある美しさと社会性を知り、感銘を受ける。
 埋もれた手工芸品の発掘、伝統を守る職人、現代生活に適う新作民藝品づくりに励む工人・工房への製作協力など、現代における民藝の普及と後継に尽力した。
 手仕事フォーラム代表、鎌倉・もやい工藝を経営。
 平成27(2015)年4月25日、逝去。
 
 
 「石見焼宮内窯」は、宮内謙一さんが昭和45(1970)年に開いた開窯し、現在は、2代目の宮内孝史さんが謙一さんの技術を受け継ぎ、傘立てや睡蓮鉢などの大きなものから、蓋つき壺やすり鉢まで、現代の暮らしに合う作品を作っています。
 
 孝史さんは、久野恵一さんがデザインした手のひらサイズの「塩壺」を作りました。
 陶器でありながら、半磁器のように強固で、ガラスのような滑らかさを併せ持つ、防湿性にも優れた、特注の「海士乃塩塩壷」です。
 
 「海士乃塩」は、隠岐の島の「天川の水」(環境省選定日本名水百選)が注ぎ込む保々見湾の海の水を使い、伝統的な手仕事で丹念に作られた天然塩です。

 石見焼宮内窯 島根県江津市二宮町神主2211-3

 

 3.すり鉢 (元重製陶所)

 「元重製陶所」(もとしげせいとうしょ)は、大正14(1925)年から続く石見焼の名門の窯元です。
 元々は、「半胴(水がめ)」や「植木鉢」といった生活道具を作陶してきましたが、現在は、全国的にも数少ない「すり鉢」と「おろし器」に特化し、国内トップクラスのシェアを誇る窯元です。

 「元重製陶所」が作る「すり鉢」には右利き・左利き用がなく、全て両方で使うことが出来ます。
 
 ギザギザのおろし部分の「櫛目」の鋭さにこだわり、職人さんが全て一つひとつ丁寧に手作業で、細かい刃のついたヘラで刻んでいきます。
 そのため、力を入れなくてもスムーズに流れるような使い心地になっています。

 シリコンゴム付きで滑りにくいので、底に布巾を敷いたり、誰かに押さえてもらわなくても大丈夫!

 大きさや色、形などのバリエーションが豊富で、そのままで食卓に器としてそのまま出すことも出来ます。

 「すべらないすりばち」は、赤ちゃんの離乳食作りに便利な器です。
 片手で擦っても全くグラグラしませんので、片手に赤ちゃんを抱っこしたままでも離乳食を作ることが出来ます。

 鋭い櫛目は、おかゆだけでなく、すり潰しにくいほうれん草などの野菜もらくらくペースト状にすることが出来ます。
 電子レンジに入れて加熱することも出来ます。
 食器洗浄機にもかけることが出来、煮沸も可能なので、常に清潔な状態を保つことができます。

 「桜色」「空色」「若草色」「白色」と可愛らしい色なので、「出産祝い」に良いかもしれませんね。

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Shimane/Iwamiyaki より


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